記事タイトル:天皇はスサノオ系

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お名前: 望月古亶   URL
情報提供・漢風諡号太子撰
崇峻天皇までの漢風諡号は、聖徳太子が『天皇国紀(記)等』を編纂するために必要があって推古天皇27年に撰上したものです。詳しくは下記のhpをご覧ください。
http://www.geocites.co.jp/HeartLand-Kikyo/1527/
[2003年11月02日18時59分]
お名前: 望月古亶   URL
 その『白河本旧事紀』を読むと神武天皇は天照大神系です。
 hpの番号がまちがえていました。1527が正しくお詫びします。
[2003年07月25日14時58分]
お名前: 望月古亶   URL
『旧事紀白河家三十巻本』(『白河本旧事紀』)の天皇本紀の孝元天皇紀いわゆる孝元本紀にはつぎのような不思議な条があります。
 《五年辛卯春正月、天八意命、其の子、手力雄命と倶に信濃国に降り、親から吾道宮を建てて居しけり。手力雄命、戸隠山に遷り、親から巌窟を営みて居しけり。》
 《六年壬辰春正月、天八意命、手力雄命、倶に内に参りて、以て天皇に謁して、其の状を奏す。天皇、乃ち祭供を設けたまひけり。》(望月古亶著『記紀漏文T』より)
 これが孝元本紀にはにつかわしくなく、『日本書紀』成立後の文面とはおもえず、『白河本旧事紀』は『日本書紀』に先立って編纂されたと考えられます。どうど、hpの有史八代・孝元本紀をご覧ください。
[2003年07月25日14時15分]
お名前: 望月古亶    URL
 日本古代史を解く鍵は第十四代仲哀天皇の聖寿五十二歳にあります。この聖寿は、『古事記』からの借り物ですが、『日本書紀』にもってくると矛盾が出てきます。
 『古事記』や『日本書紀』を数字的に科学的に解明することが必要だと考えます。

[2003年1月27日 14時6分39秒]

お名前: 珠と緒 れれれっ   
  コンコンさん、改定HP拝見させてもらいました。
 きれいに書いてありまね。感心させてもらいました。
 口語訳「古事記」が、本屋にたくさん並べてありますね。
 日本書紀というと漢語で男性系という見方でよかったかな
 という気持ちになりますね。岩波の辞書を引いて意見を
 述べて意いましたが、口語訳も参考にした方がいいかな。
 そのうちに、借りようかな。
   しばい

[2002年8月3日 17時22分15秒]

お名前: ニニギの五男   
 アメノカヤフネ、フトダマ、アメノウズメ、メシコリドメ、
タマノヤのいつ柱の神が副えられ、天孫降臨となるわけですが、
これは、高天原はいかに富、いかに先進性にあふれ、天地をも
覆うエネルギーにあふれているかを表現していると言う事だそうです。
 日本書紀にも、現存する本は複数あるうですが、異本の表現を仮に、
採用しました。通常、書紀は、柱は、男神ですが、見解は
分かれるとおもいますが、アメノウズメが男神?というのは。
 もちろん、私見ですが、アマテラスオオミカミが、ニニギに与えた
臣であります。古事記では、緒というそうです。
  しばい

[2002年8月2日 21時41分10秒]

お名前: コンコン   
アコさんこんにちは
>三女神や五男神になった剣や玉は、それら神々の“化身”であるということなのでしょうか? それとも、剣や玉には何かの“精”が宿っていて、それは宿っている物体を壊さないと
現われないということなのでしょうか?
 剣や玉は象徴であって化身や精ではなく人と考えています。
宗像の女神や天皇家の先祖ですから神聖性をだすためのもの。五百箇御統とはどんな形を
しているのかは知りませんが、剣と玉というと3種の神器を思い浮かべます。
何か関係があるのかもしれませんね。(勉強不足ですね)

[2002年7月31日 11時45分28秒]

