記事タイトル:卑弥呼ってほんとにいたの?

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お名前: みるん
卑弥呼いてほしいな・・・、
[2014年12月18日09時25分]
お名前: 1世紀に生きていた人
私・・・。                                   卑弥呼を・・・。                                見てしまいました・・・。                            1世紀のころ私、卑弥呼を見てしまいました
[2014年12月05日11時16分]
お名前: たらこ
29歳、その通りだよね。

[2014年07月03日13時33分]
お名前: 29歳
ここはそういうことを書き込むところではないよ

[2014年07月03日13時29分]
お名前: トイレ
卑弥呼大好きだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[2014年06月30日14時17分]
お名前: トイレ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
[2014年06月30日14時13分]
お名前: りんご、きらい
卑弥呼は、かわいいの?
[2014年06月30日14時08分]
お名前: たらこ
そうなんだ。                                  
[2014年06月30日14時04分]
お名前: 卑弥呼
私は昔生きていました
[2014年06月30日14時01分]
お名前: 冷凍ミカン
卑弥呼はいると思う・・・
[2014年06月30日13時55分]
お名前: たらこ
みんなは、卑弥呼がいると思いますか。                     私は・・・。 
[2014年06月25日11時17分]
お名前: たらこ
卑弥呼って、すごい。確かに、疑問がいっぱいだね。
[2014年06月13日12時10分]
お名前: 小学6年生
卑弥呼は、いないとも言われているし、いるとも言われています。
でも、私はいないと思います。理由は、卑弥呼は村の人には姿を見せず、姿を見せるのは、ただ一人、弟だけだったと書かれているからです。
卑弥呼と言う人物は、やはり疑問ですね。
[2014年05月11日12時35分]
お名前: れんか
夏休みの宿題で歴史新聞です(´・ω・`)
卑弥呼のことを書こうと調べてるけど全然資料でてこない・・・!
卑弥呼の呪術とかおまじないとかってどうやってたんだろう!
とりあえず卑弥呼は実在した!よね!!
[2013年09月01日01時07分]
お名前: カノン♪
卑弥呼のお墓って、箸墓古墳らしいよぉ!
卑弥呼って、「姫子」とか、「ひむか」ってあだ名がついてたみたいww
それじゃあ、どれに返事していいか分からなくなるよねぇwww

誰かのお返事待ってまぁす♪
でゎでゎ♪
[2013年08月23日20時37分]
お名前:  てってれてってってーー
卑弥呼の墓は前方後円墳かもしれないらしい・・・

[2013年08月15日16時26分]
お名前: レミ☆
はじめまして。
わたしの学校にゎ、卑弥呼のマンガが
あるんですが、それにゎ卑弥呼に似た
子供が跡継ぎになってましたょ〜

ぢゃ、さよなら(/≧◇≦\)
[2013年08月12日10時09分]
お名前: ミッキー    
ゆなっていう人ーーー                               誰?
[2013年08月09日11時25分]
お名前: ミッキー
卑弥呼の資料見つかりましたー^^−                                                                やったー^0^


[2013年08月09日11時21分]
お名前: カノン
だれかぁーいないですかぁー?

[2013年08月08日09時38分]
お名前: ゆな
ミッキーさん少しうるさいでーぇす ここわうるさくしないでーぇす
[2013年08月08日09時02分]
お名前: ミッキー
アコさん!卑弥呼のこと                                                                      教えてください!0!お願いします!!!
[2013年08月07日16時15分]
お名前: ミッキー
卑弥呼のこと教えてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[2013年08月07日16時02分]
お名前: ミッキー
卑弥呼ってほんとにいるんですかー?                        教えてください@−@b                             今、夏休みの自由研究で卑弥呼のこと調べているんですけど資料が全然見つからなくてーーー;−;・・・                                誰か卑弥呼のこと教えてください888                      お願いします^0^¥
[2013年08月07日15時05分]
お名前: ミッキー
卑弥呼のこと教えてください^0^;;;
[2013年08月07日14時47分]
お名前: ヒナタン
歴史全体教えてくださーい

[2013年07月30日17時14分]
お名前: ガキんちょ
ひみこって人物いた?!
[2013年06月07日17時48分]
お名前: ちぴるん♪♪
卑弥呼ゎ社会の教科書でも、3行くらいの説明でしか載ってないデス。

卑弥呼の後継ぎの話も謎なんだよね。

ていうか卑弥呼の後継ぎは卑弥呼の親戚なんだって!!でも卑弥呼は結婚してないんだって!!やっぱちょ〜怪しい…
[2013年06月02日13時42分]
お名前: 羚那
私も6年です!
卑弥呼は今歴史で習っていて
自主勉強とかで卑弥呼の事が知りたくて
調べています!

卑弥呼はホントにいたのでしょうか
いたら何歳なのでしょうか

卑弥呼は記録が残っていないので
不明…


[2013年05月17日06時42分]
お名前: 6−6
卑弥呼ほんとにいたなら子孫もいるのかな                      いたら卑弥呼のこと教えてほしい!                         でも日本にいないか
[2013年05月14日21時33分]
お名前: 優香
卑弥呼っているかいないかを調べてるんだけど・・・
あんまり良くわかんない。
[2013年05月13日20時06分]
お名前: 6−3
私も、6年の社会で調べています。
卑弥呼はいると思います。卑弥呼がいたこと、してきたことが書かれている本があります。それから 卑弥呼の墓もあるわけです。
こんなに 詳しく調べられていて、いないわけがないと思います。
[2013年05月12日20時41分]
お名前: ちぴるん♪♪
私も卑弥呼のことしりたいです・・・。
私小6で卑弥呼のこと調べてマス♪
情報集め協力するょ♪♪
なので、ヨロシクお願いしまぁーーす
[2013年05月10日20時28分]
お名前: 弥生
卑弥呼の跡継ぎで台与という人物がいたらしい・・・
[2013年05月08日11時05分]
お名前: 弥生
卑弥呼って怪しそうな人ですね・・・
[2013年05月08日10時57分]
お名前: 6−1
卑弥呼にはなぞがたくさんあるので、
本当にいたか知りたい
[2013年05月07日21時26分]
お名前: 卑弥呼好きの6年生
はじめまして。私も卑弥呼がいたのか知りたいです。                歴史好きの私でも、解けない謎といてください。
[2013年05月02日21時21分]
お名前: 小6
弥生時代と卑弥呼様についてだれか教えてくれ(・@・)
[2013年05月01日11時01分]
お名前: ひーちゃん
卑弥呼はいたと思う。っていうか絶対いた。
[2013年04月29日18時07分]
お名前: さああ
何か調べ学習で、卑弥呼はどんな人かを調べないといけないんですけどぜんぜんわかりません誰か教えてください
[2013年04月16日20時43分]
お名前: 小6
ほんまに?
私は、歴史が好きなので誰でもいいから教えて〜!!!
[2013年04月09日13時33分]
お名前: サガミハラハラ
 そうですか、そのアカシックレコードリーディングとやらは間違っています。
卑弥呼の存在は歴然たる事実です。
[2013年03月22日18時40分]
お名前: ホソピ
http://az-fine.com/index.php?%27%27%E3%81%AF%20%E8%A1%8C%27%27#y85482b4


アカシックレコードリーディングにより、卑弥呼はいなかったことが確認されました。
[2013年01月31日12時07分]
お名前: サガミハラハラ
卑弥呼ですか?後漢書・隋書・晋書・梁書にもでていますよ。
[2013年01月29日00時17分]
お名前: 困ったもんだ
卑弥呼には、疑問を持ってます。
本当に居たんだろうか?
中国の三国志にしか出てこない
しかも僅かに5ページほど。
日本の歴史書には、全く記載がない
果たして日本なのかどうなのかも
定かではない!
居なかったって考えてもおかしくない
と思うのですが
[2013年01月19日18時20分]
お名前: cloverスマイル
卑弥呼はいましたよ♪
卑弥呼がいなかったら
魏志倭人伝にそのことを書かれてなかったと思う
[2012年12月30日17時17分]
お名前: とある中学生
卑弥呼の弟があなたの兄だなんて嘘に決まってるでしょ。
生きてる事自体おかしいのだから。


[2012年08月31日18時24分]
お名前: シャトル
ところで、相談したいことがあるんですけど、
夏休みの宿題でガイドブックを作るんですが、
社会の歴史を調べたくて題材をそれにしたんですけど、
意外と思い浮かばなくて困ってたんです。
誰か役立つ情報を教えてください。
「卑弥呼のことなら何でもいいです」
[2012年08月29日17時39分]
お名前: シャトル
はじめまして
僕も卑弥呼のこと気になってました。
[2012年08月29日17時30分]
お名前: いろか
卑弥呼いたよ!! 絶対!!
[2012年08月29日10時01分]
お名前: サガミハラハラ
訂正お願いいたします。
183年の前に「光和六年」をつけてください。
卑弥呼と接見の次の「243年」を削除
帰りが磯痛みを「帰りが遅いため」に訂正
塞曹炎掾史から「炎」を削除
以上よろしくお願いいたします。
[2012年08月20日08時13分]
お名前: サガミハラハラ
卑弥呼の年表
生年月日不詳
183年 女王として共立される。卑弥呼の名は称号
景初三年 239年 魏に貢献
正始元年 240年 魏使梯儁ら来日 卑弥呼と接見243年 親魏倭王の金印を受け取る
正始四年 243年 魏に貢献 遷都(吉野ケ里から小城甘木へ)と国号変更(邪馬一国から邪馬台国へ)の報告
正始六年 245年 魏に倭国統一にための詔書と黄幢の下賜を申請
正始七年 246年 半島の混乱のため授受が滞る。
正始八年 247年 半島の混乱が収束 使者の帰りが磯痛め催促の使者載斯烏越等を遣わす。
    難升米に拝仮
正始九年 248年 魏使塞曹炎掾史張政等をつかわす。
    卑弥呼死亡(前年の247年の可能性あり)
    男王をててるが国中服さず更更相誅殺しあう。
    宗女壱与を立て、混乱が収まる。
    張政等帰国 壱与の貢献の使者も同行 
[2012年08月20日08時02分]
お名前: 暇人
私も卑弥呼について調べています。
簡単な年表が見たいです(^^ゞ 
[2012年08月11日18時35分]
お名前: スマイル
卑弥呼っておまじないとかやってたって言ってるけど、                 マジ嘘っぽくネ…
[2012年06月25日16時38分]
お名前: 佐紀
だれか卑弥呼ってしらない?
[2012年06月03日17時34分]
お名前: 太刀
大刀さんなどアラらさん惟違います。正しくは太で~ス。
[2012年06月01日18時51分]
お名前: wwwww
卑弥呼ってどんなひと?

[2012年05月31日14時26分]
お名前: 小6
卑弥呼は、みんなに自分の力をみんなに信じてもらうため、月を雲でかくして信じてもらい王になったそうですよ!
この情報使ってください!

[2012年05月29日19時17分]
お名前: にゃーた
ひさしぶりーーー。いやー、こんな短い期間でいっぱいコメントあるね。すげー。
[2012年05月21日18時13分]
お名前: 七奈「なな」
なのさんもそうなんですか?
いくら探しても、見つかりませんでしたよね。
実は、私もなんです。いくら探しても、見つからないんですよ。
今度、お話しましょう。
                           ❤❤待ってまーす❤❤

[2012年05月20日23時32分]
お名前: 七奈[なな」
卑弥呼の生年月日や、出身地が知りたいです。
誰か教えてください。
よろしくお願いします。

[2012年05月20日23時26分]
お名前: なの☆
あたしもです。
もうすぐで提出期限になっちゃう!
[2012年05月18日23時01分]
お名前: 彩乃
こんばんは。
卑弥呼について調べています。
よかったら教えてください♪
[2012年05月18日21時25分]
お名前: なの☆
調べて見たけどやっぱり見つからない・・・・

[2012年05月18日21時05分]
お名前: もっちゃん
おまじないってどうやってしてたんだろう?
わかる人おしえて!!
返事まってます。
[2012年05月14日20時07分]
お名前: ゆっこ
結構みんな書き込みしてるんだねぇ〜
そんな同じ人が書き込みしあってるって・・・
みんな卑弥呼のことメッチャ調べてんだね。
(ただ何となく書き込みしただけ)
がんばってねぇ〜
[2012年05月13日22時00分]
お名前: 美沙
返事の文も思いつかんのか(笑)
[2012年05月13日19時11分]
お名前: 美沙
邪馬台国の女王じゃないとしたらどこの女王だっつーの
この能無し女
[2012年05月13日15時59分]
お名前: なの☆
そっか。
ありがとう美沙さん。
[2012年05月13日15時55分]
お名前: 美沙
邪馬台国でしょ。
ふつうに考えて

[2012年05月13日15時21分]
お名前: なの☆
卑弥呼はどこでまじないをしていたの?
分かるひといますか?
[2012年05月13日14時40分]
お名前: ☆小6ちゃん☆
卑弥呼はホントにいたそうだよ〜
西暦250年頃亡くなっているそうですよ。
13歳で王になったと言われています。
多分83歳以上生きていたといわれていまぁす。
あとぉ、卑弥呼は100枚の鏡をもらったそうです。
(そんなに鏡必要か!?)
卑弥呼が亡くなった後に壱与(いよ)と言う女王がいたそうですねぇ。
奥深いですなぁ〜
ちなみに卑弥呼中国人ですぅ!! 
[2012年05月09日17時16分]
お名前: まっちゃん
卑弥呼には家族などの親せきはいたんですか?とても気になります!
[2012年05月08日20時22分]
お名前: あっちゃん
女の召使が1000人いて、唯一男が一人いたんだって!弟ではない・・・
さくらんぼさん友になって!!

[2012年05月07日21時32分]
お名前: さくらんぼ
私は、いたとおもうけど でも卑弥呼は1000人の女の人がいたと教科書に書いているから私はいるとおもうよーー


[2012年05月05日13時35分]
お名前: マカロン
やっぱ6年で勉強するよねぇ〜〜↴どうしよう・・・卑弥呼についていろ×2知りたいけど意外と資料がなくって・・。卑弥呼の顔知りたいなぁ〜((特になんですけど・・・
なんでもいいのでお答えください!資料が必要です!!
[2012年05月04日13時34分]
お名前: 小6
卑弥呼の召使について教えて!
[2012年05月03日16時38分]
お名前: あっちゃん
ありんさん、仲間がいて心強いです!!
何年生なんですか?
私6年です!!

[2012年05月01日22時44分]
お名前: ありん
はじめまして!!ありんです。
卑弥呼はどうして人に姿を見せなかったの??
あっちゃんさん、私もそれ疑問です!
[2012年05月01日22時40分]
お名前: あっちゃん
ちょりーっす!!
宿題なんでおしえてください!!

