記事タイトル:世界初の金属活字本(2)

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お名前: 素里奈
『仮面に捧げる祈祷』
仮面たちよ オー 仮面たちよ
黒い仮面、赤い仮面、そして白くて黒い仮面たちよ
聖霊の意気遣いが四方に立ち込める仮面たちよ
私は沈黙してあなた方に挨拶します!
一番おわりのあなた, 獅子頭を持つ祖上のあなたはあなた自身にあらず
あなたたちは旅人のすべての笑い、選ばれたもののすべての媚笑が禁じられた場所を守っています。
あなたたちは永遠の大気を掛けて十干を創造し、私はその中に己の先祖の大気を呼吸します。
あなたの容貌に倣って
この肖像を、白い宗彝の蔡壇にこうべを垂れる己の顔を映し出した仮面たちよ、
私の話を聞き届けておくれ!
         
     Leopold Sedar Sengghor, 1906年
        (筆者注:原作者Sengghorは李朝末期に朝鮮半島に来た宣教師と思われる。名前のスペリング最初のeと次のeの上部に‘ が付く名前なので、欧州地区から派遣された布教使節の一人だったとも考えられる。キム ファ ヨンと言う方がハングルに翻訳してある紙片のものを、ここに再び日本語訳して収録した。ふたつの言語を重ねて翻訳された結果、オリジナルの韻律を損ねたであろうことが気にかかる。)

[2005年11月28日14時55分]
お名前: 素里奈
本稿立ち上がり(3)そして(4)で「買忽」・「水城」を吏読読みして中国漢字本来の字義や読みと、そして意味とは離れた借用文字で読んだ、と参照した。前者を:−「me hor」,後者を[makuru]として[mur]水、そして日本語の「mizu」に転訛させて、その語源になったのではなかろうか、と、解釈してそう描写した。

一方、筆者(素里奈)のそれとは、聊か異なる見解をもつ先生方もいらっしゃるようである。手元に『古代日本 文字の来た道』・歴博フォーラム・大修館刊05.03.31日発行があり、現役の教授方のディスカッションを書物にしたものとしては筆者の知る限り最新刊である。 「発音から見た日本語と朝鮮語」77page(発音の項4頁目:−)
“たとえば『三国史記』に、高句麗について「買忽一云水城」という記述があります。これは、新羅で「水城」という名で呼んでいる地名を、高句麗では「買忽」と呼んだ、という意味です。この「買忽」の二字が発音をしめしており、「mai Xor」というふうに発音していたということがわかります。このような資料で調べてゆくと、どうやら百済や高句麗の地名に、発音が母音で終るものが固まって出てくる。そういうのが根拠になっています。”   と、なっている。
もっとも、そう描写なさったA教授は「発音」音声を主題としてのお話であり、水の語源を求める話ではないし、無闇に他者の論説を批判すべきものではないが、筆者(素里奈)の印象としては、何ともドメステイックな、と、いうか一方通行ライクな解釈に思える。ボタンの掛け違いではなかろうか。また「買忽」「水城」両者とも地名から[mur]の代名詞のように変ったとされる舞台(注:吏読文字が最初に使用され始めた地域)は高句麗でのこと、念のため『三国史記』を調べなおしたが、  “買忽(水城ともいう)とあり、「括弧で地名(「買忽」)の下部に併記して」(現在の京畿道水原市)” とある。 同教授が後者を新羅の地名としたのは何を根拠にしたのか迷うところである。もし新羅に「水城」の地名があって[mai Xor]と読まれたとしても,噛み合わせの悪いすっきりしない話と思うのは筆者一人だろうか?なお古代「吏読」文字の流行の経路は、高句麗一百済一そして最後に新羅へと相当・年月を要しながら伝播されたものである。つづく・・・・

[2005年11月06日19時08分]
お名前: 素里奈
このように見ると、高麗ではすでに一三世紀頃には金属活字を造って本を刷ることが活発に行なわれ、金属活字の発明は、それ以前の一二世紀であったとしても無理はないだろう。その例として、一二世紀頃造られた金属活字が国立博物館に保管されている。大きさが1.1x1.0cm、真鍮を注いで造った〈ふく〉山復を一字(山の下部に腹をを劃?とする文字)字がまさにそれである。この活字は、開城(kue-shueng)付近の高麗王陵で発見されたが、一九一三年(明治政府が、朝鮮半島を呑みこみ始めたころ)朝鮮半島をうろつき始めた山師(盗掘屋?の仲間)日本人の古美術商が王宮博物館に売りつけたものだという。
[2005年03月07日21時04分]
お名前: 素里奈
ユネスコの発表以後、韓国民族がはじめて金属活字を作ったのであると認められるようになり、世界的に権威ある事典の「金属活字」項目は改定された。
では、金属活字は一体どのように発明されたのだろうか。現在、高麗大学の図書館に所蔵されている『清涼答順宗心要法文』は、一二九七年から一二九八年の間に刊行された本で、その中の一枚が金属活字で印刷されている。これは、前掲『直指心経』より実に八0年も早い。
それだけでなく、一二三九年に刊行された『南明泉和尚頌證道歌』という本の跋文をみると、江華遷都以(フビライ軍の侵攻を逃れて王都を江華島へそっくり移転)前に金属活字で刷られたものをあらためて木版本にかえて刷った。と書かれている。つづく・・・・

[2004年11月29日18時47分]
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