お名前: oj
gdfj
[2004年01月19日10時19分]
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お名前: 広嗣
えっと・・・、今読み返して気付いたのですが、7行目の「石器の年代は」は、正しくは「土器の年代は」でした。
広嗣
[2003年07月09日23時23分]
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お名前: 広嗣
弥生時代の始まりが遡るという説と、その説が与えた波紋を、月曜日の「クローズアップ現代」が取り上げていました。そこで感じた疑問ですが、まず「土器編年」。出土した土器に「何年製」という表記があるという話は聞いたことがありませんが、偶々中国の年代の入ったものが一緒に見付かると、その土器はこの時期に使われていたものとして時期を当て嵌めてきたそうです。しかし、同じところで見付かったと言うだけで他に同時期であることを証明するものはありません。先年発覚した「神の手」による石器の捏造と同じで、石器の年代は、研究者の恣意的な判断で決めてきたものでしかありません。同じ弥生時代なのに、別のところでは「伝世鏡」という概念を持ち出して、中国(後漢)の鏡とされるものを、同時代のものではなく代々使ってきたと言っています。
もう一つは、初期のものと中期のものとされる土器が見付かった水路の深さです。今回の説が正しければ、この二つの土器の間の深さが、浅過ぎると言っている人がいました。しかし、この人は、人はある施設を作れば維持管理をする、ということを忘れているのか、無視しているのでしょう。初期の土器を使っていた集団がどれくらいの期間その地にいたか判りません。しかし、水路として使っている限りは、土砂で埋まってくれば浚渫をするなどすることは容易に想像できます。水路が埋まったと言うことは、維持管理が行われなくなった、つまりその地にいた人々がそこを放棄したということです。研究者は職場の担当としては営繕に関わることはまずないでしょう。しかし、職務の問題とは本来無縁なんですけどね。
広嗣
[2003年07月09日00時25分]
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お名前: aaaaa URL
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa[2003年07月07日22時51分]
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お名前: aaaaa URL
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa[2003年07月07日22時51分]
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お名前: 自慢話 2
一回しか言わない話の類では、加太こうじさんのおじさんだったか、兄にさん
だった記憶に定かではないのですが、李鴻章に感冒を移した猫というのを、日本
に持ち帰ったというのもありました。懐が深いのが自慢だったようで、猫には、
辟易すると言ってました。
ところで、記者会見上の混乱はあるのでしょうが、加速器器質分析が行われた
のは、福岡県(市)南部の遺蹟から発掘された130点で、他はこんごという、
御発声だったと記事にはあるようですが。
あの猫より悪いやつですか。(-_-メ)だから、日清戦争に勝てたんだ。
江戸通[2003年05月28日20時49分]
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お名前: ATTILA
あっ!違うみたい・・・
> これらの年代の整合性を確かめるために、前後する時期の試料、同時期の韓国や東北地方の試料の年代を測定した結果、以下のことがわかった。
>1) 韓国の、この時代に併行するとされる突帯文土器期と松菊里期の年代について整合する年代が得られた。
>2) 考古学的に、この時期と前後する土器の型式をもつ土器の試料の年代値と考古学的編年の間にはよい相関が得られた。
>3) 遺跡における遺物の共伴から、同時代とされる東北地方の縄文晩期の土器の年代と強い一致が得られた。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/news/index.htm
つまり、朝鮮半島の出土品も、東北地方の出土品も
同じく(並行して)遡るようですね。
つまり、弥生タイプ文化も朝鮮半島の文化も絶対年
代が繰り上がる可能性ありつうことですね。
[2003年05月28日15時33分]
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お名前: ATTILA
暦博の発表をざっと読んでみると、弥生時代が遡るのは、
可能性として述べているようですね。
つまり、弥生式土器の年代測定は遡ったが、その時代に
弥生式土器があっても、弥生(文化)時代とは言い切れな
いという意味だと思うのですが・・・
[2003年05月28日15時19分]
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お名前: 江戸通
>弥生時代という名称は、文化を基準とする時代区分ですけど、
>弥生式土器は一つのメルクマールであって、その他の文化要素
>を総合したものだと思うのですね。
ATTILAさんのご意見もなかなかだとおもいますが、130点にも
及ぶ出土品と加速器をも使ったC14の分析の結果が、いずれも、定説を
500年は遡ることが、報告された記者会見上は、立錐の余地もないほど
で佐倉の暦博関係者も興奮気味であったことが報告されています。
質問者は、「鉄器はどう理解すればいいのか」など真剣な議論もされた
ようです。詳しい話はまだありませんが、
SARSじゃありませんが、スーパースプレッターとか言う人が、河北省
か山東省辺りから文化を持ち込んだのでしょうかね。
___________
追伸 ぶちゃけ 上野は割とでかけるのですが、彰義隊資料館は、
入ったことがありませんでした。加太さん(文士、紙芝居作家)なんかは
よく、彰義隊で威張ってましたね。
江戸通
[2003年05月27日20時40分]
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お名前: ATTILA
弥生時代という名称は、文化を基準とする時代区分ですけど、
弥生式土器は一つのメルクマールであって、その他の文化要素
を総合したものだと思うのですね。
安土桃山時代も、安土城完工以前にも安土桃山タイプの文化
は始まっているでしょうし、聚楽第が焼失したあとも、文化的
には継続してるのでしょう。
おういう意味では、絶対年代に対してはずれることもあると