[2012年05月01日22時30分]
お名前: あっちゃん
卑弥呼のこと知りたいんです!  教えてください!
[2012年05月01日22時23分]
お名前: リココン☆
こんばんは(*^_^*)
卑弥呼は教科書にものっているから、
実在すると思います。
[2012年04月28日23時06分]
お名前: あらら
みなさん、少し、題とはずれていませんか?大刀さんなど。
[2012年04月26日21時19分]
お名前: にゃーた
私も小学六年生です。今、歴史の勉強をしています。答えではありませんが参考に、なりました。ありがとうございました。
[2012年04月26日18時29分]
お名前: なぞ
6年なんですけど本当に卑弥呼はいるんですか。


[2012年04月26日15時09分]
お名前: りる【Riru】
1だけどまたまた卑弥呼から勉強しなおし・・・全然わかんなぃわw
[2012年04月25日17時10分]
お名前: 太刀
久しぶり〜。串団子さん覚えてる?太刀だヨ。中2になったヨ。
[2012年04月24日18時14分]
お名前: れっちーー
私も卑弥呼は、いると思います。夏子さんみたいに、いると思いました。

[2012年04月16日19時04分]
お名前: 夏子
あたしはいたと思う。
[2012年03月11日22時53分]
お名前: 串団子
約1年ぶりに登場!!
串団子で〜す!
かくことな〜〜い!!
[2012年02月06日18時12分]
お名前: プノ佐野バム
選択なう
卑弥呼はここにいる!!!!
明日連れて行く
待ってろよ!!!!
最近モテナイ
ミヤが最近かっこいい

[2011年10月21日13時52分]
お名前: ヤッホー
卑弥呼は、いるかどうかもわかりません だけど、いたなら奈良県か、福岡県に、 いるとテレビで見ました 
[2011年08月20日18時30分]
お名前: 6年生
卑弥呼について詳しく教えてください><自由研究でやっています。
[2011年08月16日16時44分]
お名前: 困り屋
夏休みの宿題で卑弥呼の事書く―そうしたらこのページムッチャ役に立つ!!!
ホントありがとサン。
まとめてみようか?
[2011年08月15日15時06分]
お名前: コナン
ここは、死ねとかそう言うことを書き込むところじゃないとおもうよ。
[2011年07月05日19時23分]
お名前: らんおう
博物館長バーカ 
死ね
[2011年07月02日19時48分]
お名前: 博物館長
卑弥呼の卑は貧しいとかそういう意味を表しています。
覚えておくと後で役に立ちますよ

[2011年06月21日18時12分]
お名前: プゥさぁん
ちわー^−^
小6で歴史勉強中です

[2011年06月10日17時56分]
お名前: いぬいぬ
卑弥呼ってすごいよね
[2011年06月10日17時51分]
お名前: 嵐大好きな嵐っ仔
嵐様ってなんであんなカッコいぃんだろぅ・・・
[2011年06月09日19時53分]
お名前: みっきー
うち東京にいるよほかにもいるみんなってじゅけんするの
[2011年05月27日23時40分]
お名前: 怪盗キット
か、かぜなさん。ど、どうしてそれがわかったんですか。
[2011年05月27日16時26分]
お名前: 愛利水
今学校で卑弥呼を調べてます                            ぜひ教えてください
[2011年05月26日16時53分]
お名前: 小6
卑弥呼のことを何でもいいので教えて(^_^)/
[2011年05月25日12時23分]
お名前: かぜな
怪盗キットさん、あなたは、女じゃ、ないですか
[2011年05月24日21時37分]
お名前: 怪盗キット
はっはっはっは、、それはどうも。失礼。では
[2011年05月24日18時06分]
お名前: かぜな
怪盗キットさん、土曜日に、学校があったんですよヨヨ
[2011年05月21日09時11分]
お名前: 怪盗キット
 さあ、僕[私]は何歳で、男 女 どちらでしょうか?
[2011年05月18日19時25分]
お名前: ゆーき
かぜなさん わたしは 6年生です

千葉県にいます

友達になりませんか

[2011年05月17日19時16分]
お名前: 怪盗キット
かぜなs、今日は月曜日ですよ。8時44分にパソコンをしたなら学校に、行っていたはずです。振り替え休日とかなのですか。                                   よければ返事ください。                  怪盗キット
[2011年05月16日19時37分]
お名前: 怪盗キット
50%以上の確率がないと、卑弥呼はいたと証明できないと思うのが、自分なりの考えだ。
[2011年05月16日19時29分]
お名前: かぜな
ゆーきさんは、何年生ですか?何県ですか?卑弥呼って、ほんとにいたんじゃないかと…わたしは思ってるんですけど…どうなんでしょう
[2011年05月16日08時44分]
お名前: 怪盗キット
6年をこえ、参上。                                卑弥呼は、居た確率が大きい。                          と、思っている。
[2011年05月15日20時59分]
お名前: ゆーき
ほんとに   なんで死んだんでしょう

[2011年05月12日20時11分]
お名前: わたし
卑弥呼ってなぜ死んだの?

[2011年05月12日10時15分]
お名前: ゆーき
卑弥呼の勉強 わかりません

おしえてください**************
[2011年05月11日20時46分]
お名前: ゆーき
私の家の近くに 

貝塚が あります*********************
[2011年05月10日20時49分]
お名前: ゆーき
ゆーきは 小6でーーーす

卑弥呼の趣味 教えてーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

宿題なので******
[2011年05月10日20時45分]
お名前: ゆーき
こんにちわ   ゆーでーーーす      

卑弥呼について調べちゅーーーでーーーーーーす
[2011年05月10日20時24分]
お名前: かぜな
私は愛媛県なんですS小6ですヨ歴史頑張って勉強していますN
[2011年05月09日22時11分]
お名前: きっず
卑弥呼の勉強しています
インターネットで調べろとか、いわれます
[2011年05月09日09時39分]
お名前: みっきー
みなさん初めまして わたしはみっきーでーーす よろしくね           突然ですがみんなは邪馬台国はどこにあると思いますか              おちえて^^   
[2011年05月07日22時13分]
お名前: 六年生
卑弥呼様は、一体どこに住んでいたの
[2011年05月07日14時30分]
お名前: さこ
たし群馬人です。

よろしく

[2011年05月01日14時48分]
お名前: 美桜
今歴史の勉強をしています。卑弥呼ってほんとにいるんですか?
[2011年04月28日14時29分]
お名前: 卑弥呼
昔私の母が古墳を見つけたことがあるそうです!
近所に空地がありそこでいつも掘っていたそうです!
[2011年04月24日11時16分]
お名前: 耀姫(あかるひめ)
卑弥呼というのは、邪馬台国の女王として魏志倭人伝に登場する人物ですね。邪馬台国では、男の王では国々がうまく治まらないため、宗教界の巫女が男王の代わりを務めた時代があって、有名になったようです。中国の魏の国と交流していたので、歴史に名前が残りました。

邪馬台国という文字は、当時の中国の人々の当て字なので、漢字に意味は含まれていません。ヤマタイ国は間違いで、ヤマイ国と読むのが正しいという説もあります。ヤマイの意味ですが、当時の国は山城を拠点として、取り囲むように作られていったので、このような名前の国が出来たのだという故老(昔のお爺さんお婆さん)からの伝承もあります。もしも山を囲んだ国の意味ならば、山の字と、囲むという意味を持つ国構えの口の字を組み合わせた、今の山口県の地名がその名残りの可能性も出てきます。山口から九州の北東部にまたがって栄えた国の痕跡があり、邪馬台国の候補地の一つとして検討されたこともあるようです。でも、他にもさまざまな説があって、どれが正しいかは、まだはっきりしていません。

同じように卑弥呼も当て字です。当時の発音を推理した結果、ヒミコではなく「ピミヲ」と発音されていたのではないか、といった説が有力ですが、当時の音を完全に推理することは難しいようです。ピミヲの意味は、国を食す(ヲス 統治する)日の巫女(または御子)といった説をはじめとして、これも複数あってはっきりしません。意味と合致する漢字を使うなら、日巫王と書いたほうが適切かもしれませんが、これも推理にすぎず定着はしていません。

幾つかの神社の伝承によると、ヒミコはヒメコソ(比売許曽)が訛った言葉と言われています。ヒメコソとは、神道のルーツとされる道教が信仰されていた、中国大陸の扶余・高句麗地域の古い言葉で、姫神を祭る神社という意味です。姫は古い時代には日女(ヒメ)と書いて、太陽神に仕える巫女や、兄王に仕える妹姫(乙姫 斎王)のことを意味していました。今でも大阪市東成区に残る比売許曽神社には、ヒメコソ団子のことを短くヒミコ団子と呼んだとする言い伝えが残っています。太陽に仕える巫女を没後神様として祭ったものが姫神で、赤い瑪瑙の珠(太陽の象徴)の化身とされる耀姫が、卑弥呼や神功皇后や天照大神(女神)などの原型になったと、うちの一族の故老は伝えています。
[2011年04月14日10時39分]
お名前: 太刀
串だんごさん何市に住んでるの?僕は高崎市です。
[2011年04月01日12時04分]
お名前: 6年生
卑弥呼は本当にいたの?
もし、いるのでしたら卑弥呼のどこがすごいの?
教えて下さい。

[2011年03月31日10時47分]
お名前: 串だんご
太刀さんマジ!!??
うちも群馬県だよ 仲間====!!!

[2011年02月15日21時48分]
お名前: ちー
串だんごめっさモテるやん!!
うらやまし〜(^−^)/
[2011年02月09日22時24分]
お名前: ちー
ウチは約中1よろしくな〜(^−^)
[2011年02月06日18時07分]
お名前: 太刀
串団子さん付き合ってください僕は群馬県の箕輪城近くに住んでいます
僕は小6です
[2011年01月21日18時09分]
お名前: ゴメス
串だんごさん彼女になってください
[2011年01月21日18時04分]
お名前: 串だんご
あたしも彼氏ほしいー(>_<)
話やすい人 大募集!!!!!!!

[2010年12月31日15時18分]
お名前: 串だんご
こんにちは 串だんごでーす
歴史に関係ないけど ちーさんmisakiさんはいくつなんですか?????
[2010年12月30日20時00分]
お名前: ちー
まじ?
かなりウチの、理想にあってる!!

すげ〜(0−0)

[2010年12月25日21時45分]
お名前: 雄助
俺は、モテモテやし、バカやで!!
ちーの、好みに、合ってる?

[2010年12月05日17時04分]
お名前: ちー
みんな、おヒサー♪雄輔〜愛してるで!!
misakiさんって、彼氏おる?うちは、おる〜(雄輔♥)
ILOVE雄輔(^−^)♪

[2010年12月04日13時53分]
お名前: MISAKI

卑弥呼は一人暮らしってほんとうですか?

だいぶん前そのようなお噂が・・・・ 違うのでしょうか?


卑弥呼ってすごい技術持ってたのも本当ですか?

[2010年11月16日21時50分]
お名前: ちー
こんにちわー
うちでよかったらいいよ(^−^)
でも、質問・・。
第1、モテテル?
第2、バカ?
質問に答えてー!!
     アイラブ・雄助(^−^)チュッ!!
                           チーより

[2010年11月06日18時32分]
お名前: 雄輔
こんにちわー・・・
ちーさんへ・・
ぼく、城山古墳の近くにすんでいます。
ちーさん、ぼくと付き合ってください・・・小6ッス!!
ヨロシクお願いします。

[2010年11月06日08時07分]
お名前: ちー
おーい?ミーちゃん・・・?うち、ミーちゃんと、メールみたいに出来てないから最近
暇、暇、暇、暇、暇・・・・・・
[2010年11月04日20時20分]
お名前: ちー
おはよー(^−^)・・・今日もメールみたいに、げきる?
[2010年11月03日09時44分]
お名前: ち
(^−^)<おーい?)
[2010年11月02日21時26分]
お名前: ちー
misakiさん、ヨロシクッス!なぁーこれからあんたのこと、ミーちゃんって読んでいい?
今日からヨロシクッス!!
[2010年11月02日21時19分]
お名前: MISAKI
ちーさん

初めまして
それいいですねー

メールみたいにお話しましょう(o^∇^o)ノ
[2010年11月02日20時52分]
お名前: MISAKI
でも最近分かったのは
お父様が亡くなってからはずーーーーーーーっとひとだったそうですよー?

あと卑弥呼がいたとこにそれが↑かいてあったんですよ

調べに行った場所は中国だったと思います。←(ほんとかよ・・・。)
[2010年11月02日20時49分]
お名前: ちー
久しぶりー元気ー?うちは、元気ッス!!
今うち、小6ヤねんけど、卑弥呼がホンマにおったんかわからんー!!
うち的には、おったとおもうねんけどー!

誰でもいいので誰かこれで携帯みたいにメールしいひん?
うちは、女で城山古墳の近くで住んでいます。好きなスポーツは「バスケ」ッス!
誰かメールみたいにしよー!!!!!!!!!!!!!!!
んじゃ、バイバイ!またねー!


[2010年11月02日20時45分]
お名前: んがー
いるんじゃないの?
卑弥呼の特徴は?
[2010年09月13日21時46分]
お名前: 小Eの女の子
卑弥呼が生まれた年が分からないのが謎だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
[2010年09月09日16時26分]
お名前: 小学E年生
私も卑弥呼が本当にいたのかしりたいです

[2010年08月25日13時20分]
お名前: 中一
卑弥呼様〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
[2010年08月19日17時18分]
お名前: める
卑弥呼が死んだとき、墓は100人も生き埋めになったらしいです(゜д゜;;;)
卑弥呼は呪術もつかえたという話も。
本当に怖かったらしいですよ…。
そして、卑弥呼は独身だったそうです。
何か理由でもあったのでしょうかね。
卑弥呼の情報は魏志倭人伝からしか得ることができないので比較的謎が多いです。
とくに、卑弥呼の死については、まだまだ謎が沢山です。
皆既日食のせいなのか。皆既日食を予想できず誰かに殺されてしまったのか…謎です。
[2010年08月17日08時18分]
お名前: m
「歴史ニガテ」さんのテストの答えは、(邪馬台国)と(中国)だったと思います。私は、このテスト裏表満点でした。(あるいみ、じまんです。気にしないでください

[2010年08月12日08時15分]
お名前: ミニミニ
卑弥呼はたぶんだけど
「いる」と思います♪
[2010年08月06日10時36分]
お名前: ゲリラ雷雨
卑弥呼は多分いたとおもうよ。
[2010年07月22日20時27分]
お名前: 歴史ニガテ
テストで、「私が( )を治めていたことは( )の古い本に記されている。」
( )の中に入る言葉は何か教えてください!
お願いします><アアア
[2010年07月12日22時10分]
お名前: 歴史ニガテ
テストで、「私が( )を治めていたことは( )の古い本に記されている。」
( )の中に入る言葉は何か教えてください!
お願いします><
[2010年07月12日18時27分]
お名前: ナス
プリンセス、姫だとイメージはかわいくいいんだけど・・・

卑弥呼のイメージは

女王。

女帝。

なんか怖いイメージですわ。

支持率0%
[2010年07月08日01時25分]
お名前: 戦国オタク
死んだときにはいけにえがたくさんいたみたいですね。
[2010年07月07日22時17分]
お名前: 中1
元は男子が王でしたがそれでも戦は治まらなかったので女子を王にしようとしてたんですね。その邪馬台国の女王が卑弥呼なんですね。卑弥呼が女王になってからは人前に姿を見せず、立った一人の男子だけが卑弥呼に食事を運んだり情報を知らせていたりするんです
[2010年06月29日19時08分]
お名前: (>3<)
卑弥呼ちゃん
小6で習う
一番最初の
人物
[2010年06月19日09時31分]
お名前: 紅希
卑弥呼がはやってるの?変わってるね
[2010年06月19日09時27分]
お名前: 佳奈
今学校で卑弥呼がはやってます!
卑弥呼の事早くしりたいです!!
[2010年06月15日18時50分]
お名前: 中学一年生
卑弥呼が行ったことって何がありますか?
細かく教えてください
おねがいします
[2010年06月13日20時20分]
お名前: 里菜
誰か・・・。返事下さい!「これを見てる人

