記事タイトル:清少納言について

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お名前: マイリ-
清少納言と定子の関係ってどのようなものか教えて下さい★☆★藁


[2007年01月08日13時21分]
お名前: 百々
清少納言が随筆した枕草子は一条天皇の定子を喜ばせるために随筆されたそうですよ。
[2007年01月05日00時52分]
お名前: チャーミィー
ふっくさんも、塾習ってるんですか!私も塾習っています!私のところの塾の先生は、枕草子を読んだ事ないそうです!塾の先生なのに・・・・みたいな感じです!!
[2006年08月18日22時02分]
お名前: ふっく
小6ですか!(私は、埼玉県です)
そうそう、「枕草子」なんですが、(塾の先生の話では)どうやら 日常で起こったことを随筆として書いたものであって 結構面白いらしいですよ! 私も読んでみたいです。
[2006年08月08日22時13分]
お名前: チャーミィー
源氏物語っておもしろそうですね!
私も小6で〜す!(ついでに福岡県です)
今夏休みの作品作りに困ってま〜す!(すいません!いらない情報でした!!)
[2006年08月08日18時33分]
お名前: ふっく
「源氏物語」は、光源氏という男性が主人公で 自分が気に入った娘をもらいさらに自分の好みにするために育てる恋愛物語です。「枕草子」の方は、まだ私も読んでません!  
「枕草子」より「源氏物語」の方が有名で 「枕草子」は あまり売ってないようです。
ところで チャ−ミィ−さんあなたは何年生ですか? 私は小6です。
[2006年08月05日11時05分]
お名前: チャーミィー
源氏物語っておもしろいんですか?私、枕草子も源氏物語も読んだ事ないんです・・。どんな内容なんですか?
[2006年08月03日20時43分]
お名前: ふっく
私のクラスには、そういう人はあまりいないけど 紫式部のことが嫌いという人はいるよ! でも、「源氏物語」と「枕草子」だと「源氏物語」の方が人気だよ!
[2006年08月03日11時37分]
お名前: チャーミィー
なんか、私のクラスでは「清少納言って意地悪そうじゃない?」とかいう意見がすごく多いんです!その言葉を聞くたびちょっと悲しくなります!!ふっくさんみたいな清少納言の事、好きな人がいて、めっちゃ嬉しいです!これからも宜しく!!ふっくさんのクラスでも、そうゆう事を言う人いますか?
[2006年07月31日19時41分]
お名前: ふっく
チャ−ミィ−さん 私は、清少納言の方が好きです。
[2006年07月31日17時23分]
お名前: チャーミィー
みんなに聞きまーす!
清少納言と紫式部どっちが好きですか?
[2006年07月28日20時59分]
お名前: チャーミィー
今、夏休みの自由研究で清少納言の事を調べているんですが、図書館に行ってもあまり資料がありません!なにか少しの事でもいいので、教えてください!!

[2006年07月28日20時52分]
お名前: ふっく
ドッグさん 私も 清少納言が大好きです。
[2006年07月14日22時37分]
お名前: ドッグ
清少納言がだい好きです。みなさんはすきですか
[2006年07月12日14時07分]
お名前: ふっく
枕草子や源氏物語には かな文字 といって当時女性にしか使われなかった文字が使われているそうです。また 紀貫之(男性)はかな文字を使ってみたいあまりに 自分を女性にたとえ 当時男性にしか書かれなかった 土佐日記 にかな文字を使ったそうです。
[2006年06月29日22時14分]
お名前: ふっく
コンニチハ(^0^)”
清少納言についての資料がありません・・・一学期中に清少納言についての新聞を書かないといけないので どんな小さな事でも良いので教えてください!!   お願いします!!!!