お名前: 続きのY追加   
 日本書紀に限定した話の方が、いいですね。
古事記を含めては、いけませんでした。誤解が
多いですが、古事記は、伊勢神宮や明治神宮の
聖典ではないのです。一度は、畝傍、天の香具山
など散策したくなりますね。

>つまり、“国生み神話”は大和のような海の無い地域
>で生れたのではなく、古くは“難波八十島”と総称され
>ていた、淀川の河口のデルタ地帯のように、葦が
>広く生えていた地域こそふさわしいのではないか?ということ。
 根の国という、一件うっとしい(つよい)国に追放され、
一生を終わるという、書紀の意見は、海と根は、別であり
海を支配しなかったスサノウには、さらに、うっとっしい支配
領域を与えたと書きたかったのではという意見にとどめたいのでした。
 いい(良い)−−> 文化
 うっとしい ーー> 海(島嶼部を含む)
 根     −−> 未開
 案外、瀬戸内海の内戦や九州南部の抵抗勢力も
頭にあったのでは。
  しばい

 
 

[2002年7月28日 19時15分51秒]

お名前: スサノウとは   
 漢代末、アッチラとは同一部族の異民族が、
五斗米童と結んでいたか、張角と結んでいたか
はっきり解らないが、北方に異民族が中国に
足がかりを持とうとしていたらしいのは、確かで
東晋末に現実の進入になりますが、ウロン族が
袁家とかかわりがあったか?と考えているのでは。
 漢代以前、つまり、西周では、小規模の
移動はあっても、民族移動と呼ばれる事例は、
記録が残されていないようっです。(あやしい)
 モンゴル族が、移動したことが、天孫降臨か
と言われる状態は続くのでしょうが、スサノウ
といっても、日本書紀と古事記では、表記が
違い別人の可能性も残されていますね。
 案外、倭人には楚も関心を持っていたようなので
すきまは、案外大事件のリバウンドって言う感じ
ですね。
 ウロンは違うと思いますよ。匈奴がすべてでは
ないようです。東北北部までは、どうも、クリルタイ
にオブザーバーとして交流もする役割は、南部からも
期待されていたのでは。

  しばい

[2002年7月28日 16時26分44秒]

お名前: アコ   
 コンコンさん、こんにちは。

 まずは、訂正から。(^_^ゞ [2002年7月23日 7時51分48秒]で「五百箇御統は
女性の装束なので、‥‥」と書きましたが、もうちょっと正確に書くと「五百箇
御統を首にかけるのは女性の装束なので、‥‥」ということです。ただし、その
後、何冊かの解説書に当たったところ、こういった読み方を“通説”としたのは
私の誤りで、神代上、第六段一書第一および一書第三は、「スサノオは、自らの
五百箇御統から‥‥」という読み方のほうが、むしろ“通説”となっていました。
m(__)m

 さて、コンコンさんは、「玉から人(神)が生まれているので、玉は物ではな
く人だ」と認識されていると書かれていましたが、これは、三女神や五男神になっ
た剣や玉は、それら神々の“化身”であるということなのでしょうか? それと
も、剣や玉には何かの“精”が宿っていて、それは宿っている物体を壊さないと
現われないということなのでしょうか?

 前者であれば、女神になるか、男神になるか、事前にわかっているわけですか
ら“誓約”自体が成立しないように思えます。また、後者であっても、その剣や
玉を所持している者が、それに何の“精”が宿っているのかを知らないことはあっ
ても、やはり結果は事前に決まっているわけですから、“誓約”に用いるには不
適切なように思えます。

 なお、私も「無生物から自然に生物が生じたり、無生物が自然に生物になるこ
とはないだろう。」と考えています。そこで、本来“誓約”とはどんなものだっ
たかを想像してみました。たぶんそれは、持ち物を壊し、その壊れ方で正否や
真偽を占うような風習だったのではないでしょうか。