[2010年06月11日21時14分]
お名前: 里菜
私たちは、歴史を勉強をしています。                       それで卑弥呼は、何で姿を見せなかったのかをしりたいです。



[2010年06月11日21時05分]
お名前: 串だんご
卑弥呼ってとことん謎?ですね^−^;;
[2010年06月06日14時51分]
お名前: ちー
卑弥呼おったん?
教えてぇー!!
[2010年05月30日09時24分]
お名前: わぁー
わたしも、卑弥呼の情報がほしいです。
ぜひぜひ、お書き込みをねがいます。
(私も、小六でーす。)
[2010年05月27日18時36分]
お名前: あおい
卑弥呼は、本当にいたんだと思います。いま、学校で、勉強しているんですけどみんなは、いると言っているのでいるんだと思います。
[2010年05月19日17時35分]
お名前: えみり
私は小学生です
今学校で歴史をならってます
卑弥呼の勉強をしてます
もしよければ教えて下さいお願いします
[2010年05月18日19時52分]
お名前: 卑弥呼ーーー
僕も卑弥呼のことお勉強していますよ
[2010年05月17日16時32分]
お名前: まみ
мって私のこと?ふざけないで。
[2010年05月16日19時38分]
お名前: 卑弥呼大御主
存在するかしないかは、
生を尽くし死しても更に確かめよ
皆、我、大御主の生贄となり、我に尽くすのだ
我の世界を望む者
下僕として迎えよう

このM野郎。
[2010年05月16日01時06分]
お名前: まみ
「前の続き」つかえていたそうようよ。
[2010年05月15日17時41分]
お名前: まみ
卑弥呼は弥生時代にいた人で、30ばかりの国を従えていたの。卑弥呼のまわりには1000人位の女子が
[2010年05月15日17時37分]
お名前: ゆか
たぶんいると思う。いや、ぜったいいる。

[2010年05月13日19時29分]
お名前: 串だんご
でもさぁ やっぱり卑弥呼はいたんじゃない?
[2010年05月11日17時56分]
お名前: ナミナミ雲
卑弥呼はいたかいないかは分からない、多分いたと思うよ、いなかったら歴史でならわないし、いたんじゃない、邪馬台国もあったんじゃない?、卑弥呼がいたということになると。ま、それは分からないけどね

[2010年05月10日20時01分]
お名前: みい
卑弥呼が女王になったのは、西暦何年なのか、疑問に思っています。
教えてください><;

私も小6です。!!(>3<)←ば

[2010年05月09日18時45分]
お名前: 6年1組
卑弥呼いたと思うけど。  いなかったら、学校で勉強しないと思うけど。
[2010年05月09日09時50分]
お名前: 小6
卑弥呼はいましたよ。今俺は勉強してるけど、絶対いたよ。

[2010年05月08日18時44分]
お名前: 小6大・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・爻地爻(男)
歴史に卑弥呼がいるんだからいないとおかしいんじゃない?じゃないと歴史にないんじゃない?
[2010年05月06日21時19分]
お名前: ソラヨミ
卑弥呼はいたと思う、多分。いたから歴史に出てるんじゃないかな?、でも卑弥呼は一番古い歴史人物だったはず

[2010年05月06日19時30分]
お名前: マヨネーズ
たぶんいるんじゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー             じゃなきゃ教科書とかに出てこないんじゃ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[2010年05月06日19時09分]
お名前: 小林栞奈

 卑弥呼は、居たと思います。
今、授業で習っているんです。 

   ちなみに私は、6年生で〜〜す☆


[2010年05月06日17時18分]
お名前: aaaaaaaaaaaa
卑弥呼は、本当にいたと思います。
だっていなかったら、歴史では習わないデショufu
[2010年05月05日15時46分]
お名前: ピースぴーす
ヒミコ、インじゃネ つか、どーでもいーだろ
[2010年05月05日15時33分]
お名前: @
卑弥呼はいたんですか
[2010年05月05日15時17分]
お名前: pll
卑弥呼の 親って 誰ですか?
[2010年05月05日13時29分]
お名前: 串だんご
ウエーザーニュースさんの言ってること ごもっとも!!!!
[2010年05月04日20時15分]
お名前: ウェザーニュース
卑弥呼はいたと思う。いないかもしれないし、いるかもしれない。いなかったら中国に記録が書かれていないだろう



[2010年05月04日17時59分]
お名前: 串だんご
卑弥呼っていたとしても卑弥呼が予言してることって あってるの???
占い詐欺??????????????????????????????????????????????????
[2010年05月03日20時06分]
お名前: うんち
卑弥呼さまーーーーーーーーーー
[2010年04月28日12時05分]
お名前: おいおい
イタンジャネえの多分
[2010年04月27日14時34分]
お名前: ネッチロゲー
ひみこはほんとうにいたの

[2010年04月26日15時17分]
お名前: おいおい
そりゃしんでくわれたからダゼヨ
[2010年04月26日15時00分]
お名前: スーパーおばさん
今、私も社会で歴史をやってるんですけど、卑弥呼は死んでいても、弟が卑弥呼の死体をかくしていたんじゃないんでしょうか・・・・
[2010年04月25日20時54分]
お名前: 6年生
なんで卑弥呼は姿をあらわさなくなったの・・・・??
[2010年04月23日20時29分]
お名前: 小学生
卑弥呼の謎と邪馬台国の謎が知りたい
[2010年04月23日10時12分]
お名前: ami
私は今歴史を勉強しています。中々信じ切れない事があります。「卑弥呼はえらい人」と言われてますがそんなにえらい人何ですか?えらいひとには見えますがすごくえらそうな顔や格好をしています。本当何ですか?  このメッセージを送った方もどうですか??
[2010年04月21日18時49分]
お名前: ファルコン
いると思う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

[2010年04月21日14時12分]
お名前: セックス
うんこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおでそうううううううううううううううううううううううううううううううううううううちんげええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
[2010年04月19日21時26分]
お名前: 6年生
私の担任の先生は高校の社会を担当していた先生なんですが卑弥呼様は本当にいたと言っていました。
だから私入ると信じています。
[2010年04月19日20時50分]
お名前: 小6
卑弥呼ってどんな人だったのか詳しく教えてください
[2010年04月18日18時06分]
お名前: でた
曹操さん
ボケか!?
魏志倭人伝、卑弥呼という女帝の存在を書いたのはあなたの国ですが・・・

[2010年04月04日05時22分]
お名前: 曹操
卑弥呼て架空の人物なんじゃないんですか

[2010年04月02日17時40分]
お名前: 曹操
ぼくは曹操です ところで卑弥呼はいるのかな

何か教えてください
[2010年04月01日23時08分]
お名前: 000
でも、邪馬台国って見つかってないじゃん?
[2010年02月25日20時33分]
お名前: ああああああ
でも卑弥呼がいなっかたなら邪馬台国もなかったんじゃ?
[2009年11月17日10時22分]
お名前: やまざき
卑弥呼っていたんじゃないですか、卑弥呼について書かれている本が、あります。卑弥呼は、西暦180年頃から、239年頃にかけて女王だったらしいです。
[2009年10月18日21時25分]
お名前: 下々の人
卑弥呼について調べてもまさに卑しい事ばかり・・・
自分は民の頂点であり神々に使える天使様。
私の墓石には下々の生贄が必要であり誰であろうとこれを覆すことは許さず中国大陸からの天文学を用いペテンにかけ下々を下僕とし扱うのだ。
悪魔、卑弥呼は存在したに違いなく現代に生ける日本人も、それを崇拝し敬う愚かな人々が多いことは確かだ。
[2009年09月06日00時27分]
お名前: ソラ
卑弥呼いるでしょ(-_-;)てかいなかったら、今レポートで卑弥呼調べてる意味なくなるんですけど…。ちなみに中1です(^∀^)
[2009年08月30日09時48分]
お名前: ラリ
ぜったいいるっって、なんだかありえないけど。
[2009年08月28日23時26分]
お名前: い
ひみこのれきしのことだれかおしえて


[2009年08月16日14時39分]
お名前: 小野妹子
卑弥呼は、いるんじゃないんですか?だってあの方は、すぐれた巫女で神のお告げをもとに政治を行ったとされているそうじゃ。卑弥呼の姿を見た者はあまりなく,1000人ものめしつかいがいたと言われている。弟とされている男性が食事の世話をし、外部との取り次ぎを行っていたそうじゃ。

[2009年08月11日12時00分]
お名前: 小4
いやぁ、やっぱ遊びもの。いるか、いないかは卑弥呼に聞けば、分かる事・・・でも今の時代に卑弥呼は、いないもんね。
[2009年08月10日09時44分]
お名前: まる
みんなばか・・・・・・にいいたいんだけど、自分が、ばかなんじゃないの。こんなことかいていいとおもってるの、
[2009年08月10日00時09分]
お名前: まる
ぜったいいるって、うそじゃないかもね。
[2009年08月09日21時24分]
お名前: 小4
私は、いるとおもいました。だって私の家には、伝記があります。だから、ありえないけれどいるしかありません。
[2009年08月04日20時34分]
お名前: 小4
私は、いるとおもいました。だって私の家には、伝記があります。だから、ありえないけれどいるしかありません。
[2009年08月04日20時28分]
お名前: おさき
はじめまして

卑弥呼、いると思います。
まあすご〜くうそは、ついてると思うけど。
[2009年07月04日12時36分]
お名前: 織田信長
今日も、かくよ                                へんじよろしく
                                                
[2009年06月20日20時14分]
お名前: しょうがくいちねん
ひみこはわるいひとだからちらいだ
ちんけんにひみこのこというろくねんちぇいのしとはしょうらいがしんぱいだとおもた
[2009年06月19日02時29分]
お名前: 織田信長
いやいや、皆、わしに返事をくれ


[2009年06月18日21時09分]
お名前: 織田信長
いや、わんこ君きみは、意味分らないな・後、小島よしお君きみは、本当に小島よしお君カネ・皆、ヨロシク
[2009年06月17日21時54分]
お名前: わんこ
卑弥呼いるからばかじゃねーの
[2009年06月11日10時36分]
お名前: 織田信長
わし、織田信長デス;卑弥呼は、わしの代々親友なのじゃ;
[2009年06月05日09時19分]
お名前: 大和
卑(いやしい)
弥 ・・・?
呼(呼べ、呼ばれている)

邪(邪気、邪道、邪魔、邪心、邪神など明らかに良い意味ではない)
馬(放牧民、馬族でもないのに馬の字は、きっと馬鹿、馬糞もしくは馬主に従う下僕)
台(大ではなく、台?)


倭(委ねる「ゆだねる」にニンベンで、いかにも上から目線)

「魏志倭人伝」を書いた人、三国志時代の一国、魏(曹操)は邪馬台国をバカにし屈そうとしていた。
2世紀近くの時を超えた今も他国の書物により現代日本人は忌み嫌われたような名と国名を命名された自国のことであるはず卑弥呼、邪馬台国を呼称そのまま日本史、学校教育に取り入れ受け入れてしまう。
云わば日本独自の史書、呼称がない為に他国で「うんこ王」と呼ばれいたので「うんこ王」と呼ぶしかない状況。
「うんこ王」は本当にいたのでしょうか?
[2009年06月04日04時41分]
お名前: ?
みんなこれは遊びものじゃないんだよバカなこと書かんで真面目に卑弥呼のこと調べな!

・卑弥呼の墓見つかったかも!でも本当に卑弥呼のなのかな?みんなどう思う?!
[2009年05月31日20時56分]
お名前: 中2
卑弥呼の墓って箸墓古墳っしょ??読売新聞に載ってたらしいょ!!まぢびっくりしたぁ!
[2009年05月31日17時41分]
お名前: りんこ
卑弥呼の教科書にのってる絵ってパソコンじゃでないかな?

お初ですw
[2009年05月27日17時01分]
お名前: 小学6年生
うぅーーーん。(レバー手前に引く)
[2009年05月21日00時46分]
お名前: 深いィ〜話♪ グゥ!
あと何年くらい小学6年生やるんですか?
[2009年05月21日00時41分]
お名前: ぶり
卑弥呼いたんじゃねー
[2009年05月19日19時55分]
お名前: 小学6年生
いるんじゃないの????
ハッハッハー
[2009年05月18日21時11分]
お名前: (´・ω・)
卑弥呼の名前って
「ヤマトトトヒモモソメノミコト」
      か
「ヤマトトトモモソメノミコト」どっちだと思う??
あと、「ヤマトタケルノミコト」
       も
卑弥呼と同じように「ノミコト」が入ってるじゃん。
魏志の「倭人伝」に書かれているからそうなのかな???
3世紀から5世紀まで
国を動かして、魏志倭人伝に載っている人は、「ノミコト」って付くのかな???
[2009年05月17日12時45分]
お名前: 電王(リュウタロス) 
     君卑弥呼の事知ってる                                     答えは聞いてないけど!!   
[2009年05月17日12時06分]
お名前: 小島
『ひみこはいた』

でも、そんなの関係ねー

アンポンタンでしょ?
[2009年05月16日01時32分]
お名前: 卑弥呼
私はいるわよ?
だって私の墓まであるんだもの。
オーホッホッホ
[2009年05月13日21時21分]
お名前: ゆゆ
私も小6です。卑弥呼のことは信じてるけど、神の伝えが聞けるとは、どうなのかな?って思います。
[2009年05月10日17時42分]
お名前: (*´-ω-)
うちは卑弥呼しんじとんやけど・・・
んーとね卑弥呼の力ってあるやん?
それはどんなんか教えてほしいですっ。
[2009年05月10日12時15分]
お名前: 小6だょ
今、私たちは歴史で卑弥呼について学習しています。
卑弥呼って趣味はなんだったんですか??
教えてください★☆
[2009年05月09日14時27分]
お名前: 小6デス
今私達は、「卑弥呼」のことを、勉強しています。
それで、昨日[卑弥呼新聞]を書いてきて下さい。と言われました、
卑弥呼の事を調べるためにパソコンを使って、調べてみると
「卑弥呼」は、ホントに居るのか。
とゆことが疑問になりました。
そこで、卑弥呼はホントに居るのか、教えて下さい。
お願いします。
[2009年05月09日12時29分]
お名前: 板のだ
小学生で歴史新聞の発表があるなら参考までに・・・
生真面目に書いてはダメです。
おもしろ、おかしくフィクションを創造してしまいましょう。
同級生、先生、上は校長をも驚かせるくらいのユーモア、勇気。
それは校内の枠を超えて才能、文豪としての覚醒です。
歴史家、歴史小説家と思われる人は曖昧な物に対し真面目に「そう思われます」と飯のタネに生計をたてているのですから・・・
卑弥呼は宇宙人でいいんです。
それで卑弥呼信者は本を買ってくれますから。キャッキャッ!
[2009年05月09日02時34分]
お名前: 戦国オタク
小6さんへ。
骨で発掘されたのならば、墓がわかるはずですよ。
[2009年05月06日22時49分]
お名前: 佐保っこ6年生*v*
私も、歴史新聞宿題で何を書こうか困っています!!
[2009年05月06日15時30分]
お名前: アーチャー
歴史なんて過去のこと、信じても信じなくてもどっちでもいいんじゃない?
勉強の中に入っているのだから、歴史は覚えていなければならないし、世界の人々が知っているのだから、知らないというのは恥ずかしい。(一般常識として)
だから、ちゃんと歴史を知ったほうが良い。
あと卑弥呼は実在しているはずですし、絵(写真)は想像で書かれたものです
ぶすとか顔も知らないのにいえませんよ(笑)
[2009年05月06日14時08分]
お名前: 戦国オタク
北九州説と大和説がありますよ。
[2009年05月06日10時38分]
お名前: 笑
卑弥呼のお墓ってどこにあるうわさがたってるんですか??
[2009年05月05日20時30分]
お名前: まー
6年生多いですね・・・。まぁ私もそうなのですが・・・。あはは
ところで卑弥呼ですがいなかった 存在していないそうです。
[2009年05月05日16時58分]
お名前: 紫式部
いま私は、歴史の勉強をしています。それで歴史新聞を作っています。
そして、なぜ卑弥呼は王になったのかを教えてください。


