記事タイトル:東夷の世界の漢文化(20)

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お名前: 素里奈
「箜篌引(コンフイン)」の曲と、その詩文にこだわる理由は、楽浪期(前一〇八年前漢の武帝に始まり、三一三年高句麗に滅ぼされるまでつづいた)には、すべての文化が漢のそれを模倣し、漢文字は勿論、木製食器に漆をぬることまで、受身の状態でありながら、この詩文・曲に限って、朝鮮が創意者的に描写されている点である。漢人が主導的な位置に在って、地名も十一県に分かれており、すべて漢風の県名の一県、つまり首都(首府)の名が朝鮮県であった。そしてそこに住む朝鮮人が南下民族である漢人とは、別な原住民・朝鮮人であった。冒頭の曲名と、そこに登場した人物、楽器そして詩文もみな朝鮮のオリジナルである風に描写されている点にも興味がある。しかもその歌詞の内容は明代の憑維訥の『古詩紀』に朝鮮からのものとして伝えられて、漢代楽府に載ったとある。
次回は、一部重複するが、いままでのように、漠然とした四方山話でなく、今少し踏み込んで歴史書を参照することにする。

[2005年03月23日01時20分]
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