お名前: あーや
平清盛(たいらの きよもり)と源義朝の権力争い。
平清盛にやぶれ、父 源義朝は殺される。
源頼朝はとらえられ、池禅尼(いけのぜんに)(平清盛の継母)に助けられる。
1160年 源頼朝は静岡県の伊豆(いず)に流される。
「平氏にあらずんば、人にあらず」
源氏(げんじ)がおとろえ、平氏の栄える時代になる。
1180年 以仁王(もちひとおう)の「平氏をうて」の命令を受けて、兵をあげる。
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石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)で平氏の軍にやぶれ、千葉県ににげる。
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関東で源氏に味方をする武士を集め、鎌倉に入る。
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富士川の戦い(ふじがわのたたかい)で平氏の軍をやぶる。
侍所(さむらいどころ)(武士を統率する役所)をおく。
1184年 弟の源範頼(みなもとの のりより)、源義経(みなもとの よしつね)に平氏の軍
を追わせ、戦いをさせる。(源平合戦)(げんぺいがっせん)
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平氏(へいし)を京都から追いはらう。
政所(まんどころ)(政治・財政を管理する役所)をおく。
1185年 源義経が壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)で平氏をほろぼす。
源義経と対立するようになり、源義経をうつ。
守護(しゅご)(軍事・警察の働きをする)と
地頭(じとう)(年貢を取り立てる)をおく。
1189年 にげていた源義経が、東北地方の藤原氏(ふじわらし)にうちとられる。
東北地方の藤原氏(ふじわらし)と戦い、ほろぼす。
1192年 征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、鎌倉に鎌倉幕府(かまくらばくふ)を開く。
1199年 死 去(53才)
[2004年06月23日16時04分]
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