[2009年05月03日16時29分]
お名前: ピンクラテ
はじめまして

卑弥呼は独身らしいよ。ちなみに私は卑弥呼を信じていまーす。



[2009年05月03日14時01分]
お名前: 戦国オタク
建武中元二年(57年) - 倭奴国が金印を授与される。『後漢書』
永初元年(107年) - 倭国王の帥升が安帝に拝謁を願う。『後漢書』
倭国、男性を王とした七、八十年
桓帝と霊帝の間(146年 - 189年) - 倭国大乱。『後漢書』
光和年間(178年 - 184年) - 卑弥呼が共立され、倭を治め始める。『梁書』
景初三年(239年) - 卑弥呼、始めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。
正始元年(240年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉じて倭王に拝受させた。
正始四年(243年) - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
正始六年(245年) - 難升米に黄旗を仮授与(帯方郡に付託)。
正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升米に詔書、黄旗を授与。
正始八年(247年)、またはその直後
卑弥呼が死に、墓が作られた。(『梁書』では正始年間(240年 - 249年)に卑弥呼死亡)
男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千余人が死んだ。
卑弥呼の宗女「壹与」を十三歳で王に立てると国中が遂に鎮定した。
女王位についた壹与は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。
泰始元年(265年 - ) - 倭の遣使が重ねて入貢。『晋書』邪馬台国からの最後の入貢。

[2009年05月02日20時34分]
お名前: 六年生になったばっかり^m^
卑弥呼について教えてください(^'^)
[2009年05月01日18時40分]
お名前: 武士
私は卑弥呼様を信じるであります!
[2009年05月01日18時33分]
お名前: 愛
卑弥呼はブスだったらしいよ

[2009年05月01日15時50分]
お名前: 小学6年生
私たちも、今、歴史の勉強をしています。
ホントに卑弥呼は居たのかな?
今はそれがすっごく疑問に思います。
よかったら、返事お願いしますwww
[2009年05月01日11時53分]
お名前: ドリーミー
絶世の美女とかゆってるけどさあー写真見たらさーまったく美人じゃないじゃん゜
[2009年05月01日09時58分]
お名前: 六
いたよ!
たぶん   絶対 わかんないけど笑((汗
[2009年04月30日20時50分]
お名前: 小6まー
私は、卑弥呼は、いたと思います。
[2009年04月29日19時07分]
お名前: はーと
卑弥呼って本当にいたの・・・。



[2009年04月29日13時49分]
お名前: 愛弓
えーと現在 中3の 愛弓(あゆみ)です。
私は、卑弥呼sいたと思います。
今の時代は、不思議な力などまったくありませんが、弥生時代や、縄文時代は、不思議な力、不思議な魔力を持っていたらしいんです。
どうして今の時代は不思議な力がまったくないのでしょうか・・・?(関係ない話ですが。
[2009年04月28日21時17分]
お名前: ピース
卑弥呼は、いろいろな謎が、ある人だと思います。しかし、女王はすごいなーー。
[2009年04月28日20時55分]
お名前: マビノギちゃん
私は、『卑弥呼』という存在に、深く関心を持っています。
みんなブスブスとか言っている人も多くいますが、自分だってそんなこと言われたら、誰だって傷つくでしょう?『卑弥呼』という人をどういう人かもわからずにそんなこと言ってほしくないです。私は『卑弥呼』はいると思います。とにかく、『卑弥呼』を馬鹿にしないでください。『卑弥呼』を馬鹿にする人は、逆にその人が馬鹿だと思います。『卑弥呼』のことを何も知らないで馬鹿にするのはよくないです。お母さんが言うには、『卑弥呼』の弟は、現在、私のお兄ちゃんだそうです。信じないと思います。別に信じなくてもいいですよ・・・。絶対に『卑弥呼』はいます!
[2009年04月27日22時33分]
お名前: neiron
私は、『卑弥呼』という存在に、深く関心を持っています。
みんなブスブスとか言っている人も多くいますが、自分だってそんなこと言われたら、誰だって傷つくでしょう?『卑弥呼』という人をどういう人かもわからずにそんなこと言ってほしくないです。私は『卑弥呼』はいると思います。とにかく、『卑弥呼』を馬鹿にしないでください。『卑弥呼』を馬鹿にする人は、逆にその人が馬鹿だと思います。『卑弥呼』のことを何も知らないで馬鹿にするのはよくないです。
[2009年04月27日22時25分]
お名前: 小6
卑弥呼は骨で発掘されました

[2009年04月27日21時10分]
お名前: 小学6年生
今 ・・・・・・・
    私は、卑弥呼についてのマインドマップというものを作っています。
[2009年04月27日17時25分]
お名前: ここあ
はじめまして!!
私は今 小学6年生で歴史の勉強をしています。。
そこで  私は  卑弥呼について  を担当しました!!!
そこで  いっぱい卑弥呼のことがのってるホームページ
をさがしてるんです  写真とかがついてるとこです!!
パソコンを使って発表しないといけないんです。。。
知っていたら  おしえてください
[2009年04月24日16時21分]
お名前: うん子様
はぁ・・。君たちはあの卑弥呼様を知らないなんて・・・
君たちは馬鹿だな・・・
うんこ以下だよ・・うん。
[2009年04月19日20時15分]
お名前: rara
卑弥呼がいた場所かは、わかりませんが、邪馬台国は北九州か畿内にあった説があるので、そのどちらかにいたとわたしは思います。                           なので、卑弥呼はいたことになるということです。参考になるかどうかわかりませんが、なったらいいです。   分からないことがあったら、なんでも聞いてください。
[2009年04月16日20時48分]
お名前: mick
ふむ、学会でも割れたままで結論は出ていないのですがねぇw;
証拠も結論も出ていないなら俺は「いた」と思いたいですね
卑弥呼がいない事がすでにわかっているって言いながら卑弥呼の研究してるって、ちょっと寂し過ぎるでしょ、東大生さん?
[2009年03月31日03時11分]
お名前: ぎしわじんでんをかいたひと
投稿数がダントツですが・・・
想像のとおりナイスバデの人です
卑弥呼はたしかにおった
女性には旬(フレッシュ)があるので年齢的に20世紀に栄華を極めたようです
アマゾンで買えるので要チェキだ!


[2009年02月01日04時43分]
お名前: 東大生
俺は東大生
卑弥呼について研究している
卑弥呼は実はいなかった
それはもうとっくに明らかになっている
まあこれからも勉強がんばりたまえ
[2009年01月24日11時17分]
お名前: 中学3年生
卑弥呼の顔ってどんなん
[2009年01月07日14時45分]
お名前: 関西人
卑弥呼はいたと思っています。
うちは、占いなどのしょうもない
力を持っていただけやと思ってる
だけや!

うちからの書き込みは
これでおわりや。
[2009年01月05日16時14分]
お名前: 夜須町歴研会
卑弥呼という字は代名詞のことなのさ、あまてらすは卑弥呼にあてられたり。
いろんな、名前で、でてきている。
わかるかな?
[2008年11月30日12時09分]
お名前: 小6
学校では卑弥呼はいると習ったけどどっちなんですか?卑弥呼は本当はいなかったの?

[2008年11月06日18時57分]
お名前: yui
卑弥呼は、謎の多い女ですよね・・・。でも、調べて分かったことがあれば嬉しいよね(^。^)「

[2008年08月12日21時27分]
お名前: アカネ
佳奈s))
ありがたい資料ありがとうございます。この資料新聞に書いてもいいでしょうか?
[2008年08月02日15時03分]
お名前: F-
佳奈s有難うございます!
さっそく使わせてもらいます
(・#・)」
[2008年08月01日18時02分]
お名前: 佳奈
あのぉ私も小6で、卑弥呼について調べてるんですけど、、ここに書いてある資料って、全部教科書に載ってることじゃないですか?私は教科書に載っていない卑弥呼の秘密が知りたいんです!!私は1つしか知りません。1つは、卑弥呼の食欲についてです。卑弥呼は、ありえないほど大食いで、いっぱい食べたそうです。でも、太らなかったようです。理由は、いっぱい食べ物を噛んだからだと言われています。←資料に使ってください。このように、教科書に載っていないことを書いてください。あと、卑弥呼をブスってみんな言っているけど、あの絵は、想像図なので、実際の顔な訳ではないから、ブスブス言わない方がいいですよ?ブスかもしれないけど、美人かもしれないんですから・・・・
[2008年07月31日16時56分]
お名前: なお
 

アカネちゃんも中二あたしもおなじっ。
よろしく。
[2008年07月30日14時05分]
お名前: おれ
アカネってどこの県に住んでるのー。
教えてー。
[2008年07月30日10時48分]
お名前: 卑弥呼
わたしが卑弥呼です┘└ブスって言わないで・・・。今の時代の人たちは、ひどいことば
         ┐┌
かり言って。わたしのこと知りたくても、教えてあげないからねーだ。べー。
[2008年07月27日15時21分]
お名前: アカネ
初めまして。中2のアカネです。夏休みの宿題で、歴史新聞を書くのですが、卑弥呼について囲うかなと思っています。そこで質問なんですが、邪馬台国って本当にあったんだすか?教えてください。
[2008年07月24日15時01分]
お名前: なな
卑弥呼はいます
中国の本に邪馬台国の女王卑弥呼とかかれていたそうです
でも、邪馬台国がどこにあるのかはまだわからないそうです
[2008年07月22日15時53分]
お名前: 小6
卑弥呼様はいらっしゃいました。私は、会ったことがありません。でも、私の前世は卑弥呼様とよく当たる占い師にいわれました。なので、卑弥呼様はいらっしゃいました。
[2008年07月19日10時45分]
お名前: 忍者
小6です。実在したかわかりませんが、空想世界を作るといいと思います。
[2008年07月17日20時23分]
お名前: 亜紀
今、私は、卑弥呼の資料を集めて、新聞を、学校で作っています^^
卑弥呼は、本当にいたのか、教えてください

[2008年06月17日18時25分]
お名前: 小6
私が、先生から聞くと卑弥呼と一緒に千人の女の人が埋められたらしいんですけど。
ちがうんですかね・・・。
[2008年06月11日14時20分]
お名前: 小6
    私は、卑弥呼にとても興味で卑弥呼は本当に、いるか教えて下さい。
[2008年06月07日21時25分]
お名前: 貰った
邪馬台国って大分県と唐子鍵遺跡にあるかもしれない 調査してみれば池の中も川の中もあるかもしれないよ。考古学者お願いします

[2008年06月06日21時23分]
お名前: あっぷる
卑弥呼って居たのかな?卑弥呼の顔はどれを見ても怖い!ってかブスだよね♪
[2008年06月03日19時57分]
お名前: 呼代里
社会のレポート明日までだぁぁぁ!!!
卑弥呼と邪馬台国についてなんですけど、卑弥呼って謎だらけで用紙が埋まんないぃぃぃぃ!!
色々参考にさせていただきます!!
[2008年05月29日17時20分]
お名前: *******************
わたしも、今卑弥呼に、ついて、勉強中です。
みなさんの、意見が、とても、参考に、なりました>*<
おかげで、宿題が、おわりました。
ありがとう



[2008年05月26日20時12分]
お名前: 相馬みくる
卑弥呼は、本当にいたよ!でも村の人達女王卑弥呼がどういう人だったか知らないんだよ☆もし顔を出して村の人に銃で撃たれたら困るからだよ!だから卑弥呼の部屋に入って良いのは弟だけだったんだよ☆弟に村の人々に伝えてほしいことを言って村の人々に弟が伝言したんだよ!本当に卑弥呼は偉い人で卑弥呼が亡くなったら150mほどのお墓を作ったんだよ☆すごいよね☆☆
[2008年05月25日15時24分]
お名前: 電王「キンタロス」
ひみこって意味がわからん 
苦戦中  だれか教えて!!
[2008年05月22日21時03分]
お名前: まなみ
まじ歴史ってつまんなくね。めんどうだよね。覚えるのとか疲れるし

[2008年05月18日14時25分]
お名前: みみ
卑弥呼は、邪馬台国の女王になったんだって。30ほどの国を従えていたんだって。国なかで戦が起きて巫女がいたらってことになって、卑弥呼を見つけ、卑弥呼が修行を受けて、卑弥呼が満月の夜月を隠すと神から聞いたと良い、本当だったので卑弥呼が女王になった。魏の国に、使いを送ったんだって!三国志にのってるよ。卑弥呼の後は、弟のオトヒコが、国を治めその後、いよが、女王になったんだよ
[2008年05月15日22時19分]
お名前: おれ
なつみってどこにいるんですか

[2008年05月15日14時55分]
お名前: なつみ 
あのー卑弥呼って本当にいましたよ。でもなんか死んだときに百人もいきうめにしたそうです。 
[2008年05月11日17時48分]
お名前: みな♪
今、私も卑弥呼について調べているところで〜す☆卑弥呼のことで分からないことがありすぎでチョ〜困っています!!!



[2008年05月11日11時38分]
お名前: かな
歴史興味あり2
卑弥呼の顔の絵が廊下に張ってあったけど、
想像と全然違ってキモイ!!!
もう廊下に張って一ヶ月経ったよ。
杉田玄白も有るけど、しわしわジジイみたいな感じ!!
[2008年05月10日14時13分]
お名前: おれ
卑弥呼ってどんな顔だったのーーー。教えてー。
[2008年05月10日10時19分]
お名前: おやじ
卑弥呼ってどんなひと
・・・・・・・・・・・・・・・



[2008年05月08日19時51分]
お名前: 小6さやか♪
うちも小6で、卑弥呼の勉強が終わり、聖徳太子の勉強に移りました^^
でも、いまだに卑弥呼のことを引きずってますm(。。)
だれか詳しく卑弥呼のことを知っている人は、教えてください^^
ちなみに、6月3日に佐賀の弥生村に行きます!!そこで、本物のカメカンに本物の人の骨を見るそうです・・・・・。楽しみ!!
[2008年05月07日21時12分]
お名前: 小6でーす
あたしはいま歴史の勉強をしていますでも卑弥呼の趣味を知りたいなと思います。
誰かわかる人はぜひ調べてみてください^口^
[2008年05月07日19時36分]
お名前: みかん
卑弥呼はいると思う!相当ブスだったらしいですけどね♪
[2008年05月03日15時49分]
お名前: たける
いたよ!絶対!召し使いが1000人ってのは嘘っぽいけど。
[2008年05月03日15時32分]
お名前: あいうえお_〆(・ω・`*)
卑弥呼は謎ですなぁ・・・。(´ω`).oO○(むずかしい人だ!【笑】)
[2008年05月02日19時06分]
お名前: ぶよりん★
もっと大きな歴史知らないのー?


