記事タイトル:「スレブレニッツア虐殺事件」問題でオランダ内閣が総辞職

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お名前: ATTILA   
 4/17日の各紙は、旧ユーゴ内戦で最大の虐殺事件とされる「スレ
ブレニッツア虐殺事件」の責任の一端を感じたオランダのコック内
閣が総辞職したことを報じています。

 「スレブレニッツア虐殺事件」とは、旧ユーゴのボスニアの内戦
で起こった多数の虐殺事件のうち、最大級のものです。少ない見積
もりで数千人、大きい見積もりでは1万人を超えるイスラム系難民が
虐殺されたとみられています。

 この虐殺容疑で、ミロシェビッチ氏(当時連邦大統領)、ムラジッ
チ氏(当時セルビア人系武装勢力司令官)等が、国連特設法廷で裁判
中である。


※「スレブレニッツア虐殺事件」

1、旧ユーゴのボスニア(現ボスニアヘルツェゴビナ)でセルビア正
 教徒系とイスラム系の武装組織の内戦が起こった。
2、国連安保理は多国籍の平和維持(PKO)軍を投入した。
3、スレブレニッツアは国連安保理指定のボスニア6安全地域の一つ
 で、オランダ部隊が管理していた。
4、オランダ軍部隊の基地に、数万人のイスラム系難民が保護を求め
 て来た。その後、セルビア系武装組織が基地を包囲し、オランダ軍
 に住民を引き渡して撤退するよう通告した。
5、オランダ軍司令官は、国連軍本部に基地周辺への支援空爆を要請
 したが、なぜか空爆もなく、増援部隊も来なかった。
6、1995年7月セルビア人系武装勢力(ムラジッチ司令官)が、
 難民の安全地域への送還を保証したので、オランダ軍はイスラム
 系ボスニア人多数を武装勢力に引き渡した。
7、武装勢力は難民男性を家族から引き離して連れ去り、後に7千人
 以上が殺害されていたことが発覚した。


※ オランダ内閣総辞職の背景

 7千人以上のイスラム系ボスニア人が殺害された1995年7月の
「スレブレニッツア虐殺事件」は、国連平和維持軍オランダ部隊に
“大きな責任”があったことをオランダ歴史研究所が指摘していた。
 政府系のオランダ戦争記録研究所も、オランダ政府と派遣オランダ
軍部隊に“責任”があったことを先週認めた。



≪ こめんと ≫
 そりゃそうだわなぁ。鳴り物入りで宣伝した安全地域からオランダ
軍が撤退したり、安全地域の難民を引き渡したりしなかったら、あん
なに犠牲者はなかったろう。

 なんのための「国連」「平和維持」軍なんだい!?

 オランダ軍を撤退させたのは誰なんだい?空爆も増援もしなかった
のは誰なんだい?命令する立場には、コフィ・アナンとか、日本人の
明石某とか、懐かしい名前が並んでるような気もするが・・・?(怒)

 別の場所に居たパキスタン部隊は、戦死者17名を出しながら、武
装勢力の引渡し要求を拒みつづけたという経緯もあり、オランダ軍部
隊の将兵は国内外から批判され、精神的に立ち直れないものも多いと
か。これを、オランダ兵の”ボスニア症候群”という。

 ま、かわいそうだとは思うが、兵隊サンは死ぬのも仕事のうちです。
たったの700名が玉砕覚悟で要求をはね付けてくれたら、その後の
ボスニアの悲劇の多くはなかったろうとぞ思うなりけり。

 この時のセルビア人系武装勢力のムラジッチ司令官は、この容疑で
ユーゴ国際法廷に告発されている。・・・が、

 もちろん、国連安保理事国、国連事務総長(最高司令官)等々の関
係者は告発されてません。

[2002年4月19日 10時45分20秒]

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