記事タイトル:茶飲話】新聞は木魚になったのか?

書き込み欄へ 記事一覧に戻る
お名前: attila   
 ふと「新聞は社会の木鐸」という言葉を思い出して、
サーチしてみたら、700件以上もヒットしてしまって、
肝心の誰が言ったかが見つからなかった・・・

 結構、新聞に怒ってる人が多いのね。 (笑)

 「木鐸」とは、禅宗寺院などで、食事や修行の時間を
知らせるために鳴らすもので、京都の南禅寺とか大徳寺
とかの軒下にかかってます。

 つまり、「木鐸」には、時を知らせるものという意味
があるのですね。

 で、サーチ結果を二三本チェックしてみたら、古代中
国で法令律令などの発布を知らせる時に打ち鳴らしたの
が「社会の木鐸」という言葉の始まりのようです。

 肝心の「新聞は社会の木鐸」は、誰が言ったのか思い
出せないのですが、多分、明治時代の人でしょう。


 誰が言ったかはともかく、「新聞は社会の木鐸」には、
時を知らせると言う意味と、世の中のあり方を知らせる
という意味があるんですね。

 イギリスにも、たしか「新聞は社会の灯台」というよ
うな言い方があったと思う。

 灯台も、船に航路(進むべき道)を教えるという役目
があります。航路を指し示さない明かりは、パチンコ屋
のネオンサインに過ぎません。

 えっ?ネオンサインも、正しいパチンコ屋への道を教
えてるって?じゃ、路地裏の焚き火と言い換えよう。(笑)

 ま、「拉致事件」での”事実を報道してなぜ悪い?!”
とかの開き直りは、「新聞(メディア)は社会の木鐸」
という言葉を完全に忘れてますね。

 おそらく、いまのマスゴミ業者は、この言葉を知らな
いのでしょう。知ってるのは、周りだけってことですか。


 ”誰が言った!彼が言った!”だけを書き散らかして
報道と言うなら、テープでお経や木魚の音をテープで流
す腐れ坊主と同じですがな。(笑)

 もっとも、お経や木魚の音をテープで流して済ます坊
主にはいまだにお目にかかったことはありません。自ら
お経を説き、木魚を打つのは坊主が坊主たる根本ですか
らね。

 ジャーナリストの根本は、「事実を知らせること」で
しょうか?それとも、「社会の木鐸であること」でしょ
うか?

 「週間キム曜日」の編集長や筑紫哲也(キム曜日の創
業メンバー)等の言い訳も読んでみましたが、彼らは、
この間の新聞は社会の木鐸か?という問いに答えられな
いようですね。(苦笑)

[2002年12月13日 19時0分5秒]

このテーマについての発言をどうぞ。(管理の都合上書き込み時のIP情報を内部保存しております)

氏名
E-mailURL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。