[2008年05月02日15時09分]
お名前: 真奈美
卑弥呼の事なーんもしらないんやけど、、誰かヘルプミー!何でもいいから
教えてちょ゛
[2008年04月30日20時25分]
お名前: 三重県
卑弥呼はいたと思う。僕が知りたいのは、卑弥呼がどこに住んでいたかだ。
教えてください。
[2008年04月30日18時10分]
お名前: こゆき
ひみこのこのことしりた〜〜〜〜〜〜〜〜〜い
[2008年04月29日18時22分]
お名前: 小学6年生
いまぼくたちは、歴史の勉強をしています。                   それでひみこはほんとうにいるのかしりたいです。                おしえてください!
[2008年04月29日09時37分]
お名前: ゆき
初めまして  私も6年です
いろんな事を教えてください

[2008年04月25日21時59分]
お名前: 知るか
弥生じだいの終り頃にほんでわいくつもの、国が、あらそいを続けた。国の王たちは相談して、卑弥呼と言う女性を王にした。という説がある。
卑弥呼はぜってえいる
[2008年04月24日21時10分]
お名前: 誰でしょう?
卑弥呼って、本当にいるんかなぁ??
まあ、ソンナコトどうでもいいかなぁ。
やっぱり、どうでもよくないかなぁ?
まあ、どっちでもいいけど!!
[2008年04月24日20時33分]
お名前: ああw
卑弥呼ゎいたのですよ。。
召使が1000人もいたのだそうです。
[2008年04月24日20時07分]
お名前: あいうえお_〆(・ω・`*)
誰か><;卑弥呼についておしえてください・・・。
(´・ω・)ノ★*゚*ヨロシクデス*゚*☆
[2008年04月23日18時02分]
お名前: 知るかそんなもん
ゼッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッタイいるよ

[2008年04月23日09時26分]
お名前: 6.2りおこ
天才さん教えて九たさい・・・・・・・・・・・・・・。
[2008年04月22日21時50分]
お名前: 6・2りおこ
卑弥呼は・いきてたの・・・・・。教えてね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
[2008年04月22日21時44分]
お名前: リオ・・・・・・・・・・・・・・・・。
卑弥呼@いるの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
[2008年04月22日21時39分]
お名前: るんるん
私はお母さんと調べた。 

私も本当に卑弥呼はいるの?
[2008年04月15日20時12分]
お名前: るんるん」
私はお母さんと調べた。
[2008年04月15日20時08分]
お名前: 樹
卑弥呼いるんちゃうか?
[2008年04月09日20時58分]
お名前: るる
てゆ〜か〜卑弥呼ってェ第一いたんですかァ〜誰か教えてください(>〜<)
[2008年04月09日20時50分]
お名前: もうすぐ6年生
6年の先取りをしようと思うのですが(歴史)何について勉強すればいいのでしょう・・・。やっぱ卑弥呼ですか?
[2008年03月09日13時56分]
お名前: う
ぢゃーーーさーーー
卑弥呼がいないとしてぇーー
何で、態々嘘の教科書を作ったわけ??
[2008年01月14日19時21分]
お名前: んーと
当時の文化LVとか考えてみると魏志倭人伝にでてくる内容がメインになるじゃない?
この当時の日本の文化LVはこのくらいでした。みたいな感じで・・・

でもさ、俺んとこの地元なんかは、到底「魏志倭人伝」にでてくるような水準じゃなかったらしいのさ。
勝手な空想なんだけど、卑弥呼は居たと思う。
だけど、それは日本に居たんじゃなくて台湾とか琉球だったんじゃね?って思う。

[2008年01月12日13時47分]
お名前: zxzxzzz
アコ可愛いよアコ
[2008年01月11日16時52分]
お名前: mjjkk
卑弥呼の弟のことおしえて!
[2007年12月31日14時58分]
お名前: 153
今、新聞を作っているから教えて
[2007年12月23日10時29分]
お名前: 柚子
いろんな人達が「卑弥呼はいたの?」とか、「卑弥呼の年表を教えて下さい」とか言っていますが、どれも答えはありません。

ーそれは卑弥呼について、書物が残っていないから。

当時はなぜか、何も残されていないんです。ただ、占い師の巫女がいたと言う、魏志倭人伝からの情報を「卑弥呼」としているだけなんです。
第一、卑弥呼という名前も本来は違うんです。
書物に書かれた名前は昔の中国で使用されていた漢字でかかれてあるんです。つまり、卑弥呼というのはもっと先になってから簡単に言えば日本語訳されたものなんです。
今1番有力な名前としては、「ヤマトトトヒモモソメノミコト」であろうとされていますが、本当の事は分かっていません。

だから社会等で発表する人達、「〜らしい」という考えで進んでいかないと、嘘の話になりかねませんよ。
[2007年10月21日17時52分]
お名前: ぶhw
卑弥呼は殺されたんだよ
卑弥呼が死んだ年
AD248年9月5日水曜日
その日に皆既日食が起きてんだ
偶然ってことがあるかい
責任とらされたんだよ
その頃の日本なんて知識なんて無い
日食という自然現象を神のお告げだと勘違いしたんだ
祭祀者を変えろってね
天の岩戸がまさにそれだろーが
アメノウズメがストリップ踊ったのはアマテラスが男だったからなんだよ
ってかこんなスレたててねーで自分で調べろよ
[2007年08月22日14時26分]
お名前: 江戸通
 ちょっと、小学生向けではないのですが!
http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070804/gkk070804000.htm
 問題になっているようです。
 卑弥呼は、「福女」と呼ばれるいわゆる、平安美女だったのか?
http://www.d1.dion.ne.jp/~net_nagi/
 ダイエットに卑弥呼ですか?
 実際、卑弥呼像の復元に力をいれている人(まじめな人)もたくさん
いるようです。
 私は、実際にいたと考えています。
 南北朝(中国)では、南の豪族にいた女性の伝統を、認めない風潮がかなり
あり、揚子江周辺ではなく、南海方面、や海路の南である方面から来た、女性
の実力者を優遇したらしいですね。どうも、話が、上海あたりとダブっているのは、
魏史倭人伝の昔からのようです。
 名前こそ違いますが、いまの上海周辺には、同質の政権があったのでは?
 男性重視の見かたから、殊更に王族をも無視する貴族社会が出来上がった程で
あるとされています。
 特に、比較的南の、黄河流域から南の中国人貴族は、別世界の貴族社会を作って
いたようです。宝石など動産はあっても貴族とは名ばかりの人まで、王様も下層民
とする風潮まであったようです。

  江戸通
[2007年08月04日23時46分]
お名前: 小六
卑弥呼がいなかったら何故歴史に載っているんですか?いるから歴史上人物にのっているんです!!ちなみに、弥生時代です!!「日本の国の王は、もとは男性がつとめた。従えていた国々が争いを起こして、戦いが続いたので、相談して、卑弥呼という女性を王に立てた...」と教科書に載っていました!!ちなみに...卑弥呼が治めた国は、邪馬台国といわれ、30ほどの国を従えていたとされています。
[2007年07月10日21時30分]
お名前: 小学6年生 月曜日までの宿題をやっています。
こんな、掲示板開いて「カキ小」しても
無駄・・・。と言うのは、『卑弥呼について詳しく教えてください!』。
なぁんて 聞いても 「へぇ〜」とか「そっか〜」なんて
思えるよぅな へんじは誰も書いてくれませんよね???
そんなこと わかっていての しつもんですが・・・。↓↓↓

質問@→『卑弥呼』。につぃて詳しく書いてあるHPを教えてください!

質問A→『邪馬台国』についても詳しく書いてあるHPを教えてください!

質問B→卑弥呼の人物関係、何時生まれたか、なぜ 女王になったか・・・。
    卑弥呼の一生や、当時 卑弥呼の状況なのなど etc・・・。
    教えてください。


以上 たったの 3つだけの質問でした。わかる人がいれば教えてください。
・・・。3つだけの簡単な質問だったのですぐに見つかると思いますが
なかなか 当てはまるHPがありません。こまっています
私一人でわ探す事が『不可』でした。
ご協力尾根が言いいたします。
[2007年05月26日19時58分]
お名前: kuukou20
卑弥呼は約、80〜90歳くらいでなくなったかも。(さぁ?)
しかも(知ってるかも…)卑弥呼の墓は奈良県にあるかもしれないという情報もあって、しかも更に更に13歳から女王になって更に更に更に100人もの奴隷が卑弥呼の墓に埋められたようです。
ですからなんか難しい関係なんです。
[2007年04月30日19時40分]
お名前: 卑弥呼
卑弥呼の年表探してるんやけど、みつからへん。。。
[2007年04月29日12時15分]
お名前: ☆チップ☆
卑弥呼の年表があるサイト教えてェ
[2007年04月29日10時38分]
お名前: ☆チップ☆
私も小学六年生で、歴史の勉強をしていますぅ♪♪
それで、卑弥呼の年表を探しているので、知っていたら教えてくださぃ!
[2007年04月28日20時10分]
お名前: YUI
卑弥呼って何歳で亡くなったの?

誰か教えてくださ〜〜〜〜〜〜〜〜い!
[2007年04月28日18時25分]
お名前: aka
卑弥呼の弟の名前ってなんなんですか。

[2007年04月27日20時42分]
お名前: 天才
卑弥呼いるやろー
[2007年04月27日18時00分]
お名前: VX
卑弥呼のついてくわしく教えてください!w
ぅそじゃなくてね・・・・w
ヨロシク〜(≧∀≦)
[2007年04月23日20時16分]
お名前: ハッピー
私も小6で今歴史の勉強をしています!

私の予想では、いたと思います!(@。@:)
私はそう言う話は信じちゃうほうなんで・・・。
[2007年04月23日19時42分]
お名前: めがねぇ−
卑弥呼について教えてください
[2007年04月20日14時41分]
お名前: ここ
およそ千七百年、三人の男が卑弥呼の宮殿に忍び込もうとした三人の男は、
イヨ という女の子に見つけられ三人のうち二人は捕まったのです。
その男は『くな国』という所から来た男でイヨという女の子はまだ三歳だった。
しかし、二人は捕まったものの男一人は捕まえることができず、くな国に逃げられた。
卑弥呼は、子供のころから予言がすごくイヨににていた。
だから、卑弥呼は女王になれた。
このころはまだ、天気予報がなかったので、いつ台風や大雨が来るか
わからなかった。それに、日照りがどれほど続くかなどもわからなかった。
そのため、【いなくさ】の神は大切だった。だから、超能力を持っていた卑
弥呼やイヨが特別に大事にされるのもとうぜんだった。
イヨは、卑弥呼ににて予言がすごかったので、卑弥呼は
イヨを神に使える修行をさせようとした。


[2007年04月18日11時57分]
お名前: ひみこさま
今、歴史で卑弥呼の絵を書こう!なんてやってます。
この前ゎ、文化財講座っていうのもありました。
土器とか色々分かりましたょ(>ω<)
[2007年04月16日22時43分]
お名前: 薮蚊
はじめまして、書き込みをさせてもらいます。
ぁぃなさんへ、自分の知っている範囲であれば教えます。
魏志倭人伝に記された3世紀初めごろの邪馬台国の女王です。
鬼道に仕え、よく衆を惑わすとあり、巫女的性格をもつと考えられております。
夫はなく弟が政治を補佐し、239年魏に使者を送り、親魏倭王の称号を受けた。
死んだときに大きな墓に埋められ、奴婢100人を殉葬しました。後、男王が立ったが治まらず、13歳の娘壱与を王としてようやく国中が治まったといいます。

参考になりましたでしょうか?


[2007年01月16日18時05分]
お名前: ぁぃな
私あんまり卑弥呼の事知らないンで教えてください!!
[2007年01月06日19時15分]
お名前: ピロ
卑弥呼のこと色々教えてーーーーーー

[2006年12月18日09時04分]
お名前: 村上浩介
知りたいです!!
 年表わからん??
[2006年12月15日12時09分]
お名前: ミトス
いろいろ参考になります。
また、機会があったら来ます。
有難う御座いました。
[2006年11月30日13時43分]
お名前: 浦島太郎
ミトスなる方、卑弥呼のこと・・真に謎多く・・定義は難題かなの想い・・・それでも御熱心に研究の義なれば、ご協力は厭いませんのですが・・根気が涵養(寛容も併せて)如何ですか?
[2006年11月29日14時09分]
お名前: ミトス
今日は。そして、初めまして。
ミトスと言う中学の者です。
質問をさせて頂きに参りました。
唯今、中学の選択授業で社会を受けています。
私は謎の多い卑弥呼について調べる事にしました。
ここからが本題ですが、卑弥呼についてのレポートに必須事項はありますか?
宜しければ教えて頂きたいです。
それから、此処で質問をしている子供たちの態度が非常に悪いと思います。
教えて貰う側は其らしくするべきです。
それでは、失礼します。

[2006年11月28日17時22分]
お名前: みんなで古代史を考える会
古代史には、邪馬台国、卑弥呼、日本国誕生などなど謎が満載です。
その謎を追い求めていたら邪馬台国は、出雲を意味していることに行き着きました。
今年の夏には、卑弥呼の墓にもたどり着くことができました。
みなさんはどう思いますか。
[2006年11月23日21時15分]
お名前: ちゅん
ひめさん、こんにちは。
ヤマトタケルの漫画といえば、山岸涼子さんの「ヤマトタケル」がお勧めです。
以前、「日出処の天子」の超人的な聖徳太子にハマッた時、他にも歴史ちっくな山岸作品はないかと探して読んだもの。原作は梅原猛さんですので、なかなか本格的(?)です。
書店にあるかな?ネットのオークションとかなら入手可能かも。
もっと、漫画らしいのがよければ、作者わかんないけど「やまとツインズ」だったかな?新ヤマトタケル伝?みたいな。読んだこと無いけど。
手軽に、当時の髪型や時代背景を楽しみたいなら、10年くらい前の映画「ヤマトタケル」も、FSX作品だけど、面白いと思います。高嶋政宏・政伸・・・あと、スサノオ役に阿部寛。ゴジラ映画を楽しめる人なら、お勧め。レンタルDVDでも借りてみてね。
[2006年10月28日15時32分]
お名前: ひめ
こんにちは。ちょっと変わるのですが、やまとたけるのみこと、について扱った漫画って、御存知ないですか?知り合いに髪型が超たけるな人がいて、ちょととアニメちっくなのがあればみてたいのです。ヘルプ きぼんぬ♪
[2006年10月25日18時29分]
お名前: **小粒**
卑弥呼ゎもち!!ぃますょ♪♪
ぅゎさでゎ,ブスすぎて自分の部屋にゎ弟しか入れた事がなぃらしぃデス!!

