記事タイトル:親王の令旨

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お名前: 広嗣
 端的に言うと、綸旨は天皇の命令、令旨はその他の皇族の命令ということになりますが、明治維新以後綸旨だけが勅令や勅語として残りました。

 敗戦後勅令や勅語が廃止されたことで天皇が一般社会に向けて命令を発することはなくなりました。その為、綸旨や令旨も、歴史の中に埋没する運命だったのかもしれませんが、言葉は意味や対象が時代と共に変わるものです。今回皇太子の名で出された文書は、確かに21世紀型の令旨といえるのかもしれません。


[2004年06月26日02時46分]
お名前: 江戸通
 そんしさん、久しぶりです。
 この頃、福井藩の幻のクーデターに興味を持っています。
 坂本竜馬が、松平春嶽の働きがけで禁門の変がなければ
 成功したかも知れないと言われているクーデター計画です。
 内容は、体外代表部を京都に招き、抑えの効く京都で国際
 (国債X)会議を開くというものです。
  長州藩の征伐論と幕府が衝突し、禁門の変となり、逆に
 長州征伐となってしまいましたが…
  主役の松平春嶽は、明治初期まで生き延び、一応秘密は
 守られたようですが?。
  そんしさんの見方は、いつもながら感心させられますね。
  長州藩が、具体的にどんな征伐をしようとしたのかや、
 どんど焼けの真相も明らかになっても可笑しくありません。
  幕末の歴史をみると長生きするものだとよく思います。
  江戸通
[2004年06月12日13時28分]
お名前: そんし
さきごろ皇太子妃の立場を皇太子自らが記者会見の場で爆弾発言のように発表し、おおきな社会問題になりましたが、その後、あらためて文章により、そのことについての詳細を述べられました。

天皇の綸言を文書にしたものを綸旨(りんじ)と呼ぶのに対し、親王が発する文書を令旨(りょうじ)と呼びますが、古来より、綸旨と同じほどに令旨の持つ意味は深く、平氏も、後の時代の鎌倉幕府も、親王の令旨がきっかけとなって全国的な動乱となり、ついには滅亡しています。

さてさきごろ、現代の親王である皇太子が、皇太子妃について文書を発表しましたが、これは非常に珍しいことで、体裁としては古風な令旨と呼べる物ではないかと感じました。

綸旨もそうですが、令旨も、親王自らが筆を執ることはありません。側近が親王の意を汲んで文章にまとめ、親王が、その内容に「うむ」とでも言えば、親王の言葉として発せられることになるのが通例です。

ですので、今回もその例にならったとすれば、その文章は宮内省の役人が皇太子の意を汲んで、公表しても問題のない無難な文言でまとめて作成し、皇太子がその内容に同意したので皇太子の言葉として発せられたと考えるのが自然です。

それほどに四方に特に宮内庁の担当者達に気配りした内容にこじんまりとまとめられているから、なおさらそう感じるのでしょう。

しかしこの文章、宮内省の役人により、活動を制限された皇太子妃について皇太子が感想を述べたのが元々の問題の始まりでしたので、この内容が本当に皇太子の言いたいことのすべてを述べているとは、とても考えられません。

皇太子の希望はかなえる方向で努力する。そのかわり役人の責任については皇太子の言葉として追求させない。という暗黙の取引として発した文章と受け取ったのは、私だけでしょうか?

まあ古来より歴史の変革に、変革者側が大義名分を求めて要求したのが実態と言われる「令旨」ですが、そのシステムを親王の自らが利用したという事になるのかも。

[2004年06月12日09時02分]
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