記事タイトル:柴田勝家

書き込み欄へ 記事一覧に戻る
お名前: しばきち
青森県津軽 岩木山のふもとに、柴田勝家の末裔を称する家あり。一帯は湯段という温泉地で、柴田姓を名乗る家が小さな集落をなしている。
勝家は、北の庄で自刃したことになっているが、実は焼跡から勝家とお市の死体は発見されていない。秀吉は「勝家ともあろうものが、逃げるはずはない」といって、これを許したという。

勝家は、お市の方とともに、前田利家のはからいで、はるばる津軽まで落ち延び、岩木山のふもとの温泉場に隠れ住んだというのが、その家の伝承。
江戸時代に建てられた石碑にも、その伝承が書かれている。かつて、その家には長持いっぱいの刀や槍があったが、第二次世界大戦のときに供出してしまったという。
現在、その時のもので唯一槍一本が残されている。
津軽藩には、その後関ヶ原で破れた石田三成の子もかくまわれているから、この話、案外本当かも知れない。
[2004年07月04日02時30分]
お名前: 江戸通
 林秀貞  天正8年 織田家追放の後、京都にて亡
 平手政秀 天文22年 自決
 柴田勝家 天正11年 自決
 池田恒興 天正12年 小牧長久手で父子共に戦死
 佐久間信盛 天正9年 十津川にて病没
 森 可成 元亀元年  戦死
  というように、織田家で宿老型の動員をしたものは、病死或いは、
 自決しているようです。生まれも柴田勝家と豊臣秀吉は、殆どおなじ
 で、父の名(な)も知れぬ足軽風情らしい。生まれも?
  で訳は、なじぇ(ナジェ)、「佐久間盛政、だから、市中引き回し
 の上、獄門」と太閤さまは、されたようであす。
  江戸通
  尾張でのだいみょーは、でよたいはんだがよ。
[2004年04月07日23時33分]
お名前: マック
柴田勝家に関するぺタジー二さんの
評価におおむね賛同とします。

でもね、ちがった見方で、、、
徳川家康は、どちらかというと
柴田勝家を嫌っていました。
その属国の太守を見るような
態度にね。もちろん具体的な罵倒
やら中傷等は無かったはずですけど、、
なんとなく嫌いといった感じだと思います。

秀吉は人当たりが抜群によく、、家康との
摩擦は皆無だったはず・・・・。




[2004年04月04日05時17分]
お名前: ペタジーニ
織田家筆頭の宿老でありながら、本能寺の変後の、明智討伐を秀吉に先を越された。
清洲会議で、秀吉を論破できず、むしろ秀吉にいいようにあしらわれてしまった。前田利家に見限られた上、秀吉に負けた。晩年60近くになって、お市の方を嫁にもらって、いい歳をしてと、エロ爺のイメージを世間に持たれた。以上でやはりイメージ的に良くないのでは・・・・・やはり勝者秀吉に対して敗者勝家は、かなり歪曲されていますね・・・でも実際は、豪傑で、人情家で、為政者としても名君であったと・・・
いっそのこと秀吉に敵対せずに、むしろ秀吉の家臣団に入って、越前一国でも安堵してもらって、豊臣大名として生き残る手もあったかと・・・・でも、お市の方をもらった時点で、秀吉はもはや許さなかったかも・・・・・勝家も秀吉の風下に立つことを潔しとしなかった・・・・やはり秀吉に敵対した時点で命運尽きていたんでしょう・・・・
[2004年04月04日00時23分]
お名前: 江戸通
 末森城にいた織田信勝(信長の弟)付きの宿老、
尾張下四群(尾張南方か)の守護代争奪戦に破れ
信長の家臣となる。
 稲生の戦いで、信長の4間半の長柄の槍部隊
の威力に注目した、慧眼の持ち主。
  江戸通
[2004年03月21日23時22分]
お名前: 出雲 浜田行
どうして柴田勝家は人気がないんだ。
みんな知ってんのに。
大河ドラマで松平健がやって、あんなかっこいい柴田勝家見たことないって?
まあ、ありゃ、かっこよすぎだ。
お市の方は柴田勝家が好きだったのか?美女と野獣?
勝家のイメージが悪いのは秀吉の罠だ!
みんな目を覚ませ、400年以上前にかけられた、秀吉の罠だ!
勝家はきっといいヤツだ。
中尾彬のイメージがあるヤツ
それは誤解だ。

[2004年02月26日01時39分]
このテーマについての発言をどうぞ。(管理の都合上書き込み時のIP情報を内部保存しております)

氏名
E-mailURL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。