記事タイトル:日本のはじまりについて

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お名前: アコ   
 こんにちは。

 えっと、ご質問の内容を「この国は、いつごろから対外的に日本国を名乗るよ
うになったのか?」と解してお答えします。

 まず、国内史料には、このへんの事情を明確に記したものは現存していません。
そこで、国外史料に当たってみると、1145年成立の朝鮮正史『三国史記』の
新羅本紀、文武王十年(670;天智天皇9年)十二月条に、《倭国、更(あらた)めて
日本と号す。自ら言う。日出(ひい)づる所に近し。以(ゆえ)に名と為すと。》
(岩波文庫版 p.49)とあります。

 これに対応して、720年成立の『日本書紀』天智天皇九年秋九月辛未朔(1日)条
に、阿曇連頬垂(あずみのむらじつらたり)を新羅に遣わしたとあることから、こ
の時の遣新羅使が、倭国から日本国への改称を伝えたとする説もあります。

 ただし、『三国史記』は成立時期が遅いため、先行する史書の影響を受けてい
る可能性が高いのです。たとえば、1060年成立の中国正史『新唐書』日本伝、
咸享元年(670)条には、《咸亨元年、使を遣わし高麗を平らぐを賀す。後、稍々
(やや)夏音を習いて、倭の名を悪(にく)み、更(あらた)めて日本と号す。使者自
ら言う。国、日出(ひい)づる所に近し。以(ゆえ)に名と為すと。》(岩波文庫版
p.164 を訓み下す。)といった、良く似た記事があるのです。

 つまり、『新唐書』の編者は、「670年よりも後に倭国は日本国に改称した。」
と書いたのに、『三国史記』の編者は、それを「670年に倭国は日本国に改称し
た。」と誤解してしまった可能性もあるということ。ちなみに、ネットワークを
検索してみたら『三国史記』の編者と同様の考え方をされている方が、かなり多
いようですが‥‥。(^_^;)

 そこで、日本国の使者が中国を訪れた記録を調べてみると、確実でもっとも古
いものは、945年成立の中国正史『旧唐書』日本国伝、長安三年(703;文武天皇
大宝3年)条の朝貢記事とされています。そのため、岩波文庫版『日本書紀(三)』
補注16-9では、《少なくとも遣唐使が日本国を公称したのは、長安三年にはじま
るようである。》(p.375)としています。

 ただし、『旧唐書』則天皇后本紀、長安二年(702;文武天皇大宝2年)冬十月条
にも、私は未確認ですが、日本国からの朝貢記事があるそうです。さらに、
『新唐書』日本伝には、上で紹介した記事の少し後に、《長安元年、其の王文武
が立ち、改元す。大宝という。朝臣真人粟田を遣わして方物を貢す。》(岩波文庫
版 p.164 を訓み下す。)とあります。

 以上から、670年以降で、遅くとも700年代の初めまでには、倭国は対外的に
日本国を名乗り始めたようです。

 なお、ここから先は、研究者によって様々な解釈があり、通説とか定説と呼ば
れるようなものは、今のところ存在しないようです。

 ご参考まで。                           アコ

[2002年4月22日 11時1分48秒]

お名前: ユリ   
こんにちは。

日本は縄文時代から始まりますが、「日本は、いつ日本になった」のでしょうか。

答えはありますでしょうか。

ユリ

[2002年4月20日 4時38分4秒]

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