 つまり、神代上、第六段は、アマテラスとスサノオが“誓約”をおこない、そ
の結果、スサノオに邪心のないことが証明されたということが、この話の“核”
であって、剣や玉から生まれたとされる三女神や五男神の話は、もともとは別々
に伝承されていたものが、のちに融合され、最終的に現在伝わっているような形
になったのではないか?と思うのです。


 次に、コンコンさんご指摘のように、『日本書紀』神代上、第八段一書第四で
は、スサノオが子である五十猛神(いたけるのかみ)と一緒に高天原から新羅国に
天降ったとあります。また、同じく一書第五ではスサノオには五十猛命(いたけ
るのみこと)という子とその妹として大屋津姫命(おおやつひめのみこと)と
[木爪]津姫命(つまつひめのみこと)がいたとあります。そして、文脈から見て、
この子らは高天原で生まれたとみなすべきだと思います。(なお、2つの異伝と
も、この子らは紀伊国で祀られるとする。)

 ただし、第八段は本文と6つの異伝から構成されていますが、スサノオが
“子連れ”で高天原から天降ったとするのは、この2つの異伝だけです。また、
一書第四には新羅国が、一書第五には韓郷(からくに)が登場しますが、これは
『日本書紀』仲哀天皇八年秋九月己卯(5日)条の、はじめて海外にも新羅などの
国が存在することを知ったとする記事と矛盾します。

 こういったことから、「第八段一書第四および一書第五の伝承は、仲哀天皇八
年秋九月己卯条の伝承よりも、かなり後になって成立したものではないか?」と
いうのが、津田左右吉氏の研究(『日本古典の研究』、全集版第1巻、pp.455-459)
以来、“通説”となっています。

 ちなみに、[2002年7月25日 9時14分31秒]でも書きましたが、このように相反
すると思われる史料があった場合、歴史学では両方が正しいことを前提にします
ので、こういった考え方になるわけです。

 それはともかく、私はもっと単純に、第八段一書第四と一書第五の伝承を誤伝
(紀伊国の氏族や渡来系氏族によるものか?)として除外し、本来の伝承は、
「スサノオは高天原から単身で出雲へ天降った。」というものではなかったか?
と考えています。


 次に、コンコンさんは「海の民」とか「縄文時代」とか書かれていますが、私
は、『古事記』や『日本書紀』などが伝える日本神話は、律令時代の農耕民(およ
びそれら出身の支配者)によって完成されたものだと考えています。

 もちろん、それら神話の中には、その起源が「縄文時代」にまで遡れるものも
あるかもしれません。しかし、その後さまざまな人びとを経て、8世紀になって
やっと『古事記』や『日本書紀』などにまとめられたわけです。その間に「縄文」
的な要素が失われたり、あるいは他の要素に置き換えられるといったことが、し
ばしばあったと考えるほうが自然なのではないでしょうか。

 また、日本神話には年代がありません。そのため、あとからいろいろな話を
挿入することが可能なのです。ですから、「日本神話の中で、もっとも古くから
伝承されていたのは、どの話か?」なんて問いには、誰も満足に答えられないわ
けです。


 ついでなので、もうちょっと書いておきますが、“国生み神話”で最初に淡路島
が生れていることから、本来はその付近の人びと(一般に“海人”と呼ばれる漁撈民
であったとされる。)によって伝承されていたものではないか?とする説がありま
す。その傍証とされるのが、『延喜臨時祭式』(『延喜式』巻三、神祇三、臨時祭)
にある“八十島祭”(やそしままつり;八十嶋祭)です。

 この祭りは、天皇が大嘗祭の翌年に1回のみ行なったそうで、場所は、淡路島が
のぞめる難波津の海岸(あるいは、難波湖の湖畔ともいう)でした。新たな天皇に
すべての島々とすべての国々を従わせる儀式だったと考えられています。

 つまり、“国生み神話”は大和のような海の無い地域で生れたのではなく、古
くは“難波八十島”と総称されていた、淀川の河口のデルタ地帯のように、葦が
広く生えていた地域こそふさわしいのではないか?ということ。