[2006年10月23日18時41分]
お名前: 6年生
卑弥呼の事が知りたいのに資料がない。
[2006年08月29日18時39分]
お名前: 中@
卑弥呼の跡を継いだのは卑弥呼の一族で、壱与という十三才の女の子です。
最初は男の人だったんですが、するといきなり国は乱れ始めたそうです。だから、女の人になったそうです。
[2006年08月26日17時01分]
お名前: 浦島太郎
邪馬台国の存在場所は、最近、近畿説が有力のなって来たようですね!近畿・瀬戸内西部(徳島)の古墳の発掘調査で次第に、邪馬台国近畿説が俄然盛上っているようです・・・楽しみだ!
[2006年08月22日16時58分]
お名前: ゅリヵヽ
卑弥呼の年表が、あるサイト教えてッ!!
[2006年08月20日11時47分]
お名前: iyo
伊代についての情報を下さい
[2006年08月13日16時08分]
お名前: 浦島太郎
零さん、しばらく留守にしててごめんなさい。卑弥呼のことお尋ね四項目太郎の考え言って見ますね。
1)趣味は何に?・・・そうね?・・巫女卑弥呼・・・けっこうお年を召されていたかも?
  やっぱり、占いかな?・・・性格は超人的(神懸り)な女神主さんではなかった哉?
2)女性ですか?・・・間違いなく女性ですよね!・・ハーフでもなし・・男性でもなし。
3)継いだのは女?・・そうですね・・・男性と結婚したとは(弟が一人だけ)、歴史には書き  残されて居ないので、跡取は実子でなくても、女性とするのか?・・弟が後の権力を継いだ
  のか?・・・わからないかと。・・・何方か女性であって欲しいよね!
4)居たかな?・・・・太郎の考えでは居て欲しいし・・・居たと思うよ。 ではね!
[2006年08月11日19時04分]
お名前: ヘイ
えっ、どこにいるの ?

場所がわかったら、そこに邪馬台国ビルでもおっ建てて、そこの管理人さんにでもなってもらおうかなー、
いやいや、それともテナント(ビル内店舗)として「占いコーナー・鬼道占い」を作って、そこの店長さんにでもなってもらうか、

・・・なんてのは面白いかも。


[2006年08月07日22時41分]
お名前: 零
卑弥呼の趣味ってなに?
卑弥呼って女?
卑弥呼の後を継いだのは子ども?
卑弥呼は居るとおもう。
質問に答えてくれるとうれしいです。

[2006年08月05日09時12分]
お名前: 6年生
卑弥呼のやったこと教えてください!!!!!!!
[2006年08月02日15時28分]
お名前: 浦島太郎
卑弥呼のこと?・・・皆で調べましょうね!
日本史に一番早く、個人の名前(固有名詞)で登場したのが、絶世の美女(?・其の様に思いたいよね)・・・そもそも、ことの最初は中国の歴史書『魏志』の『東夷伝』の『倭人の条』で目に止まった記事に始まるのだよ!・・・その本文には、『鬼道に事(つかえ)能(よく)衆(民衆・大勢の人々)を惑わす』と書き残せれている様です。中国の時代と、日本の時代と比べて、もう一度時代を遡って見て下さい!・・・以前に皆様が、このテーマで御意見を投稿されて居りますので、整理して、もっともっと、卑弥呼の事を勉強しましょうね!
[2006年07月29日18時14分]
お名前: 誰か教えて
卑弥呼ってどんな人
[2006年07月28日11時43分]
お名前: 沢口あずさ(16)
いたんですよ。縄文か古墳時代だっけ??え???卑弥呼って何者????
[2006年07月21日13時44分]
お名前: リエリミーヌ・プスコー(19)
卑弥呼...ですか?確かに居た様な居なかった様な?
[2006年07月21日13時30分]
お名前: 浦島太郎
卑弥呼さま、昔々の一世・卑弥呼は居ない???と。・・・居なかったと!!!。
言い切る思い・・・是非聞かせて下さい。・・・・貴方のご意見物凄く大切な事なのです。
肯定意見と否定のご意見を、双方から慎重に解き開く事が歴史の史実の探求には欠か無いかと常々真剣に考えてます。 御待ちしてます。
[2006年07月15日19時37分]
お名前: 卑弥呼
卑弥呼なんていない

[2006年07月15日18時49分]
お名前: 浦島太郎
紫音さん、卑弥呼の生まれた日は・・・此れは難題です。逆転の論理で考えてみて下さい。
卑弥呼の死亡した時代は、正始六年から八年(245年ー247年)の頃と推定されてます
魏志(倭人伝)によると『卑弥呼すでに死し、大いに塚を作る。径100歩、殉職する者奴婢100人』と。また、唐の李延寿の著した史書『北史』にも、『正史中、ヒミコ死す』との記あり、正始の年代は九年までだから、、248年迄に死んでいる事は間違い無いかと考えます。
何月何日かは、判らず。・・・参考までに奈良県桜井市の箸墓古墳を調べて見て下さい。
其の根拠は、日本書紀の崇神天皇10年の条に、この築造の記がありとも記されていると記されているが、太郎が年代を調べてみたが、委細年代が相当掛け離れているので再考の疑問が有るのだが!
[2006年07月12日20時42分]
お名前: 紫音★
ぁのさぁ今、卑弥呼の勉強してんだヶどぉ全然見つヵらなぃんだょお↓↓誕生日とヵいつ死んだ??とヵって教えてほしぃ≧≦んデス★ょろしこっ♪
[2006年07月12日13時45分]
お名前: spijxnbaxh
私も知れたい!!
[2006年06月26日17時44分]
お名前: 浦島太郎
さて、ここで少し卑弥呼の存在に係わる『倭国の大乱』について勉強しませんか?
後漢霊帝光和年中(178年ー184年)に、倭国で大きな内乱が起こったことが書かれて居ります・・・是がそもそもの始まりです。其の内容を少し説明しますね。(後漢書東夷伝の一説)
原文は漢文で少しばかり難しいので約してみますね・・『桓・霊(是は中国の桓帝の治めた時代147年ー167年と、霊帝の治めた時代168年ー189年の間の時代と云う事ですね)の間、倭国(日本のことかな・今とは同じでは無いかと)大いに乱れ更々(こもごも)相攻伐(戦争をした)し、暦年主無し、一女有り、名を卑弥呼と曰く』面白い事に天理市東大寺山古墳から出土した太刀の銘文に『中平』の年号があったのです・・・是は後漢の時代の年号で霊帝の184年ー189年の間なのです。そうだとしたら丁度この大乱の時代の物と推測出来ますね!
又、同じ内容の史書(三国志の『魏志』東夷伝の倭人の条には『其の国、本亦男子を以って王なし、住(とどまる)こと7、80年。倭国乱れ相攻伐すること暦年、乃(すなはち)共に一女を立てて王となす。名付けて卑弥呼と曰く』・・と。全く同じ物語を伝えているのですよね!
調べてみたら面白い事ばかり見つかりますよ。・・・この卑弥呼の邪馬台国とは何処だったのかな?・・・九州説?・近畿説?・・其の他あちこち説あり。未だに謎謎なのですね!?。
じゃあー、この次には其の頃の日本の国はどのような時代だったのかな?調べてみてね!
[2006年05月25日16時53分]
お名前: 浦島太郎
さて、卑弥呼の姿も話題に成ったり・・弟とのコンビの模様も知りたいテーマだし?
女王ヒミコの人物像はどんなだったのか?・・住んで居た所は?・・知りたいですね。
そこで、少しばかり調べて見ました・・・或る書物には、ヒミコの謎のテーマで、鬼道をよくする巫女・鬼道とは、占いとか、祈祷とか、神懸かり、とか普通の人の常識を越えた精神を持ち合わせて、人々を惑わす言動や、特異な性格・(超)能力・術を備えた人物だったかと?。
年齢はそれ相当に数えていた考えられ、そんなに若い、美人と言うイメージでは無かった様ですよ!(がっかりかな?)・・夫は持たず、男性では弟のみが傍に付き、ヒミコは祈祷・占星術をもって予言やご託宣(神さまの御告げ)を下して、表だった行事や政策・国を統治する(国事)は男性の弟が制して居たのではなかったかと。姉弟のコンビでね!・・・前に余り顔を人前に見せなかったのも本当かもね。又、約1000人の婢(はしため)が傍に仕えていたとも。只、一人だけ、男の人(弟以外かな?)が、食事を運んだり、ヒミコの神の声を人々に伝えたとも?
其の住まいの模様は、宮殿、物見櫓、城柵(じょうさく)にて厳重に守られて、当然武器(其の当時は槍や弓や刀が有ったのかな?)を持った男達は居たと考えれますね。・・・今までに掘り起こされた各地の埴輪や発掘物で、巫女の姿(群馬県邑楽郡大泉遺蹟出土)や、宮殿(宮崎県西都原古墳出土)と思われるものが本には掲載されてますね。また、後世の画家の方(安田某)が描かれた卑弥呼、大和のヒミコの像も面白い姿ですね。参考文献は昭和50年・角川書店の発行の『日本史探訪』別刊古代編Uを図書館や古本屋で探して見て下さい。
[2006年05月22日14時06分]
お名前: 浦島太郎
卑弥呼は本当に居たか?・・・大分・・みんなの意見が・・沢山でましたね!
『いたよ!』の肯定派と『いなかったよ?』の否定派のどちらの意見も、勉強をすることには大事な事だよね。・・・なぜ?どうして?が歴史に限らず、勉強には大切だと思います、みんなで楽しく学びましましょう。  このつぎには学者先生の著書から卑弥呼の人物像を少しづつ訪ねてみましょう。

[2006年05月20日08時05分]
お名前: 浦島太郎
ようこさん、歴史には興味は湧きませんか?・・・歴史は現実・其の時代々の昔の人々が生きていた色々な様を偲ぶ事ですとね!・・・例えば貴方の幼い時を思い出したり、夢を見たりしませんか?・・・其の時代はどんな世の中だってか?・・・お父さん・お母さんの子供の時代は今とどんなに違っていたのか?おじいちゃん・おばーちゃんの古里の生活や学校や友達の思い出など聞かされたことは有りませんか?・・・人の命は100歳も生きれば長生きですよね!
その昔、明治の時代には?・・・江戸・安土桃山時代(戦国時代かな>?)・室町(南北朝も)・鎌倉時代・平安時代・・・・ずっと遡れば卑弥呼に行き着く時代に想いを馳せ巡らすのも面白いかもね?!。・・・今の日本の国の始めの頃はどんなのだったか?・・・今の自分の命の源の御先祖さまは何処に住んでいたのかな?・・・次ぎから次ぎに疑問が湧いてきませんか?
価値観で言えば意味が無いかもね?・・・歴史は昔々或る所にお爺さんとお婆さんが住んでいました・・で始まりますよね。・・・其れを何故何故と考えれば歴史を訪ねるのは面白いかもね。
是非勉強して下さいね!・・楽しくなるかもね。浦島太郎も竜宮城の楽しい思い出がありますよ
[2006年05月15日10時42分]
お名前: ようこ
私たちは、歴史の勉強をしているんですが・・・・
昔の勉強をしても、意味が無い様な・・・・・
[2006年05月14日12時27分]
お名前: 浦島太郎
小学校の六年生で歴史の科目で卑弥呼が出てくるのですか?・・・すごいですね!
そうですね・中国の古い歴史書にも、登場する女性(女王国の長がったかな)は居た事は本当でしょうね。邪馬台国が何処だったか?・・卑弥呼が誰だったか?今まで色々と多く人々が調べてきていますが、なかなか其の真実が解って居ないのですね。最近になって各地で色々な所・発掘されている遺蹟の出土品の中に新たな発見も見つかって居るニュースも見ることも興味が湧きますね・・いずれは今よりもっと解明される事を期待しましょう。歴史は楽しい学科ですよ!
[2006年05月12日22時51分]
お名前: 小学E年の卑弥呼
私も卑弥呼は確実にいると思います。
E年生の教科書にだって出ていますよね?
教科書に書いてあるのであれば卑弥呼は存在していたはずです。
[2006年05月12日22時29分]
お名前: 浦島太郎
小6さん、そうですね!・・・其の時代に存在していた女性の権力者・権威を有した人物(広い意味でも)だったのは、間違いないと考えて、色々史料を研究して、勉強すると良いですね!
[2006年05月12日06時41分]
お名前: 小6
卑弥呼はぃたとぉもぃますょ〜〜
[2006年05月11日19時35分]
お名前: 浦島太郎
卑弥呼の御顔つきは?・・・の質問は、誰も知らないと思いますが、さて小学6年生は見目麗しい美人が好きなのかな?・・・其れとも極普通の顔立ちの女の人が好いのかな?・・・不細工の器量とは?・・・。出来れば絶世の美女と思って期待をしているのでしょうか?(好きなタイプの女性はタレントでは誰かな?。・・昔の美人と現在の美女とは、相当違ってたのではないかと考えるとすれば、余り重要な、風貌の違いは、条件ではないかな?  少なくとも霊感が強い、本性があれば、目つきは相当『鋭いか?もしかして???』だったかもと!・・・誰も真相は解らないのでは。 
[2006年05月05日14時01分]
お名前: 浦島太郎
逆小学6年生は、今は何歳?・・・最初は2001年6月18日には6年生・・・本人だとしたら今は高校生かな?・・・それにしても益々盛りあがって来るテーマですね!
面白いお話を見つけました・倭人伝の原典の書を訪ねるに『三国志(65巻・内訳は魏志30巻其の内の東夷伝第30の記述也・他、蜀志15巻、呉志20巻を加える古書)・晋の陳壽と云う人物(現在野中国四川省南充県)の撰と』、評価は高く正史の良書として考えて良い物でしょうね。其の陳壽(寿)が最も参考にしたと見られる文献は『魏略』でしたと記し、此れを書いた人物は魏の国の人で京兆(現在の陜西省長安県北西)に住んでいた魚豢と云う方の撰で、魏の歴史の史書だそうですが、既に現在では完全な物は失っている様です。但し、清の時代張鵬と云う人物が『史記』や其の他歴史書を集めて『魏略輯』(きりゃくしゅう)と言う25巻を作っており学術的に非常に参考に為っている様ですね。
それでは、ここで果たして、この方々が生存して、著書を編纂したと思われる時代を重ねてみると、面白い事が見つかりますね!  先ず、『魏略』の魚豢は晋武帝・太康年間(281年ー289年)以後の没している様なので、一方、『魏志』倭人伝の撰者の陳寿は晋恵帝・元康七年(297年)に65歳で亡くなって居るとすれば、略同時代に生きた人と推測できると。
其処で今一突っ込んでみれば、魏の使節が倭の女王卑弥呼に派遣されたとする時期は、正始元年(240年)と同八年であり、女王からの使節が派遣されたには景初二年(238年)を最初に三回ほどあり、其の時代を照らし合わせれば、其の使節を見ていたとも?話し直接聞いたとも?其の当時には、此れに勝る伝書(史料)は無く、内容は誇張や多少の誤伝もあっても、十分歴史を伝える貴重な倭人に関する史書として高い評価がされているのも認めなければならないかと!
船長も其れを信じて話しを続けますね。
[2006年05月05日12時06分]
お名前: 小学6年生
卑弥呼の顔は不細工なの。今社会の勉強をしているので教えてください
[2006年05月05日10時23分]
お名前: 小学6年生
卑弥のこ呼とをもっと詳しく教えてください!