[2006年06月29日21時42分]
お名前: ふっく
お父さんに聞いたんだけど・・・ 「枕草子」って結構面白いんだって! 学校の図書室にも置いてある学校があるらしいので、ぜひ読んでみてください(^7^)/
(ずっと言ってなかったけど私も小6です!)
[2006年06月27日23時52分]
お名前: ふっく
え! 清少納言と紫式武ってあったことないんだ!  初めて知った!!! 加奈さんすごーい!
そうそう 清少納言と紫式部だと 紫式部の方が若いんだって! でも清少納言は紫式部に詩の対決で負けたらしいよ!
[2006年06月27日23時37分]
お名前: あい
みなさんすごーい
[2006年06月27日14時32分]
お名前: 加奈
今、学校で歴史新聞作ってるんだけどすごい参考になった!あのね、この前図書館で調べたら紫式部と清少納言は実際に会ったことはないんだって。あっちなみに加奈も6年生だよ、祐奈ちゃん!
[2006年06月23日16時51分]
お名前: ふっく
あの、りっちゃんとりんごって学校どこですか?私の友達と同じニックネームなので気になりました。もしよければ返事を下さい!お願いしまーす!
[2006年06月22日22時44分]
お名前: ふっく
私は、今ちょうど学校の調べ学習で、「清少納言」について調べていたのでものすごーく助かりました!
みなさんすごいですね(!0!)
[2006年06月22日22時23分]
お名前: 亜希
とても、清少納言についてたのしく分かりました。
ありがとうございました「−−」
小6
[2006年06月22日10時02分]
お名前: 奈緒美
学校で歴史新聞を作ってまーす。ほとんどの人は、
奈良の大仏、はにわ、ですが、わたしは清少納言を
かいていまーす。(小6)

[2006年06月21日19時51分]
お名前: 祐奈
とても勉強にやくだちました。
私、じつは・・・・小学6年なんです。
ありがとうございました。
[2006年06月21日10時14分]
お名前: 麻奈美
私は清少納言好きです
これからもお話に入れさせて下さいねー
[2006年06月19日21時41分]
お名前: 麻奈美
私は、清少納言の特徴だけ簡潔にまとめてみました。
まとめの参考にしていただけたら幸いです。

☆父親が59歳の時に生まれ落ちる
☆有名歌人の娘で、それだけに強いコンプレックスがあり歌を歌うのを拒んだ
☆紫式部の日記によると、醜い顔立ちだったとの事。しかし、意識する余りの反抗心とも考えられている
☆名前は、彼女が女房として宮廷に出仕する時主から与えられた名前であり本名ではない
☆本名は、「なぎ子」であったのではないかという研究が進められている
☆清原氏の出身だったため、それの名残として「清」という姓が付けられ、少納言は官職名なのだが、女性に官職は直接的なものではないので、軽く転移して使用された者と顧慮されているが、根拠、証拠は挙げられないので不詳
☆母は不詳。しかし、父の深い愛を受けていたらしい

[2006年06月18日22時54分]
お名前: 萌〜(’>’)
晴美さんぁりがとぅ〜ごじゃぃまちた。
すんごくぉべんきょになりまちた〜。
[2006年06月18日17時40分]
お名前: りっちゃん
清少納言さんって紫式部さんを、どうおもっているの?
枕草子を、よんでみたいですわ。
[2006年06月17日11時58分]
お名前: 優ゆう
ありがとうございました(−е−)/
↑↑勉強になりました!!

[2006年06月16日20時57分]
お名前: 姫
清少納言ってかっこいいですよね。大好きですわ。ぉほほ☆

[2006年06月16日11時06分]
お名前: こん
いいと思います!せいしょうなごんってかっこいいー
[2006年06月16日11時03分]
お名前: フレンドリィ〜
清少納言のことについて、詳しく教えてください!!
[2006年06月14日21時48分]
お名前: セナ
紫式部の日記によると清少納言はかなりブスだったらしいヨ!!
[2006年06月12日16時15分]
お名前: りんご
清少納言の性格は、気が強く、自慢しまくり?だったらしいYO!
[2006年06月10日13時57分]
お名前: りんご
女性の貴族が扇子?で顔を隠しているのは、なぜ?

