記事タイトル:上杉謙信vs武田信玄

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お名前: トラキア
やっぱり人は怖い。自分を正当化するから。皆が間違っていて、皆が正しい。正解なんて無いし自分の考えを持つのは自分の勝手。それで良いのに。
[2016年08月03日15時11分]
お名前: 沖縄の彪
上杉がいいけど武田もいい
[2012年02月17日22時08分]
お名前: ワールド
世界評価では関心が高いのは謙信公でしょうね。
ちょっと似た人はいませんね。
不利を知り立ち向かう。
弱きを助け強きを挫く。
裏切りも許す。
争いに疑問を感じていた。

信玄公タイプは結構、似た人がいる感じ否めずですね。
むしろ信長に勝る肉親卑劣最強武将。
何故、信玄ファンがいるのかが私には解せない。
特に肉親には冷たく父親を追放する事から始まり、自決、殺傷、数多し。
本当に酷い。
信玄が好きとか言ってる人は子息が絶えても文句が言えないね。
義信自決。
勝頼は諏訪家を滅ぼした間の姫の子。
これだけ無秩序な人間が好きだとか言ってる人に幸あられば考え難し。
[2010年10月28日06時23分]
お名前: えみ
上杉謙信のほうが若くて好き
対信長に手取川で勝ってるし
肖像画もイケメン
なんと言っても秩序があるもの


[2010年09月23日05時46分]
お名前: 越後領土民
謙信ファンも信玄ファンも少し落ち着け。
歴史的な偉人二人だからどっちにもファンはいるし、それぞれが学んできた文献や楽しんできたゲームなどでどっちかが好きだったりどっちかの方が自分の中で強かったりするだろう。
vsと書いてある議題なわけだから熱くなってしまうのもわかる。
だが、第三者が見てあまりにドス黒い文章にならないようお願いしたい。
俺は地元が越後なので謙信ファンだし、地元愛でやはり謙信側として文献も読んでしまう。
だが、ライバルであった信玄に対しても敬意をはらって読んでいる。
謙信、信玄もお互いを認め合っていたんだよな?
ならばファンである我々も少なからず認め合う部分があってもいいんじゃないだろうか?長文失礼。
[2010年08月22日16時57分]
お名前: リバーハーフランドウォー
その前に自分のコメントを客観的に見て見たらどうです?
さぞ、綺麗に見えることでしょうね。
・・・不快なのは自分の内面が歪んでるからでしょ?

<やっぱり疲れる人だったか!!!
不快な気分を指摘した上で自身の無知、偏見を謹んで頂けばと思いましたが都合よく棚にあげられてはかないませんわな。
どうやら上杉謙信、武田信玄のどちらのファンかということ何より他人の意見を排除してまで無知、偏見を正当化したいんですね。
なんとなく最初のコメントの様子から想像はついていましたが・・・
冗談や突っ込みに弱い感じですね。
友達少ないでしょ?
まぁ大きなお世話でしたね。

因みに「大義」とは?
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E7%BE%A9
[2010年06月26日06時42分]
お名前: 須坂インター
武田人気は徳川に三方ケ原の戦いで勝利している為、江戸時代のころに拍車しフィクションが加えられた可能性が非常に高い。
名将とされる人物が多すぎる。
大河ドラマ山本勘助の実在が危うい。
実は謙信と信玄は一騎打ちはしていない。
迷信を作りだしたのは武田方である。
じわり歴史的に見て卑怯千万な武田方(徳川家康の対面)のフィクション、お作り的な妄想、歪曲に辟易とするのは私だけであろうか?
[2010年06月10日05時55分]
お名前: クロウリー
武田に一票。
<70戦中、1敗が北条との戦であったかな!?
北条にも負けてるでしょ? 
武蔵の国、生野山の合戦で北条氏康に。

<足利幕府再興、信長包囲網、上洛の要請に応じ名門畠山氏を攻略した謙信公に大義名分がないとは甚だ無学、無知の極み。

それが大義というなら武田と全く一緒。
謙信が越中・加賀・能登を侵略した事実は消せない。

謙信ファンは熱狂的キチガイが多いからな・・・
まさに宗教的だ。

[2010年06月05日21時46分]
お名前: 流雲
その前に自分のコメントを客観的に見て見たらどうです?
さぞ、綺麗に見えることでしょうね。
・・・不快なのは自分の内面が歪んでるからでしょ?
[2010年06月05日16時57分]
お名前: 出家大名
ウィキペディアより川中島対決の双方兵数を抜粋。

上杉軍 武田軍 の順

第一次 8,000人: 10,000人
小競り合いにて終結。上杉軍勝利?