今私たちは社会で卑弥呼のことを調べでいるのでお願いします。

[2006年05月05日10時18分]
お名前: 浦島太郎
今一つ、弟にしか顔を見せなかったと、考えられる理由は、神々の域に身を置くに特殊なメイクを顔や身体に施して(化粧や刺青など)、自らの神格化を装束とは別に為されていたのでは?ないかと想像します。また特異的な生まれながらの顔つきを為されていたとすれば、霊感も、表情も普通の人とは、掛け離れた容姿・体質であったとすれば、白装束で全身を包んで居られてかも知れません。シャーマンと言われる人種は世界の各地に見られますが、矢張り何処でも装束や化粧や刺青で其の存在を強調するような風習を伝えて居るのも参考になります。
[2006年05月03日08時44分]
お名前: 浦島太郎
卑弥呼が弟にしか会わなかったか?・・・確かな事は、肯定も否定も出来ないのですが、神を祀る巫女のお方であれば、『禊ぎ』と『斎戒』と言う穢れを取り除き、心身の清浄を厳しく保意味合いで、男色を絶ったり、神々の帰神の力を常に維持する為に、穢れを避けるにもその様な環境に身を置いたのではと推測します。(参考までに)
[2006年05月02日21時11分]
お名前: 麻美
卑弥呼は弟にしか、顔をみせなっかたのは本当ですか???
[2006年05月02日18時57分]
お名前: 教えて!
私に歴史を教えて!
[2006年05月02日11時09分]
お名前: 浦島太郎
6さん、そうですね!卑弥呼が古代に霊的な力を持ってた人物・神道の達人・神々の言霊(ことだま)を聞き、帰神の因により、託宣を下して、占いを為したことは、未だに其の名残は神社の祭式や行法に受け継がれておりますね! もし具体的に知りたいと思えば神道の専門書を探してくださいね。  奥が深くて説明は難しい感じです
[2006年05月01日18時42分]
お名前: 6
本などで見ると、卑弥呼は、いろんなことを予想することができたらしいんですね。(神の言葉を聞いて。)
卑弥呼の後をついだのはトヨらしいです。
[2006年05月01日17時44分]
お名前: 浦島太郎
ぴよたん君かな?・・・卑弥呼(ヒミコ)は存在したのかな?・・・この質問は先ずは『存在した』と考えて観て下さいね!・・・歴史は夢や幻を信じながら、現(うつつ)を抜かし、古(いにしえ)を尋ね・偲ぶことが、大切かと思います。存在しない歴史は虚構(フィクション)の領域なので直ぐに化けの皮は禿げなくても次第に淘汰される運命にあります、少なくとも中国の『魏志』倭人伝とか、古事記・日本書紀・其の他の史書を解読しながら、其の物証を探す(発掘調査や古墳等埋蔵物や既に存在する金印や銅鏡等)ことが、真実(史実)を現在に呼び起こす最良の努力かと!  無いと考えるよりは有ると想って探すことが最良の解決方法だと信じております。(今までの卑弥呼の存在は、邪馬台国の存在場所を解明することに時間を掛けて居るようですが、人(人物)としての個人の固有名詞とは別として、存在は相当確率は高いものと、学者さんだけが学術研究・自説を説くにつけ、見たり、聞くばかりでなく、より多くの皆んなで史実を探しましょう)。
[2006年04月30日09時10分]
お名前: 浦島太郎
だれかさん、おはようございます。・・・卑弥呼の予言・・・予知能力・・・神懸り・・・帰神のことですよね?  其の凄さは、或る意味では国をも動かすほどの力だったようですから。
此れは日本古来の神道を勉強すれば少しでも理解できるテーマです。其れを知るには古事記と日本書紀を読むと良いかと考えます。古事記は中巻の仲哀天皇(ちゅうあい)の条・日本書紀は巻五の崇神天皇(すじん)の七年のことや第九の神功皇后の段も其の凄さを知るのには浦島お奨めの書物です。何処かの本屋か、図書館で探して見て下さい!・・・又、学校の先生に質問して皆と一緒に勉強するのが善いかと考えますね!  試みてください楽しみが倍になりますから。
歴史は生涯学習の題材です。  
[2006年04月30日08時39分]
お名前: ぴよたん(>0<)
卑弥呼は、実在したのかな?
[2006年04月29日20時38分]
お名前: 誰かさん
卑弥呼はどのぐらい予言がすごいの分かったら教えてください
[2006年04月29日09時54分]
お名前: 浦島太郎
『みずいい』さま、難題ですね!・時代は三国(呉・魏・蜀)・三韓(高句麗・百済・新羅)・対岸の国之状況。・・・日之本・大和は神功皇后の御世也。・・・但し、大和朝廷が全国統一国家体制を隅々まで施政を及ぼしたとは?・・疑問を抱きます。・・・これらの時代考査に関しては諸説あり、新井白石は『古史通或聞』正徳6年(1716年)にはズバリ神功皇后を親魏倭王と読んでおり、また、鶴峰戌中季尼は『襲国偽僭考』文政年中、を評して明治二十二年(養徳会)では、熊襲に所以して準えて、事細かく説いて居られ、神功皇后に疑して一女を立てて王とし、女王国姫尊(ヒメミコト)名告せつると、また、笠井新也『卑弥呼即ち倭迹迹日喪百襲姫命』大正十三年四月にては、古事記に合わせてこの姫を比定して居ります。重ねて前書は狗奴国は伊予の河野なるべきもよしと記す。また、本居宣長は『馭戎概言』では息長帯姫尊(おきながたらしひめのみこと)の御事と述べており、また狗奴国(男王)を伊予の国河野郷を示して居られる。
真に固有名詞では、名は定まらずの感じですが、古事記や日本書紀の古書との附合を解明するのは難儀かと!?。

[2006年04月28日23時28分]
お名前: みずいい
今、歴史の新聞を作っていて、『卑弥ってどんな人』という題で調べてるんですけど、なんにも見つからないので至急、情報お願いします。あと、返事くれる人は『みずいい
』と書いて、返事ください。
卑弥呼がいるかは、わかりません。
[2006年04月28日18時24分]
お名前: 浦島太郎
6さん、伊予のたろうさんかな?、土佐の夜須さんかな?、蒼月さん、6年生さん、皆さん、素晴らしい!・・取り分けアコさん、の研究熱心な情熱と情報は、心を熱くします。
伊予のたろうさんは本居宣長説に添うものと・・・。卑弥呼は存在したの心意気が大切ですね
さて、『魏志』倭人伝のこと、諸説200数十説を収録されて、其の総論を執筆為されている学識研究の第一人者と尊敬して居ります。故三品彰英(みしなあきひで)翁の著書を是非探して見て下さい。・・・浦島のお奨めの一冊です。・・・ご案内まで
[2006年04月28日10時49分]
お名前: 6
いないと言っている人は、どうしていないと言えるんですか?

[2006年04月27日18時05分]
お名前: 浦島太郎
面白いお話ですよ!・・・明治43年(1901年)に歴史家の先生・白鳥庫吉さんが『倭女王卑弥呼考』を出筆されている書籍の記事です。
卑弥呼はヒミコトの略で女王の敬称で個人の名前ではないと言われています。その義は姫尊(ひめみこと)の転訛(なまった)ものだと言う説です。・・・九州(卑弥呼女王と狗奴男王との関係)と大和朝廷の勢力の状況を分析されており、九州地方の国の体制を検証し、其の中で巫女政治を調べて、景行天皇朝から神功天皇の代には、12名(卑弥呼ともう一名加えれば十四人も君長を司った女性)の存在が見れるそうですね。・・・神話の世界・・・天照大神(女)と素戔鳴尊(すさのうのみこと・男)と争いのことを故として、説明されております。
また、一書には内藤虎次郎、また橋本増吉、等により明治43年には盛んに論争が為されたようですね!・・・さちさて真偽の程は???話は尽きない千夜一夜の昔話になるかもね?

[2006年04月27日14時29分]
お名前: 浦島太郎
書き込み件数NO1のテーマですね!・・・卑弥呼女王のことや・・邪馬台国のお話は?・・謎々の多い、興味をそそる題材ですよね。  数多くの歴史学者の研究も比較的浅く江戸時代から表舞台に御出ましの様子が伺えます。・・・率直に言って、未だ史実の解明に至っていないのが本音かな?・・・学者・先生の学説も数は数え切れないほど有り、書籍や教科書で勉強するも大変な努力や、情熱を抱いて勉強を続けなければいけないかも?・・・其れほど夢が多い歴史の世界かな!  少しずつでも一緒に頑張りましょうね・・また出てきます。
[2006年04月27日10時06分]
お名前: 歴史大好き
私達は今学校で卑弥呼(歴史)について調べてます。
なにか情報などがあったら教えてください。
[2006年04月27日09時25分]
お名前: 小学6年生
歴史教えて!!今学校で調べてるの!

[2006年04月27日09時22分]
お名前: 浦島太郎
小学校6年生の皆さん・・・卑弥呼伝説見ているよ・・・居たのかな?居なかったのかな?。
そこで、玉手箱を開けてみましたら・・一つ面白い話が出てきたよ!
東京国立博物館に所蔵されてる『三角縁半円方形帯神獣鏡』と呼ばれている発掘物が有るのですが、年代が見れ、『景初三年陳是作銘銘之保子宜係』が銘文が鋳出されて居るようです。
この年は景初三年(239年)卑弥呼の使者(難升米等)が魏に朝貢した時代であり、使節の人が帰朝の際に魏帝から貰ったお土産品のリストに『銅鏡100枚』と書かれており、其の一枚ではないかと言われておりますね!・・・この銅鏡の発掘された場所は大阪の和泉市上代町金塚の古墳から昭和29年に出土している貴重な歴史史料・・卑弥呼女王の存在に夢を与えてくれるね!皆で昔を偲び・学びましょうね
[2006年04月27日08時22分]
お名前: 浦島太郎
小学校6年生の皆さん・・・卑弥呼伝説見ているよ・・・居たのかな?居なかったのかな?。
そこで、玉手箱を開けてみましたら・・一つ面白い話が出てきたよ!
東京国立博物館に所蔵されてる『三角縁半円方形帯神獣鏡』と呼ばれている発掘物が有るのですが、年代が見れ、『景初三年陳是作銘銘之保子宜係』が銘文が鋳出されて居るようです。
この年は景初三年(239年)卑弥呼の使者(難升米等)が魏に朝貢した時代であり、使節の人が帰朝の際に魏帝から貰ったお土産品のリストに『銅鏡100枚』と書かれており、其の一枚ではないかと言われておりますね!・・・この銅鏡の発掘された場所は大阪の和泉市上代町金塚の古墳から昭和29年に出土している貴重な歴史史料・・卑弥呼女王の存在に夢を与えてくれるね!皆で昔を偲び・学びましょうね
[2006年04月27日08時18分]
お名前: ???
あのーなつきって松永さん?
[2006年04月26日20時02分]
お名前: なつき
うちは分からないね!!歴史ってわからんもんね!!
[2006年04月26日20時00分]
お名前: 6年生スペシャル
いるよ。
俺信じる。
でもきれいかな意外とブスかもよ
[2006年04月26日11時59分]
お名前: 6年生
卑弥呼は、いるとおもうよ。(ぜったいにいるとおもう。)

[2006年04月26日11時49分]
お名前: ゆみみ
初めまして。私は、卑弥呼はいると思います。
とても、美人だったと聞いています。
[2006年04月25日20時40分]
お名前: ろくねん
私和〜卑弥呼のことについて調べてるんですけど見つからんの

[2006年04月25日18時51分]
お名前: 小学6年生
私は。。。今卑弥呼のことについて調べてます!
デモ、、、、私は、いるかいないか微妙ででも、いると思う!!!!!!
[2006年04月25日17時02分]
お名前: ‘
いね〜よ!断言する!
つ〜か過去なんて調べてたら、未来こ〜かいすりぜ?
つ〜か管理人!もう高校生じゃね〜か!!!!!!!!!!!

[2006年04月24日22時42分]
お名前: ドリカム
うそに決まってる。信じる奴なんて何処にいるんだよ
[2006年04月24日10時06分]
お名前: 舞
今、私たちは、歴史の勉強で、卑弥呼に、ついて調べました。
卑弥呼は、本当に、いるんじゃないかとおもいますが・・・。
[2006年04月23日14時11分]
お名前: 舞乃亮
私たち、6年生は、社会の学習で、魏志倭人伝について調べたり、邪馬台国を調べたりしました。
そこで、卑弥呼の死も調べました。その時、卑弥呼が、本当にいると言う事がわかりました。だから、卑弥呼は、本当にいます。

[2006年04月22日15時03分]
お名前: っっっっっっ
いるとおもう
[2006年04月21日12時13分]
お名前: あああ
卑弥呼わなにをしたんだ
[2006年04月20日20時00分]
お名前: 卑弥呼
卑弥呼いるはずです



[2006年04月20日16時37分]
お名前: 6
名前は本当に卑弥呼かどうかは分かんないけど、、
でも、王になった人は絶対いると思う。。
[2006年04月19日20時50分]
お名前: ・・・
いるとおもう

[2006年04月18日17時25分]
お名前: 6年生
ぃるでしょ〜
いなかったら何で
教科書にぁるの?
おかしいじゃん。。
やっぱいるってはっきり(?)してるヵら
教科書のるんでしょ。。。。
わたしゎ絶対にぃると思うよ!!!
意見よろしくぅ〜〜(・v・)
[2006年04月17日16時06分]
お名前: 小学六年生
いま私達は、卑弥呼について調べています。卑弥呼はいます。ほかのホームページで見たら、絶対ありました。
[2006年04月14日09時31分]
お名前: 小学六年生
いま私達は、卑弥呼について調べています。卑弥呼はいます。ほかのホームページで見たら、絶対ありました。
[2006年04月14日09時31分]
お名前: 小学六年生
いま私達は、卑弥呼について調べています。卑弥呼はいます。ほかのホームページで見たら、絶対ありました。
[2006年04月14日09時30分]
お名前: 歴史大好き
う〜ん・・・
卑弥呼について語ってるのは、卑弥呼をよく知るために話し合ってるんじゃないかな?
私も最初は卑弥呼はいてもいなくてもどうでもいいって思ってましたけど、今は違います
いるかいないかを調べるのが歴史なんじゃないかな・・・?(言ってる意味わかります?
というか・・・ここの掲示板のタイトルが『卑弥呼って本当にいたの?』ですから・・
卑弥呼がいたかどうかを話しあう掲示板なんじゃぁ・・・・?

では☆失礼しましたv

[2005年08月31日18時42分]
お名前: あや
何でこの掲示板、
こんな卑弥呼について語ってるn(・∀・)?あ
いてもいなくてもどうでもよくない?
みんな本気っぽくてうけるとかw


無駄れすごめそwぶ
[2005年08月30日21時49分]
お名前: まりっぺ
卑弥呼は絶対います!!!
....と思います・・。
でもいます!!だってもしいなかったら、
そんな小学校の、教科書なんかにのりませんよ!!!
[2005年08月30日12時44分]
お名前: 蒼月
えーっと…「あたたたた」さん、荒らし?
やめましょうね、そういうの。ルールは守りましょう。
あと『†華恋†』さん?あの『わ』とか『い』とかを『ゎ』とか『ぃ』とかにするのって暗号か何かなのですか?分かり難くてしようがないです。
すいません、批判ばっかで…あっと、卑弥呼…ですよね?