貴族の時代、部屋に窓がなく暗いので人の顔が、よく見えません。そのため、目立つため女性の貴族は厚化粧をしていました。そして、笑うと・・・顔にひびが!!!なので笑わないように顔を隠していたのです


[2006年06月10日12時06分]
お名前: ???
清少納言ってどんな性格なんでしょうか??
知ってる人、教えてください。

[2006年03月11日16時31分]
お名前: 桃
あたしは、今国語の学習で清少納言について調べてるんだけどいい資料ありません・・?
[2006年03月01日21時04分]
お名前: 歴史、動物博士 みう
ちわーす!動物博士 みうどえーーーす!
すごいなー!みうね、動物博士でありながら、歴史博士でもあるけどお、清少納言については何にも知らなかったのよお!いまねえ、卑弥呼について研究ちゅーどえーす!
(ちなみに、13才です(@u@))
[2006年01月28日14時16分]
お名前: セレーナ
でも、調べるだけでもすごいと思うよ。

[2005年11月20日10時19分]
お名前: 瑠璃
でも晴美さんこれインターネットのやつ丸写しですよね。私さっきインターネットやってたらこのやつ出てきてたし。。。これって本当に晴美さんの知識じゃないですよね。
インターネットの知識ですよね。

[2005年11月14日18時58分]
お名前: 瑠璃
晴美さんすごいですねぇ。感心しました!
私今授業で清少納言調べてるので有難う御座いましたOTZ
[2005年11月13日20時38分]
お名前: 現代の清少納言
すっごい知識!!とくに、晴美さん!私も、いっっぱい調べてみマス☆
[2005年11月11日19時43分]
お名前: みぅ
ぃやぁ、私は、清少納言
すきだなー!!
でも、話し的には
紫式部かなー!!
[2005年10月31日14時42分]
お名前: dot
紫式部最高v
源氏物語らぶデスからぁ
今、学校の調べ学習で紫式部のこと調べてたんですけど、清少納言のこと調べてる友達に教えちゃいましたw
紫式部って藤原道長と愛人だったんだねぇ・・・びっくりでしたョ


それでわ。意味不明ですがw友達に代わってお礼を…
『ありがとうございました』

[2005年10月05日14時45分]
お名前: aiko
晴美、お前それ、インターネットのやつをそのままコピーしただけじゃんよ!「紫式部に続いて清少納言の事まで調べちゃいました♪」じゃねぇょ!
[2005年08月27日23時55分]
お名前: 仁
有賀とマジ助かった
[2005年08月24日18時36分]
お名前:    URL
清少納言について


《清少納言の名称について》

 清少納言という名前は、彼女が女房として宮廷に出仕するとき、主人(定子中宮)からあたえられた名前で、父母から付けられた名前ではありません。清少納言の本名は現在まで伝わっていないというのが本当のところです。中には、江戸時代の学者伊勢貞丈(さだたけ)の著述といわれる(異説あり)『枕草紙抄』の、「女房名寄」からの引用ということで、「なき子」「諾子(なぎこ)」という名称も紹介されていますが、史料価値としては疑問があって信用は出来ないそうです。

 これは、当時としてはめずらしいことではありません。その第一のライバルとされる紫式部にしても、また恋多き歌人として有名な和泉式部にしても宮廷出仕による呼び名で、その本名ではないからです。当時、女性でありながら本名を残すというのは、天皇の「きさき」の地位につくとか、長い宮仕えにより、女性でありながら三位の位まで昇進するとか、特別な場合でしかありえませんでした。親、兄弟、姉妹、結婚相手でもないと、女性の本名を知ることは出来ません。

 平安時代よりさらに昔、古代では、女性の名前を知るということはイコール結婚を意味していました。もし、知っている方がいたら思い出してほしいのですが、『万葉集』の第一番に載っている雄略天皇の歌を思い出してみてください。

籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串もち この岳に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ 座せ われこそは 告らめ 家をも名をも

 これは、雄略天皇が若菜を摘んでいる娘に求婚している歌です。お家はどこですか?名前を教えてくださいと言っています。名前を教えてもらうということが結婚というと、現代では変な感じがしますが、当時、名前を教えるということは相手に支配されることだと考えていました。時代が下ってもそういう考え方が残っていたのでしょう。ですから、女性は自分の名前を身内にしかいいませんでした。

 さらに、平安時代という時代は、女性の地位が軽く見られがちでしたので、系図作製の簡略化がいっそう彼女たちの名をとどめることを憚らせたのです。

 さて、本題にもどりまして、では清少納言という名前はどこからきたものなのでしょうか?まず、この名前がどこでわけられるかご存知でしょうか?「清」と「少納言」でわけることが出来ます。「清」の部分は何を表しているのでしょう?それを知るには、彼女の出身を考える必要があります。清少納言は清原氏の出身で、その父は歌人として有名な清原元輔です。平安時代の歌の名手である藤原公任が選んだとされる三十六歌仙の一人、さらには梨壺の一人として後撰集の編纂にもかかわりました。そして、その元輔の祖父は清原深養父。百人一首に名をとどめる歌人です。また、この三人は全員が百人一首に載っています。さらに遡れば、『日本書紀』を編纂したといわれる舎人親王、また壬申の乱で勝利を収めた天武天皇にまでたどり着くとされています。

 では、「少納言」はどうでしょう。少納言は男子貴族の官職名の一つですが、清少納言は女なので、直接の官職ではありません。宮廷奉仕という場における関係上、男子の官名が女子にも転用されたのでしょう。この少納言という呼び方は、『枕草子』のなかでよく出てきます。特に、主人である定子中宮に呼ばれるときなど、清少納言ではなく、少納言とよばれています。ですが、『枕草子』以外の文献には、清少納言と記述されているので、一般には清少納言と呼ばれ、内々に少納言と呼ばれていたものと思われます。よく、「清少」と「納言」で間違えてわけてしまう場合がありますが、それでは名前の本質を忘れてしまったことになります。昔は、清少納言や紫式部を略して「清女」「紫女」というように称しました。そして、紫式部や和泉式部などの式部という名称は、身内(父や夫など・・・紫式部の場合は父の官命から、和泉式部の場合は和泉は夫の任地から、式部は父の官命から)にその官職の者がいて、それを利用している場合が多いのですが、清少納言の場合はそれらしき身内が見当たらないというのが現状です。研究不足であるためか、資料が残っていないというところでしょう。


《清少納言の人生について》

 清少納言の幼少時代についてみてみましょう。清少納言が生まれたのがいつかというのは、はっきりした資料が残っていないので分かりません。康保三年(996)出生という説に従うと、父元輔五十九歳のときの子供ということになります。この元輔が六十七歳のとき、周防守としてはじめて地方に赴任したのですが、そのとき九歳の少納言は父とともに周防に下ったと考えられています。元輔のもっとも年老いてから恵まれた末っ子の女児で、父の愛を深く受けていたと考えられます。清少納言の母については、何も資料が残っておらず、清少納言の母でありながらその名を歴史上にとどめていません。

 清少納言十三歳のとき、父の任期が終了し、帰京することになります。天元四年ごろ、少納言は、橘則光と結婚し、翌年則長を生みます。さらにその弟季通を生んだと考えられ、則光との間には何人かの子供を儲けていたようです。この則光とは十二〜三年ほど結婚状態にありましたが、離婚することになります。原因が何であったかはっきりしませんが、この則光とは、清少納言が宮仕えをしはじめたときに再会し、宮中では兄・妹の仲で通っていますから、お互いに憎みあって別れたということではなさそうだという考え方もあります。少納言が、この則光と結婚している間、父元輔は七十九歳の高齢で、肥後守として遠く九州へ赴任しています。ところが、元輔はこの任期中に肥後で亡くなってしまいます。