 なお、

○岩波文庫版『日本書紀(一)』補注1-31「八十島祭」(p.332)
○西宮一民著「日本書紀の神話――梗概と問題点」
 (稲岡耕二編『日本神話必携』學燈社 別冊國文學 NO.16、1982年10月10日発行。
 pp.132-133)

によれば、“国生み神話”を“八十島祭”に関連付けて論じている研究者には、

○神話学者の松村武雄氏(『日本神話の研究』二、培風館、1955年)
○歴史学者の岡田精司氏(『古代王権の祭祀と神話』塙書房、1970年)
○歴史学者の直木孝次郎氏

がいらっしゃるそうです。ちなみに、私は、未見。(^_^;)

                                  アコ

[2002年7月28日 8時12分49秒]

お名前: スサノウの五男   
 五男とかは御難を受けると言うほど、貴重な例えだったようで、
昔、平重盛は五男を設け、心もやさしい御曹司であったものが、
世に病がはびこれば、唐に医を求め、父清盛も頼んでいたが、
早世され高熱にうだされ死んでのけたとか。
 この問題、にまじめに、取り組んでみました。
 国内以南、楽浪郡、帯方群、馬韓、弁韓、栢(かや)の5地方あり、
佞(和)は、更に南方の国と言う認識が中国にはあったような??
三国志でも、袁家は戦国時代の燕、あたりの大家であり、劉備と袁家とは、
同じ門に学ぶ、級ではあったようですね。時代考証は、この当時では、
通常、+-20年程度で、日本と中国を図るべきかな。

 しばい

[2002年7月26日 23時40分51秒]

お名前: コンコン   
アコさん、私につきあってくれてどーも(^_^;)
>私が「単身で」と書いたのは、「同行する者なし
で」という意味です。別に、「丸腰(まるごし)で」という意味ではありません。
 玉から人(神)が生まれているので、玉は物ではなく人だという認識があります。
一書(第4)にスサノオの子五十猛神を率いてとでています。この五十猛神は、どこ
で生まれたのか?高天原か?高天原に来る前か?

 海の支配権のことですが、海とは海の民の支配権という意味に受け取っています。
縄文時代の交易範囲を考えると海路の重要性を感じます。
 国生みも淡路島・大和・四国・九州・隠岐島・佐渡島・北陸道・大島(山口か?)
・岡山の児島半島(以上大八洲国)と生んでいますが、これは陸路と言うよりは海路
で繋がっていえるのではないでしょうか?

[2002年7月26日 16時54分10秒]

お名前: アコ   
 コンコンさん、コメント[2002年7月23日 22時15分28秒]ありがとうございます。

 さて、細かい話になりますが、「スサノオは高天原へは単身でやってきたの
か?」についてですが、まず、私が「単身で」と書いたのは、「同行する者なし
で」という意味です。別に、「丸腰(まるごし)で」という意味ではありません。

 そして、コンコンさんご指摘の神代上、第六段一書第二ですが、その冒頭を読
むと、スサノオが高天原に昇る途中で羽明玉という神の歓迎を受け、その神から
“瑞八坂瓊の曲玉”を上進され、それを持って高天原にやってきたとあります。
羽明玉がスサノオと同行したわけではありませんから、単身であることにはかわ
りがないと思うのですが‥‥。

 次に、[2002年7月23日 7時51分48秒]で私は、アマテラスとスサノオの間で
“誓約”があったことそのものを否定したのです。つまり、実際にあったのは、
両者の結婚だったのではないか?ということ。(ただし、「直系の子孫である場
合にのみ、子孫であることが主張できる!」ということが前提。)

 ところで、コンコンさんは、「イザナギ時代は海原が天下であった」と書かれ
ていますが、仮にすべての出来事が、『日本書紀』に書かれている順番で発生し
たとしましょう。つまり、「イザナギ時代」ののちに「アマテラス時代」があっ
たとするわけです。

