記事タイトル:あの時あった物 また いま

書き込み欄へ 記事一覧に戻る
お名前: ATTILA
 野坂昭如なんかを焼跡闇市派というのだそうですが、焼跡闇市の話は、
いろいろ聞いてます。五木寛之?の「??アパッチ族」とかを読んで、
舞台の大阪造兵工廠跡(大阪城公園)に自転車こいでかっぱらいに行き
もしましたね。

 残念ながら、瓦礫だけで鉄屑屋に売れそうなものは見つからなかった。
あったりまえだよねぇ・・・、20年も後だもん。(^○^)

*****************************************************************
「03年は7月頃から韓国や米国からのコメが大量に入って来たが、軍、警察、一級企業所(国家的重要度の高い製鉄所や鉄鉱山、軍需企業など)に配給された。でも、それも代金は払わなければならない。また、軍隊や一級企業所に入った支援食糧は、幹部たちが市場に横流ししている。もとはただでもらった米だから、幹部たちはボロ儲けだ。ただ、韓国からの米が市場に入って値段が下がったのは確か。一時は白米一キロが300ウォンまで上がっていたのが180ウォンぐらいに下がった」(Cさん)


「第4回 拡大する貧富の差――破綻を深める北朝鮮経済」(04年1月23日 石丸次郎)
http://www.asiapressnetwork.com/urgent/20040123/20040123_01.html
*****************************************************************

 これは、日本の昭和20年代前半に起ったこととまったく同じなのです。
物資不足のなかで、職場に支給される特配の社員向け食糧や工場原料が抜
かれるのですね。

 あるいは、都会の縁者に密送する鉄道荷物や郵便小包の米が、警官に摘
発されました。そして、摘発された差し押さえ品が、なぜか闇市に出回る
のです。警官が摘発品を横流ししたってことです。

 こんなことは、政府にいくら言っても無駄でしょう。連合軍司令部(G
HQ)から、なんども警告文書が発せられてますが、生きていくために警
官でさえ抜くというか、立場にいるからこそ抜いてしまうような物資不足
の中で、いくら警告したってなくなりゃしません。
[2004年01月29日00時07分]
お名前: ATTILA
> 千人針と言うと「武運長久」を連想する人も少なくないで
>しょうけど、元来は「弾除け祈願」でした。

 五銭玉と十銭玉をサラシ帯に縫い付けて、「死線を乗り越え、
苦戦を超える」でしたっけ・・・

> 明治政府の下、徴兵制が施行されると、様々な方法で徴兵
>忌避が試みられました。勿論率先して兵隊になる「日本臣民
>の鑑」も少なくなかったでしょうけど、鑑ばかりでは成り立
>たないのが社会で、次第に権力にとってのこうした「不心得
>者」の抜け道が狭められてゆきます。

 うちのオヤジは、M大学のテンプラ学生になって、会社勤め
で授業料だけ納めてました。(^○^)

 で、勤務先が海南島の某社鉄鋼山。けっこうロウムシャが亡
くなったようです。クーリーは日給制だから、病気になると飯
が食えずに死んじゃうとか・・・

 軍需産業だから、徴兵が見送られたらしいですね。ま、体の
良い徴兵逃れです。が、就職後一年もしないで現地徴集、なん
と6ヶ月も帝国陸軍に強制連行されて(^○^)、そのまま終戦→
抑留。三年後にジパングの土を踏んだようです。
 

[2004年01月15日00時25分]
お名前: ATTILA
斜対歩、側対歩

 ご存知の方はご存知ですが・・・

 モンゴル騎馬軍団が何故強かったかというと、騎乗するモンゴル
馬は側対歩だったからであります。

 四つ足で歩行する場合、右前足の次に右後足を出し、ついで左前
足、左後足という順番が側対歩。右前足の次は左後足、左前足、右
後足の順番になるのが斜対歩となります。

 で、斜対歩は、スピードが出るが体が大きく揺れ、また、前足と
後足がぶつかって蹄動物は怪我することも少なくありません。それ
に対して側対歩は、揺れが少ないので、騎乗者は疲れないのですね。

 昨年、NHK人間講座?で古武道をやっていたのですが、講師によ
ると、江戸時代までの日本人は側対歩で歩行してたのだそうです。

 今は、斜対歩ですね。明治時代に、学校教育で矯正したのだそう
で・・・
[2004年01月14日22時22分]
お名前: ATTILA
<主な「絶滅のおそれのある日本語」>

・父母の口癖 「お天道様に申し訳ない」「夜なべ」「人聞きが悪い」
・あいさつ 「お足もとの悪いところ」「お膝(ひざ)送り」
・仲間うち 「がってん承知の助」「おためごかし」「うちの宿六」
・男女 「べっぴん」「おきゃん」「乳母(おんば)日傘」
・美しい表現 「夜もすがら」「そこはかとなく」「たおやか」
・常識語 「惻隠(そくいん)の情」「日和見」
・悪態 「おたんこなす」「ちょこざいな」「唐変木」
・ことわざ 「磯のアワビの片思い」「引かれ者の小唄」
・語呂 「来たか長さん待ってたホイ」「感謝感激雨あられ」
・たとえ 「川の字に寝る」「舟をこぐ」「かまとと」

http://www.asahi.com/culture/update/0105/001.html[2004年01月06日01時16分]
お名前: 広嗣
 千人針と言うと「武運長久」を連想する人も少なくないでしょうけど、元来は「弾除け祈願」でした。

 明治政府の下、徴兵制が施行されると、様々な方法で徴兵忌避が試みられました。勿論率先して兵隊になる「日本臣民の鑑」も少なくなかったでしょうけど、鑑ばかりでは成り立たないのが社会で、次第に権力にとってのこうした「不心得者」の抜け道が狭められてゆきます。

 合法的な徴兵忌避の手段が殆どなくなり対外戦争が始まると現れたのが、千人針でした。本音と建て前を日本は使い分けるとも言われますが、本音は「弾除け」、建て前は「武運長久」と言うところでしょう。


                                  広嗣

[2003年10月26日01時41分]
お名前: グーグー
ちょっと古めかしいものですが、千人針のことを思い出しました。


http://www.nishi.or.jp/~kyodo/tenji/senji/12/sen1.htm

http://www.netlaputa.ne.jp/~yume539/kire/haiku067.htm

まあ 興味があれば覗いてください。
[2003年10月24日16時43分]
このテーマについての発言をどうぞ。(管理の都合上書き込み時のIP情報を内部保存しております)

氏名
E-mailURL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。