思いますね。
[2003年05月25日22時06分]
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お名前: 江戸通
山口県西部で発見された大量の人骨がDNA鑑定の結果、
山東省当時の田氏斉からの大量の移民かと報道された記事
が記憶に割と新しいです。
これが、西周となると太公望の末裔の国からの渡来!と
なってしまいますね。
中国の歴史教科書では、当時の中国は奴隷制が敷かれて
おり、挿絵には奴婢5人が、馬一匹と糸一束と交換された
記事が青銅器に書かれたことが紹介されていますね。
また、金文というか詩歌にも稲作がかなり行われている
事も紹介されています。実際、山東省で当時稲作が一般的
であったかは、疑問がありますが、宮廷でも重要な地位に
あった斉の公卿は、詩歌を尊ぶ風潮も記事にあり稲作も、
問題(?)ありませんね。詩歌で謳うという事がどう楽し
まれていたかもわかるかもしれませんね。
都市(邑)が導く時代から、都市(邦)が次第に領域国家
に発展するを想定していたのが、天子=幹、士=枝、平民
=葉を想定した宗という支配組織であった時代と教えられて
いるそうです。
国といっても弥生といっても当時の社会が解明されていく
ことが楽しみですね。
江戸通[2003年05月23日07時23分]
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お名前: 広嗣
稲作は既にこれまでの区分で言う縄文時代に始まっていたことは明らかになっていた話で、紀元前8世紀の「弥生式土器」が発見されようがされまいが、稲作と弥生時代を結びつけるのなら、もう何年も前から弥生時代は紀元前3世紀より前に始まることになっていたはずです。
ところで、今回は弥生時代の始まりが話題になっていますが、では、終わりはいつなのでしょう。ひねくれ者の広嗣は、弥生時代はまだ終わっていないと言えるのではないかと考えています。縄文時代も然りです。縄文式土器も弥生式土器もとっくの昔に廃れましたが、焼き上げる温度だけに着目すると、今も「縄文型の」茶碗も「弥生型の」茶碗も、ともに使われています。そして、稲作と弥生時代を結びつけるのなら、パン食も増えたとはいえ、米も健在です。
文化史の縄文時代と弥生時代についてふと感じた疑問でした。
広嗣
[2003年05月23日00時12分]
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お名前: ATTILA
「弥生時代が遡る」云々は、歴博の発言か、マスゴミが
そない解釈したかつう問題なんでしょうね。
北九州の出土土器の編年が500年遡るつうても、アホ
なマスゴミが理解出来るとは思えませんしね。
そいえば、先月、とある飲み会でマスゴミ業者もいた
んですが、「イラク軍が橋を落とさなかったのは理解出
来ない」とか言ったら、「そりゃ、米軍には特殊部隊が
あるから、破壊を阻止したんだろう!」とお説教されま
したね。(苦笑)
何百とある橋を、軽装備のとくしゅぶたいで守備し切
れるかってんだ。(笑)
[2003年05月21日23時12分]
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お名前: 江戸通
おおっ!喧嘩だ喧嘩だすげー。
http://news.fs.biglobe.ne.jp/news/photo/jj030520-1329303.html
中国からの技術移入だとすると西周あたりになるのでしょうか。
むべなるかな、むべなるかな、文化が僻地までも照らす。
大王の徳も栄えるなり。
っというところですね。共和(元号です)当たりがあるとよかったんですが
古くてもいいんじゃないですかね。リンクでもスパスパですので、お早めに!!
江戸通[2003年05月20日21時41分]
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お名前: ATTILA
こんちわ
弥生時代の名称は、文化史なんでしょうね。
ーーーーーーーーー弥生時代ーーーーーーー
−−−−−−−古墳時代ーーーーーーー
ーーーーーー飛鳥時代ーーーーーーー
模式的には、こんな感じなのでしょうか?
あっ、拙文は、朝鮮半島から米造り民族が大量に移民したから
弥生時代になったとかの史観に対する疑問でございました。
[2003年05月20日21時08分]
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お名前: 広嗣
以前にも似たような話が話題になった気がしますが、縄文時代や弥生時代と飛鳥時代以降の呼び名は、区別して考えるべきです。飛鳥時代から江戸時代までは政治上の実権を握る者のいる場所から名付けた、謂わば政治史です。しかし、縄文時代や弥生時代は、考古学の分野でもありますが、出土した土器に着目した文化史です。
政治史なら何年何月何日に誰某が何処そこに都を定めたというように明確に起点となる年を決められます。しかし、文化史となると、地域や人それぞれの考え方によってその始点は様々です。今回の発表も、弥生時代の始まりが紀元前10世紀なる可能性が指摘されているだけで、縄文時代と弥生時代を分けるのは、紀元前3世紀のままということもあり得ないわけではありません。
弥生時代といっても、東北地方はやがて「後縄文時代」と呼ばれる時代に移ってゆきますから、弥生時代云々と言っても日本列島の中でも限られた地域の時代区分でしかないはずなんですけどね。まぁ、古代史学は「近畿」中心史観だから、こんな無理も平気でできるしょうね。
広嗣
[2003年05月20日00時11分]
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お名前: ATTILA
> 「弥生時代の始まりは紀元前10世紀にまでさかのぼる可能性がある」と、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループが19日発表した。
>日本列島で稲作が始まった歴史的背景が全く違ってくる。従来、中国の戦国時代の混乱で生まれた難民が朝鮮半島から稲作を持ち込んだと理解してきたが、その時期が戦国ではなく、西周〜春秋時代になってしまう。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20030520k0000m040056000c.html
前々から、土器とか織物ならともかく、基幹作物を持った移
民・難民が短期間に大量に移動するつうう考え方は、どこか無
理があると思ってましたので、わが意を得たりの記事です。
が、C14法の誤差もありうるし・・・
[2003年05月19日21時33分]
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