 とすると、『日本書紀』に「海」が最初に登場するのが神代上、第一段一書
第五。(ただし、「水」は第一段本文でも登場する。) 本文に「海」が初めて
登場するのは、第五段の冒頭の「次生海。次生川。次生山。次生木祖句句廼馳。
次生草祖草野姫。」(イザナギとイザナミは、次に海を生んだ。次に川を生んだ。
次に木の祖である句句廼馳を生んだ。次に草の祖である草野姫を生んだ。)です。
(なお、すべての陸地は第四段ですでに生んでいる。)

 また、イザナギやイザナミが海神を生んだという話はあるものの、どこかの海
で何かをしたといった話は、

(1)イザナギが、筑紫日向小戸橘之檍原で“禊”(みそぎ)をする。(第五段一書
  第六)
(2)イザナギが、“禊”をするために粟門と速吸名門を見たが潮の流れが速いの
  で橘之小門に戻っておこなう。(第五段一書第十)

程度。それにこれらにしても、海辺とか、海峡といった陸に接した海が舞台になっ
ています。

 さらに、イザナギとイザナミは、海・川・木・草を生んだのち、ふたりして、
こう言ったと第五段本文にあります。

吾已生大八洲国及山川草木。何不生天下之主者歟。
(私たちはすでに大八洲国と山・川・草・木を生んだ。
どうして次にこの天下の主になる者を生まないでおられようか。)

 そして、日神、すなわちアマテラスを生みました。つまり、「イザナギ時代」
において、“天下”とは大八洲国(おおやしまくに)であり、文脈上、海はその中
に含まれることになります。大八洲国とは別に海があったわけでも、ましてや海
が“天下”であったわけでもないと思うのですが‥‥。

                                  アコ

[2002年7月25日 9時15分47秒]

お名前: アコ   
 これは、[2002年7月23日 7時51分48秒](以下、前稿)の最後に書いた【注】の
補足です。

 さて、「我々は誰々の子孫である!」と主張した場合、その主張が認められる
ために必要な条件はどういったものなのか? また、必要な条件の優先順位はど
うなっているのか?といったことは、時と場合によって、必ずしも同一ではなかっ
たと思うのです。

 なお、前稿の【注】では、必要な条件を「血縁者であること。」としましたが、
前稿で書いた内容に厳密に従えば、「直系の子孫であること。」と書くべきでし
たので、ここで訂正しておきます。m(__)m

 話を戻して。

 しかし、実社会においては、直系の子孫でなくても、子孫であることを主張す
るケースがありそうなのです。そこで、それ以外の条件を考えてみました。

 たとえば、「実質的な親子関係にあれば、その親の子であることを主張でき
た。」と想定してみましょう。スサノオから生まれた五男神は、スサノオ追放後
も高天原でアマテラスに養育され、後に高天原の統治者になったと『日本書紀』
に書かれています。そのため、五男神はアマテラス(伯母に当る)の子として認め
られたのかもしれません。

 あるいはもっと単純に、「なんらかの血縁関係にあれば、その子孫であること
を主張できた。」と想定してみましょう。アマテラスとスサノオは姉弟とされて
いますので、両者は血縁関係にあります。したがって、五男神は、“血の濃さ”
から言えば、「スサノオの子孫」なのですが、アマテラスともまったく血が繋がっ
ていないわけでもないのです。そこで、五男神の子孫たちは、「アマテラスの
子孫」を主張することができ、それが認められたのかもしれません。

 あるいはもっと強引に、「権力さえあれば、血の繋がりに関係なく、自分が誰
かの子孫であることを主張できた。」と想定してみましょう。この場合、力ずく
で子孫であることを認めさせたかもしれません。