第二次 8,000人: 12,000人
膠着状態になり今川義元の仲介にて、旭山城の破却と、
犀川を境として北を上杉領、南を武田領とすることで和睦

第三次 10,000人: 23,000人
足利義輝の仲介(御内書)にて和睦。晴信が信濃守護となる

第四次 13,000人: 20,000人
前半は上杉軍勝利、後半は武田軍勝利。武田方は武田信繁・
諸角虎定・山本勘助など名立たる武将が討ち死にしているが、
上杉方に名立たる被害は無し。但し北信濃の地は武田が制圧

第五次 ?人: ?人
両軍睨み合いのまま双方撤退

信玄の勝ちとは領土拡大の意。
謙信の勝ちとは侵する者を打ち取るの意。

戦後のヒーロー物のアニメや特撮などは謙信公が当てはまるはずである。
[2010年06月05日02時40分]
お名前: リバーハーフランドウォー
そもそも、今のような義将として売り出されたのだって
ここ30年くらいのことだし。僕が一番最初に記憶する映画の上杉謙信は
天下取りに燃える野心家で、「皆殺しだぁ」とか言っていた。

<たぶん、戦国自衛隊ですか?

清廉潔白なイメージが世の中に寝付いたのは海音寺潮五郎の小説からだろう。

<「天と地と」に限らず後世の人の書物、メディアはフィクションが当然入りますわな。戦国自衛隊見て「皆殺しだぁ」のイメージを優先させ正当な評価としてコメントできてしまう自身の矛盾に気付かないんですね。

歴史的事実を見れば、謙信は小田原出兵で大量の現地民をさらって、
奴隷として売り払い金儲けをしていたという事実もあるし、

<youtubeで見たのかな? 事実と言ってしまえる浅はかさ。根拠なく、なんでも信じてしまうタイプですか?偏りが半端でないですね。

後半の能登国侵攻には大義名分の一つもない。

<足利幕府再興、信長包囲網、上洛の要請に応じ名門畠山氏を攻略した謙信公に大義名分がないとは甚だ無学、無知の極み。

ましてや生涯無敗だったわけでもない。

<70戦中、1敗が北条との戦であったかな!?

結局のところ、謙信も信玄も自国を守るために信念と生命を賭して生きた偉人で、
等身大のただ一人の人間であるということを言いたいんだよ。

<そんなんあたりめーだろ。


なくても上杉謙信の人生を「義将」なんて安っぽい一言で語ることはできない。

<そうですね。
あなたのコメントは偏見、無知、無学、不快で疲れるので今後のコメントは謹んでください。
[2010年06月05日00時25分]
お名前: 真昼の月
私は信玄公を支持します!
[2010年06月02日17時31分]
お名前: 流雲
まっとうな人間なら自分の銅像を崇拝する人々を見て、
嫌悪感を感じないのは異常だというのが通説。

それは現状の謙信に対する過度な神格化が値するのではないか?
ということを言っている。

そして、それを謙信本人が目にした場合(もし生き帰って)
苦笑いではすまず、嫌悪感を感じるほどでおろうというのは
僕の想像だが、客観的に考えて現在における謙信像が過度に神格化され、
認識されているのは事実だろう。

そもそも、今のような義将として売り出されたのだって
ここ30年くらいのことだし。僕が一番最初に記憶する映画の上杉謙信は
天下取りに燃える野心家で、「皆殺しだぁ」とか言っていた。
清廉潔白なイメージが世の中に寝付いたのは海音寺潮五郎の小説からだろう。
歴史的事実を見れば、謙信は小田原出兵で大量の現地民をさらって、
奴隷として売り払い金儲けをしていたという事実もあるし、
後半の能登国侵攻には大義名分の一つもない。ましてや生涯無敗だったわけでもない。

結局のところ、謙信も信玄も自国を守るために信念と生命を賭して生きた偉人で、
等身大のただ一人の人間であるということを言いたいんだよ。
少なくても上杉謙信の人生を「義将」なんて安っぽい一言で語ることはできない。

