記事タイトル:史観】稲作騒ぎはトラウマ /ATTILA

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お名前: さきんこ   
どうして足跡は今でも残っているの??

[2002年4月18日 18時30分46秒]

お名前: しばい   
 キカイガ島周辺のカルデラの調査から、南方の島伝いの弥生文化
縄文文化の伝播は、どうやら大打撃を受け沈黙したらしいですね。
NHKの日本人の旅で取り上げられるようです。現在のフィリピン
インドネシアあたりの交流は、沖縄博でも取り上げられていますが
阿蘇を含む火山活動により、文化圏としては壊滅した模様です。
 いなだまとして知られる存在が、南の島を渡ってきたという神話は
民俗学のテーマでありますが、揚子江での稲作が、最近、2千年ほど
古く見積もるべきだというインパクトが、大きいですね。
 当時の海岸線は、現在よりだいぶ内陸部でCGによる解析もかなり
難航している模様です。
 現在、揚子江と黄河を運河でつなぐ事業が始まっていますが、
黄河でも、古代の海岸線まで水が届かないという事態が発生していますが
揚子江は水量が豊富なのでそんなことがなかったのです。
 解ってもらえますか、ご承知のように、黄河は、麦を中心とする文化で
トルコでは、氷河時代があけてまもなく、麦作が組織的に行われている
遺跡が既に発見されていますが、中国では発見されていません。
 氷河時代というのは、寒冷地が増えているが、北方のステップのような
気候がどこにあったかというのがポイントかな。
 歴史が科学でいられるか?あんがいしんどいらしい。
 技術が、高級かという議論には耳をそばだてましょう。

[2001年9月8日 16時19分8秒]

お名前: attila   
 史観の問題ですけど、歴史考古学の分野に限らず、我々現代人が持って
いる共通した幻想として、”人類社会は進歩発展してきた”というパラダ
イム(規範:モデル)があります。右肩上がり思考という化け物です。

 歴史考古学分野では、次のような図式を描いているわけです。

 狩猟採集社会→(発展)→農耕社会→(発展)→産業(工業)社会

 唯物史観に限らず、皇国史観だって、他称「自虐史観」だって、今度の
自称「自由主義(実態は国粋主義)史観」だって、およそ歴史観なるもの
は、「社会の発展→行き詰まり→《新体制》→社会の発展→行き詰まり→
《新体制》→社会の発展・・・」という図式を持っていると思います。

 これは、オイラも持っているもので理屈抜きなんですね。はっきり言っ
て、過去はともかく未来を右肩上がりで考えないと、自分の存在が悲しく
なっちまうわけです。(・_・)

 で、縄文時代の社会を狩猟採集社会と捉えれば、弥生の時代社会は是が
非でも農耕社会でないと困るのですね。逆に、弥生時代を農耕社会と捉え
れば、縄文社会は原始的な狩猟採集社会でないと困るわけです。(^^;

 おまけに、数百年に及ぶ米金本位制社会を経験してきたせいだと思いま
すが、日常用語にも水田農業に関する用語が頻繁に使われますから、農業
=イネ栽培=水田耕作つうのが三位一体でトラウマになってるんじゃない
でしょうかね。

 しかし、狩猟採集社会→耕作(農業)社会の形成→王権の形成→国家の
形成 つうのは一種のパラダイムであり、証明が必要なことでしょう。

 さらに、近年イネのプラントオパールが発見されるようになって考え出
されたのが、水田=高級、畑=低級というパラダイムじゃないでしょうか。

 で、縄文時代を高く評価したい連中は縄文時代の水田を探し、弥生時代
を高く評価したい連中は、縄文時代は畑作だと言いたい・・・、各々の
”イネの実を栽培する農業に対する思い入れ”の違いが用語の違いになる
のでせう。

 どうもうまく説明できませんが、用語のばらつきにはパラダイムを意識
しながら発言する人と、農耕を教科書レベルで受け止めている人の差もあ
るような気がします。
 後者の場合は、古代の水田作と畑作との違い、現代農業と古代農業の技
術的乖離も理解できてないと思います。平気で、水田=高級技術、焼畑=
原始的農業なんて発言する人がいますもんね。

 ATTILA

ps;実験的に、これはtopページ掲示板にもupしてみますか。(^^;

[2001年4月24日 22時20分2秒]

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