 他にもいろいろな条件が想定できそうですが、一般に「AはBの子孫である。」
と直接的もしくは間接的に、何かしらに書かれてあったとしても、その理由まで
も同様に記されているケースはほとんどないのではないかと思います。また、も
しそういった理由が記されていたとしても、それがどこまで“真実”であるのか
を知ることは、歴史学だけでは、ほぼ不可能だと思います。


 ところで、今回のコンコンさんと私とのやりとりからもわかるように、通常、
歴史学上で何かしらを証明しようとする場合、「何々には、こう書かれている!」
といったように史料を挙げるのが常です。それに反論する場合、「いや、これこ
れには、こうも書かれている!」といったように、反証となる記述のある史料を
挙げるわけです。

 そして、史料をもとにどれだけ多くの事例を挙げられたかで、対立する二説間
の優劣が決められてしまうことが多いのです。(ま、ようするに“多数決”です
ね。)

 でも、もし、相反すると思われる記述のある史料があった場合、

(a)どちらか一方が誤っている。
(b)両方とも誤っている。

の2つのケースしかないはずなのです。しかし、歴史学では、

(c)両方とも正しい。

として、議論が展開されていくことが、しばしばあるのです。したがって、どこ
まで行っても議論が“平行線”となることがあるのです。

 このような、歴史学のある種の限界というか、悪く言えば未熟性というか、そ
ういったものをついつい忘れちゃってることが私自身多いんですよねえ。(気を
つけねば‥‥。)

                                  アコ

[2002年7月25日 9時14分31秒]

お名前: コンコン   
アコさんこんにちは
>「天皇家はアマテラスの子孫である!」と考えていたことには、
間違いはないように思えます。
日本書紀によれば
 アマテラスは高天原を、ツクヨミは青海原を、スサノオは天下を治めよとでています。
一書曰くで
 アマテラスは高天原をツキヨミは日と並んで天のことを治めよ。スサノオは青海原を治めよ
古事記では
 アマテラスは高天の原を、ツキヨミは夜の国を、スサノオは海原を支配せよ

 イザナギ時代は海原が天下であったのが、アマテラス時代以降は農業主体に
なったために太陽神であるアマテラスが主体となったのではないでしょうか?
だから国譲りや天孫降臨に見られるように陸地をほしがったのでしょう。

>スサノオは高天原へは単身でやってきたようですから
一書(第2)曰くで、スサノオは一柱の神羽明玉から玉をもらっています。
だから単身とはいえないのでは?それにアマテラスとスサノオの間に生まれたのでは
誓約が成り立たないのでは?

[2002年7月23日 22時15分28秒]

お名前: アコ   
 コンコンさん、こんにちは。

 コンコンさんのおっしゃる通り、少なくとも現代人の私たちから見れば、
「『日本書紀』神代上、第六段本文および異伝を読む限り、天皇家はスサノオの
子孫である!」と言うことは可能かと思います。

 その反面、『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年六月丁巳(23日)条では、
イワレヒコ(後の神武天皇)自ら「我皇祖天照大神、」と言われていますから、
天皇家にはアマテラスを祖神とする伝承が存在し、『日本書紀』編纂当時それが
公認されていたことも事実だと思うのです。

 もちろん、こういった“食い違い”を『日本書紀』の編者や当時の読者たちが
気付かないはずはないでしょう。しかし、彼らはこれを“食い違い”とは考えな
かった。それは、当時、上の2つを同時に満足させる解釈があり、それが“常識”
となっていたからではないでしょうか。

 そこで、『日本書紀』の日本神話の中からその“常識”を探ってみようと思っ
たわけですが、まずは、かなり長くなりますが、『日本書紀』の日本神話の内容
と論点を整理させてください。

 神代上、第六段本文および異伝によれば、長姉の天照大神(あまてらすおおみ
かみ;以下、アマテラス)が統治する高天原(たかまのはら)にやってきた末弟の
素戔鳴尊(すさのおのみこと;以下、スサノオ)との間で行われた“誓約”(うけい)
の内容、その際に生まれた神々と判定結果は、以下の通り。