[2010年06月02日17時10分]
お名前: リバーハーフランドウォー
<少なくても現在の謙信に対する過度な神格化は、謙信本人が目にした瞬間、嫌悪感で即死するような惨状だろうが・・・。

北方の武神、毘沙門天の化身と本人が・・・
無知なの?
疲れる感じ?
[2010年06月02日04時59分]
お名前: 流雲
信玄が領主となる前の甲斐は山岳地帯で、天候によって洪水が多発、水田は乏しく、民が水源を求めて争う。そんな荒れ果てた土地だったと聞いています。それは信玄の代になってからの鉱山の開発、治水灌漑を重視しての政策を行って、なおあまりある惨状で、分裂した甲斐の豪族を結束させるためにも他国侵略を選択するほかなかった。戦争は単なる博打。勝てば得るが、負ければすべてを失う。少し有能な君主なら当然理解しているだろうし、それでも戦わなければいけない状況が問題です。

もし上杉謙信が他国を攻めないでも国力を保持できた偉大な政治家なら、なぜ生涯70回にも及ぶ戦場に身を置いたか、信濃・小田原と無益な出兵を繰り返したか、それはひとえに家臣団の結束のためだったのかも知れないし、もしくは野心があったからだろうと思える。結局のところ国を守ろうという根本的な部分で、信玄も謙信も大差はないでしょう。

少なくても現在の謙信に対する過度な神格化は、謙信本人が目にした瞬間、嫌悪感で即死するような惨状だろうが・・・。
[2010年05月24日19時28分]
お名前: 信濃川
足利幕府衰退の中、謙信公は他国を攻めないでも国力を保持できた偉大な政治家でもある。
子息なくとも、その意志は継がれ景勝公、兼続公、鷹山公と続き後世、アメリカ大統領ケネディからも敬れた。
信玄公は戦国時代という悪夢、自転車操業に飲み込まれ失敗したいい例だ。
家臣を雇う為に他国を侵略し論功行賞を行う。
父を追放、婚姻関係にまである今川、北条とも戦わねばならない状況に自身を追い込でしまう。
果ては自身が没し、事業は破綻の一途をたどる。
兼ね遺言として勝頼に「謙信を頼るように」と言い残し
[2010年05月22日03時42分]
お名前: ひ
あの時代の大義名分なんてのは所詮、国をかすめ取るための
言い訳に過ぎない。そもそも戦いを始めるのに正当な大義なんてものはないし、
戦は殺しあいで、きれいなものではけしてない。

もし上杉謙信が、言われているような義の武将で、領土欲もなく、
ただ助けを求められた人間のためだけに、無為に戦乱をまき散らした人間だというのなら、それこそ汚らしい偽善だ。戦いは欲でするもの。
欲といっても二種類ある。私欲と、万民のための欲。
武田信玄は後者があったと思う。戦を終わらせるためには、非情を持っても
領土を望まなければならない。京への橋頭保を確保しなければならない。

上杉謙信にそれだけの覚悟と、実行に移せる広い視野があったかは甚だ疑問だ。
もし謙信に天下を泰平に導く強い信念があったなら、川中島に侵攻する必要はない。
あれは上洛する信玄の足を引っ張った行為に過ぎない。両軍にとって全く無益な戦いだ。天下の趨勢から見て、謙信の義は軽い、信玄の欲は重い。謙信の義は自分だけを満足させるための独りよがりで、信玄の欲は万民のための欲だ。
信玄が正しいとは思わないが、信玄公の決断と戦略構成力は評価できる。

実質、謙信の器は、信玄・信長と比べるに及ばす。
名将ではあるが、天下を統べる器ではない。
[2010年05月20日00時40分]
お名前: 左近
大義名文のある上杉謙信のほうが好き
まあ軍神でもあるから
[2010年03月26日10時11分]
お名前: 神
僕は基本的に武田信玄のほうが好きです上杉謙信も好きだけど武田信玄のほうが好きです
[2010年03月16日16時46分]
お名前: 全工事
2010年1月勃発!
第6次川中島の決戦。
実のところ現代では、どちらのファンが多いのでしょうか?
[2010年01月18日02時44分]
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