 父が亡くなって程なく離婚したと思われる清少納言は、時の天皇一条天皇の中宮である藤原定子に仕えることになります。清少納言が宮仕えに出た時期を決定することは、今となってはこの上なく難しい問題ですが、正暦四年という説に従いますと、一条天皇十四歳、定子中宮十八歳のことになります。定子中宮のことは藤原定子についての項目で詳しく書いていますが、父である道隆が亡くなってからの零落ぶりが激しく、自然、中宮に仕えていた少納言の運命もそれに大きく影響されています。

 では、時の天皇一条天皇について少し触れておきましょう。一条天皇は、円融天皇の第一皇子、諱は懐仁(かねひと)。御母は兼家の娘詮子。天元三年六月一日出生、五歳で皇太子、十一歳で元服。このとき後の定子中宮とご結婚されています。そして三十二歳崩御というお若さで亡くなられています。

 清少納言が始めて宮仕えをしてから、中宮の父、道隆が亡くなるまでは、彼女の人生でもっともはなやかに活躍した時期であったと思われます。それに対して、道隆が亡くなってからは、悲哀にみちた宮仕えとなったかもしれませんが、『枕草子』には意図的であるのかないのかは別にしても、全くそういった悲しみをテーマにして書かれたような文章はありません。少納言の性格もあるのでしょうけれど、あえて書いていないというところに、何かメッセージのようなものがこめられているような気がしてなりません。

 清少納言の晩年は、これもまたよく分からないというのが現状ですが、藤原棟世という受領階級の貴族と再婚し、小馬命婦と呼ばれることになる女子をひとり儲けたようです。この小馬命婦は、定子中宮のライバルであった上東門院彰子(藤原彰子)に仕えることになります。

 そして、清少納言がいつごろ亡くなったかということもまたよく分かっていませんが、五十歳の終わりから六十歳のはじまりごろに亡くなったのではないかと考えられています。




[2005年08月22日22時05分]
お名前: ♪美姫♪   URL
すごいですねw!
晴美さんすごすぎですよぉ〜w!(^^)w
だって紫式部のも勉強になったしぃ〜(^^:)
自分がついていけないみたい。アセアセ;;
[2005年08月07日21時24分]
お名前: マロン
すっごくわかりやすかったです!有難うございました。
[2005年08月01日16時09分]
お名前: ぬぬぬ
今、調べ学習しているので助かりました。アリガトゥネ
[2005年02月06日10時28分]
お名前: 麗華★☆
勉強になりました♪ァリガとォゴザィマチタ↑↑
[2005年01月06日15時57分]
お名前: 晴美
紫式部に続いて清少納言の事まで調べちゃいました♪みんなの役に立てたら嬉しいでぇ〜ス(^^) 
 
清少納言 (せいしょうなごん)● 活やくした時代   964年ごろ〜 ?年
                  平安時代

● 活やくしたこと

   964年ころ 清原元輔(きよはらのもとすけ)の次女として生まれる。
           清原氏(きよはらし)の娘なのでその「清」をとって、
           清少納言(せいしょうなごん)と呼ばれる。

   974年 父の清原元輔が周防守(すおうのかみ 山口県の国主)となったので、
         清少納言も父とともに山口県に行く。

   978年 清少納言が父の清原元輔とともに京都に帰る。

   981年 清少納言が橘則光(たちばなののりみつ)と結婚する。
        
   982年 息子の橘規長(たちばなののりなが)が生まれる。

   991年 清少納言が橘則光との結婚生活に破れて離婚する。

   993年 清少納言が一条天皇(いちじょうてんのう)の中宮(ちゅうぐう 天皇のきさき)
         の定子(ていし)につかえる。

[2004年06月14日16時12分]
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