【誓約内容】
本文  :スサノオ「もし、自分が生む子が女なら邪心があり、もし、男なら
     潔白な心である。」
一書第一:アマテラス「もし、お前の心が潔白であれば、お前の生んだ子は必ず
     男神である。」
一書第二:スサノオ「自分が女を生めば邪心があり、男を生めば真心がある。」
一書第三:アマテラス「もし、お前に敵対心がないのならば、お前の生む子は必
     ず男であろう。そして、もし男を生んだのならば、その子に天原を
     治めさせよう。」

【生まれた神々】
本文  :アマテラスは、スサノオの十握剣から三女神を生む。アマテラスは、
     これらをスサノオに授ける。そして、これら女神は筑紫で祀られる。
     また、スサノオは、アマテラスの五百箇御統から五男神を生む。これ
     らはアマテラスが養育することになる。
一書第一:アマテラスは、自らが装備する剣から三女神を生む。アマテラスはこ
     れらを筑紫に降す。スサノオは、アマテラスの五百箇御統から五男神
     を生む。
一書第二:アマテラスは、スサノオの八尺瓊の曲玉から三女神を生む。スサノオ
     は、アマテラスの剣から五男神を生む。
一書第三:アマテラスは、自らが装備する剣から三女神を生む。アマテラスはこ
     れらを宇佐島に降す。スサノオは、アマテラスの五百箇御統から六男神
     を生む。アマテラスはこれらを引き取り、天原を治めさせる。

【判定結果】
すべて :スサノオに邪心なし。


 一点補足すると、コンコンさんは[2002年7月21日 11時51分51秒]で最初の別伝
(一書第一に該当)を「スサノオ→スサノオの玉→5男神」とされましたが、五百箇
御統は女性の装束なので、「アマテラスの玉」とするのが“通説”になっていま
す。

 それはともかく、ひとつの例外なく、アマテラスは、スサノオが生んだ男神に
高天原を統治させたことになっているわけです。

 なお、“誓約”の結果によって、高天原への滞在を認められたスサノオでした
が、結局は高天原を追放され、ひとり出雲に向かうことになります。

 さらにその後、天孫降臨(神代下、第九段)により高天原天から降った神の子孫
のひとり“山幸”(やまさち)が、海神の娘である豊玉姫(とよたまひめ)との間に
男の子をもうける。しかし、豊玉姫は産んだばかりの子と自分の妹である玉依姫
(たまよりひめ)を残して海に帰ってしまう。(神代下、第十段)

 そして、その男の子が成長し、叔母であった玉依姫と結婚し、四人の男子をも
うける。その末弟が、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)すなわち
後に神武天皇(じんむてんのう)と呼ばれることになる人物である。(神代下、
第十一段)

 以上をまとめると、

(1)『日本書紀』による限り、スサノオが生んだとされる五男神は、アマテラス
  の子として高天原で育てられはしたが、アマテラスと血縁関係にはない。
(2)また、その中には後の神武天皇の直系の祖先も含まれている。

 したがって、コンコンさんが言われているように、血縁上、「天皇家はスサノオ
の子孫である!」ということはできても、「アマテラスの子孫である!」という
ことはできないわけです。

 しかし、繰り返しになりますが、『日本書紀』の編者にしろ、当時の読者たち
にしろ、やはり「天皇家はアマテラスの子孫である!」と考えていたことには、
間違いはないように思えます。

 では、この違いはどこにあるのでしょうか。たぶん、私たちが『日本書紀』の
読者としてふさわしくない。言い換えれば、『日本書紀』は私たちを対象に書か
れたものではないからだと思います。

 つまり、当時の人びとは「天皇家はアマテラスの子孫である!」とする、より
確実な情報をもっていたとか。

 じゃあ、それはどんな情報だったのか?というと、ここからはまったくの想像
というか空想になりますが、『日本書紀』の日本神話を最初から見てみると、
おもしろいことに気付くのです。

 たとえば、まず最初に純粋に男性な神様がいたとされます。(神代上、第一段、
本文および異伝) 次に男女が対になった神様がいたとされます。(神代上、第二段
および第三段、それぞれの本文および異伝)

 そういった男女が対になった神様のうち、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;以下、
イザナギ)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;以下、イザナミ)によって、“国生み”
が行われたとあります。(神代上、第四段、本文および異伝)

 そして、第五段本文によれば、二人は日の神、月の神、蛭児(ひるこ)、スサノオ
を生んだとされます。蛭児は川に流したので、残った“日の神”すなわち大日メ貴
(おおひるめのむち;アマテラスの別名)、“月の神”すなわち月弓尊(つくゆみ
のみこと)またの名を月夜見尊(つきよみのみこと)あるいは月読尊(つくよみのみ
こと)、そしてスサノオまたの名を神素戔鳴尊(かみすさのおのみこと)あるいは
速素戔鳴尊(はやすさのおのみこと)を合わせ、いわゆる“三貴神”(さんきしん)
が誕生します。

 このように、神様が誕生する“基本型”というのは、イザナギ・イザナミ以降、
男女の対によるのです。つまり、これらの神話を伝えた人びとにしても、常識的
に、男神だけとか、女神だけでは、何者も誕生しないと考えていたと想像される
わけです。

 ただし、第五段の異伝の中には一書第六のように、黄泉(よもつくに)に行って
しまったイザナミをたずねたイザナギが、そこから逃げ帰ったのち、身の汚れを
落したとき、男神であるイザナギひとりで、三貴神などの神々を生んだとする伝承
もあります。しかし、これにしても文脈から考えて、少なくとも三貴神の母親は
イザナミであっただろうし、そのとき生まれたその他の神々にしても、本来は何
かしらの女神(たぶんこれらもイザナミ)から生まれたと伝承されていたのではな
いでしょうか。

 したがって、コンコンさんが問題とされた第六段でアマテラスが、高天原にやっ
てきたスサノオとの間で行なった“誓約”の際に誕生した神々にしても、それぞ
れアマテラスと男神の間、そして、スサノオと女神の間に生まれたと本来は伝承
されていたと思われるのです。

 また、スサノオは高天原へは単身でやってきたようですから、五男神を実際に
生んだのは高天原の女神だったことになります。では、その女神は誰なのか? 
冒頭で挙げた“食い違い”が生じない唯一の解釈は、アマテラス自身ということ
になります。

 つまり、本来の伝承では、三女神や五男神はアマテラスとスサノオの間に生ま
れたというものであったのが、

(a)姉弟相姦を忌むようになったため。
(b)あるいは、本来の伝承では血縁関係のなかったアマテラスとスサノオを、姉弟
  であるとする伝承が生まれたため。

現在伝わっているような“誓約”という形に置き換えられ、『日本書紀』に採録
されたのではないでしょうか。


【注】ここでは、「子孫と名乗れるのは血縁者のみである!」ということを前提
にしています。なぜなら、もし、血縁者でなくても子孫であることを勝手に名乗
り、それが公認されるような社会が存在していたとすれば、ここでの推論はまっ
たく意味のないものになってしまいますから。(^__^;)

                                  アコ

[2002年7月23日 7時51分48秒]

お名前: コンコン   
 日本書紀を読むと天皇家はアマテラスではなく、
スサノオの子孫ではないでしょうか?
 皆さんはどう思われますか?

 アマテラス→スサノオの剣→3女神
 スサノオ→アマテラスの玉→5男神
別伝
 アマテラス→アマテラスの剣→3女神
 スサノオ→スサノオの玉→5男神
別伝
 アマテラス→スサノオの珠(羽明玉という神からもらう)→3女神
 スサノオ→アマテラスの剣→5男神

[2002年7月21日 11時51分51秒]

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