僕も卑弥呼については調べた事があります、その資料から…

卑弥呼、もしくは卑彌呼。
または女王であったため姫命(『姫』ひめ『命』みこ。男性なら『彦』ひこ『命』みこ)と考えられる。
卑弥呼については色々な説があります。
@アマテラス説
Aヤマトトトヒモモソヒメノミコト(夜麻登登母母曾毘賣命)説
B倭姫命(やまとひめのみこと)説
C神功皇后説
など、多種多様です。

この中で、僕が最も信じてる説は、@アマテラス説。
これは、卑弥呼が日本古事記に登場する太陽の神、天照大神(アマテラスノオオミカミ)だと言う説です。
これは、それ程強力な証拠があるわけではないのですが、ちゃんとそう思える共通点があります。
まず第一に、古事記の中の天照には、須佐之男命と言う弟が居ます。
そして、卑弥呼にも、身の回りの世話をした弟が居たと言われています。
そして第二に、天の岩戸伝説です。
これは、太陽の神・天照が弟を嫌い隠れたとされるものです。
そして、天照が岩戸に隠れると、日食が起き、太陽が消えたとされています。
これに関しての実証。
現在の天文学によって卑弥呼が没したと推定される年…247年3月24日〜248年9月5日、計二回、日食が起こったとされています。
天照の伝説と酷似しています。卑弥呼はその時代の『神』でありましたから。
そして、天照が岩戸から出てきた…つまり、新しい女王の誕生を意味し、その女王は恐らく『壱与(イヨ)』であるのではないでしょうか。
これが、天照説の理由です。
しかし、これらの説は邪馬台国が九州にあった場合の話で、必ずしもあっているとは言えません。
…僕は卑弥呼=天照大神だと思いますけど。

どれが正しいか、判断は皆様にお任せします。
これがお役に立てれば。
でわ。
[2005年08月20日16時08分]
お名前: †華恋†
卑弥呼ゎぃます!!昔の人が実際に、卑弥呼などが何をゃったかを本に書ぃて
説明してぃます。あたしゎその本を読みました。昔の人の字だからょくゎからなかった
けど 卑弥呼ゎぃます
[2005年08月18日14時43分]
お名前: †華恋†
小学6年生です。。あたしは卑弥呼はぃると思ぃますヨ。。
卑弥呼がぃたから今、こんな感じの日本があるような気がします
[2005年08月18日14時40分]
お名前: 小学一年生(嘘
自分は卑弥呼いない派ですね、あと「卑弥呼はいる、なぜなら〜〜〜をやっていたから。」とか書く人何者ですか?卑弥呼がなにかをやっているとこを見たのですか?知ったかぶりはやめましょう。
[2005年08月15日15時59分]
お名前: ★okayu★
卑弥呼はいるっしょ!

だって 魏志倭人伝にだって書いてたみたいだし・・・。

でも 卑弥呼は謎が多すぎるから 信じられない人の気持ちも

分かるケドなぁ〜・・・。
[2005年08月14日20時28分]
お名前: 美緒
↓なんなの??このしたの書き込みは・・・・。
こういうのんわたくし許せません。ここは卑弥呼についてのことです。
卑弥呼以外だったらでていってくださいませ。

あ!卑弥呼についてですが、わたくしも卑弥呼は居たと思われます。なぜならば、もし、居ないとするとわたくしたちの歴史に、書かれるはずがないのです。
わかっていただけましたか??
あぁ自己紹介しときますね!
岡本 美緒 13歳 中学2年1組 成績1位 
[2005年08月12日14時59分]
お名前: 莉瀬
てか、広辞苑第5版にも載ってるから(笑)
[2005年08月02日16時15分]
お名前: 莉瀬
個人によって考えは違うけど、あたしは居ると思うよ。
[2005年08月02日16時12分]
お名前: あいう
卑弥呼はいる  卑弥呼の古墳あるし 魏志倭人伝にも書いてあるし
いるよ卑弥呼は  

[2005年07月26日17時38分]
お名前: 駆双
卑弥呼?居たんじゃ無いかな?てかむしろ居なかったら「小学校の授業なんだったんだ!」って感じw
まぁ居たと思。魏志倭人伝に確か卑弥呼に銅鏡を送ったとか在ったはず…。
あと、あるギャルゲー(なのかなぁ、アレ)のシナリオの中に
卑弥呼=天照之大御神(『てんてるのおみかみ』とか読むなよ?)とか言う説が出てたんだな。そこで挙げられた卑弥呼との共通点とかを言うと、
卑弥呼には弟がいる。=天照之大御神にもスサノウ之ミコトと言う弟がいる。
卑弥呼没命時(邪馬台国が九州なら)日食が見れて、天照之大御神が天の岩戸に隠れると日食が起こった。
天の岩戸から出てきた天照之大御神は岩戸の外に置かれた銅鏡に自分の姿が映り「あの美しい女性は誰?」とか思って出て来る。=卑弥呼は魏から銅鏡を送られている。
とか。
…ごめんね。説明ベタで…(´・ω・)ショボ-ン
今気づいた。卑弥呼の情報欲しがってた子ら、もう必要として無いんじゃ無い?




[2005年07月25日19時12分]
お名前: ごはん
私の学校で邪馬台国は、どこにあるのかという授業をしました。それで一番人気が、あった所は、奈良県でした。だから、卑弥呼は、奈良県にいたと、おもいます。
[2005年07月25日14時15分]
お名前: ガクラン
いただろ。いたから遺跡あるんだろ。
でも変なまじないはほんとかな〜?
[2005年07月23日14時41分]
お名前: 冬樹
邪馬台国ってもともと男が王だったと思う?だから卑弥呼は絶対いた!

[2005年07月23日14時03分]
お名前: ハロー☆ヴェイヴェイ
ハロー!みんな元気かい!
俺はバリバリ元気だぜ!!!!!
なので、がんばるぜい!!!!でわ・・・・

これからも卑弥呼を愛するハロー☆ヴェイヴェイからでした!!!
[2005年07月20日14時03分]
お名前: ごりえもん
卑弥呼は、絶対にいた!邪馬台国の場所は、佐賀県だと思う!
[2005年07月19日16時42分]
お名前: 怪盗KID
卑弥呼は本当にいた!!居なけりゃ学者が邪馬台国はどこにあるのか必死になっては調べねぇはずだ!
[2005年07月14日19時24分]
お名前: 優
こんにちゎ。私は中Aの女子です。今私は社会のレポートを書く為に卑弥呼につぃて調べてぃました。そこでたまAここに入りましたww少しですが卑弥呼のことにつぃて調べたので書きます。少しでも役にたったら幸いです。                  *卑弥呼という名ゎ個人名でゎなく王に即位した女性のことを卑弥呼とぃぅ。なので卑弥呼も実際の名ゎ分かってぃなぃ。                         *卑弥呼にゎ1000人の召使ぃが居た。その中に一人だけ男がいて食事などを運んだりしてぃた。                                   *卑弥呼ゎ神にお告げを聞くことができた。それを国に伝ぇてぃたのは弟であった。なので卑弥呼が民衆の前に顔を出すとぃぅことゎ滅多になかったとぃぅ。ちなみに弟の名前ゎ田狗彦とぃぅ。                                 *卑弥呼が亡くなったときにゎ100人の奴婢が殉葬されたとぃぅ。         *卑弥呼が亡くなった後に男の王が即位したが国ゎ乱れる一方だった。そこで卑弥呼の親族でぁった『壱与』が即位した。壱与ゎわずか13才だったが卑弥呼と似たょぅな力を持ち神のお告げが聞けたので新しい女王として即位した。               ほかにもまだAぃとぃろとぁりますがこの辺にしておこうと思いますwwでゎ・・・。
[2005年06月30日22時13分]
お名前: とまと
卑弥呼は、絶対いたと思いますでも、どこに邪馬台国があったの・・・・・?

[2005年06月29日18時38分]
お名前: www
たぶんぃますよ^^
[2005年06月27日11時25分]
お名前: オレンジレンジ
私は卑弥呼がいると思います。
卑弥呼がいないと、古墳時代がないと思います。
なので、ひみこは、ぜったいにいると思います
それに、社会のしりょうしぅにのっていたので。
[2005年06月25日15時20分]
お名前: 身長161センチ
でもさ、もしそれがうそだったら?
[2005年06月21日10時58分]
お名前: 小6
卑弥呼はいました。邪馬台国の女王で、3000人もの使いがいたそうです。
卑弥呼がいたか知るには『魏志倭人伝』を読むといいですよ。
[2005年06月20日11時06分]
お名前: 小6.
検索したらいっぱいでましたよ
[2005年06月13日17時34分]
お名前: おれんぢ
卑弥呼はいないってば!!☆☆☆

[2005年06月07日15時42分]
お名前: ☆はるな☆
卑弥呼は、ホントにいましたよ。邪馬台国というところの皇女をしていて、占いなどをやっていたそうです。
[2005年06月05日19時19分]
お名前: 仲良し
いないんじゃないの・・・・。
[2005年06月04日16時18分]
お名前: 6-1
私が、知っている、卑弥呼のことゎ。邪馬台国には、もともと、男の王がいたこと。
位かな。!!!!!アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ
[2005年06月04日16時08分]
お名前: 6-1
卑弥呼のやったこと、何でもいいんで教えてください
[2005年06月04日16時01分]
お名前: こんちん
つうか卑弥呼っていたの〜 おれてきにいると思う〜

[2005年06月03日21時16分]
お名前: 小学6年生
今、調べているけど卑弥呼の生活の特徴って知っていますか?
[2005年06月01日18時47分]
お名前: 礼奈
卑弥呼はどんな女王だったんですか?
[2005年05月31日22時17分]
お名前: 卑弥呼ラー
卑弥呼いるに決まってんじゃん!いなかったら何にも無いかもしれないんだぞ!そのくらい分かれ!
[2005年05月30日19時55分]
お名前: 小学2年生
卑弥呼はいないぞ。っておねえちゃんがいってた。
[2005年05月30日18時28分]
お名前: 小6の少女w
じつは、今、卑弥呼についての宿題について出されたんですが、なにか卑弥呼について知ってることなら、なんでもいいです。
「卑弥呼は本当にいたのか」とはなんだか、ほど遠い気がしますが、お願いします。
教えてください。
[2005年05月23日20時06分]
お名前: 春南
私にも分からないのですが、卑弥呼は不細工だったんでしょうかねエ?
歴史の教科書とかには何ものってないから分からないのですが、
皆様はどう思いますか??
[2005年05月23日09時11分]
お名前: mmっみ
天才ピカチュさんへ・・・                           卑弥呼の豆知識とかなんかあったら、ぜひ!!教えてください!!  
[2005年05月21日22時37分]
お名前: 春南
私は中@です。
卑弥呼は本当に居たんですよ。邪馬台国という国の女王(巫女)なんだよ^^
魏志倭人伝という中国の歴史の本に邪馬台国のことについて書いてあるよ。
卑弥呼の占いはとても当たるよ。農民が畑に雨が降らなくて困ってたときも卑弥呼の
占いがあたって雨が降ったっていう説があるんだよ
もぅ少し卑弥呼のことが知りたかったら、ひいてみな!

[2005年05月21日08時40分]
お名前: 悲しい
なんなんですか?最初らへんの「卑弥呼は不細工」写真では不細工なだけで弥生時代は、とても美しかったんですよ。
[2005年05月17日17時26分]
お名前: コロン「小学6年」
卑弥呼は本当にいました。しかも卑弥呼がいたから、今の美しい日本があるのです。
[2005年05月17日17時21分]
お名前: 小学6年生(偽)
卑弥呼の占いってあたるのかなぁ?
教えてくれ
[2005年05月15日21時27分]
お名前: しょ
私たちも卑弥呼についてべんきょうしてます
[2005年05月11日14時27分]
お名前: ペイ
卑弥呼はまわりに女が1000人いてたった一人だけ男がいたんだてっさ。
[2005年05月02日11時49分]
お名前: デス千
卑弥呼って巫女ってゆってるけど本当?
[2005年05月01日22時47分]
お名前: 天才
なんか卑弥呼について質問がある人は天才ピカチュへ と書いて質問を書いてください。
[2005年05月01日19時53分]
お名前: tibi
私も五年生sと同意見デスoこんなに公表されてぃるのに、ぃなぃなんてコト、なぃんじゃなぃヵナと思ぃマスo
[2005年05月01日19時44分]
お名前: 5年生
占いがすごいらしいです。それに、召使が、1000人もいたんでしょ。そんなに知られてるのに、いないなんて事ないんじゃない。

[2005年05月01日17時23分]
お名前: 天才ピカチュウ
はじめまして。みなさん、卑弥呼は昔本当にいました。わけは、亡くなった人の骨を調べて、科学者が卑弥呼の骨を発見したのです。                   卑弥呼は本当に昔いました。
[2005年04月29日21時05分]
お名前: 天才ピカチュウ
はじめまして。みなさん、卑弥呼は昔本当にいました。
[2005年04月29日21時02分]
お名前: アリア
いやぁ歴史ででるくらいだからいなかった・・・どーよって感じですねぇ
[2005年04月29日18時04分]
お名前: 苺ミルクc
バカじゃん。卑弥呼さんは
本当に居るにきまってんじゃん。
歴史勝手に変えるなよな
[2005年04月28日22時14分]
お名前: 6年
卑弥呼は本当にいたんじぁない・・・?私はいるいと思うよ!!

[2005年04月28日09時30分]
お名前: 中三の先輩
卑弥呼はおそらくいたと思われます。歴史上でいろいろとありますし・・・。
いろいろhpもありますし、さがしてみてください。
[2005年04月27日14時38分]
お名前: ササラ
卑弥呼がいたかいないか、などということがここまで問題になる背景と言うのが、そもそも歴史というものを男性の視点からみているからなんですよね。近代合理主義の思想に染まりきった人が宗教とか神託とかいうあいまいなもんで国が治められるわけなかろう。男がちゃんと統治してたに決まってる!と思ってるからじゃないでしょうか?
いるかいないかって第一に『魏志』の東夷伝倭人の条にちゃんとかいてありますよね。当時字の書ける人がかなりの知識人であったということなどからみても、冗談で書いたわけでもなさそうです。そんなこといっってたら、文献なんて何にも信用なくなってしまいますよね。見たわけではないのだし。
卑弥呼のように宗教的な役割を担って女性で権力を握った人と言うのは遥かローマ帝国にも存在しています。彼女の場合はキリスト教でしたが。
このような女性が存在した理由としては、宗教と言うのが中世以前の世界では私たちが思うよりずっと重要な地位を占めていたのだと言うことです。これらは近代の歴史家が配慮していない事実です。かれらは地位の高い男性のみ(つまり記録される人)しか研究しないので女性、子供、市民についてはまったく手付かずの所が多いのです。
このように歴史を見る場合に、民俗学的な視点を入れることは大変重要なことです。最近ではアナール学派と呼ばれる歴史研究学派がいますので、それについても勉強なさってはいかがでしょうか?
[2005年01月12日12時18分]
お名前: カナリア
もしも、「ヒミコ」が居なかったとしたならココまで複雑にならなかったとおもいますね?皆さんも、そこの部分ゎ理解できるかと思います。
 
[2004年12月13日12時29分]
お名前: カナリア
ありがとうございます。何度も言うようですが、大体の方が知ってる通り卑弥呼にも多くの説が存在しています。また、それらの説はまだ解明されていないこともあるでしょう。ある本を(漫画ですが、裏表紙に実在する墓の写真が!)見ると、写真がありました。文章を読むと、卑弥呼の墓であるかは不明のようです。ある場所の「湖・・・!」の彼方。漫画のストーリーでは、最後に占いをして戦争に望んだところ卑弥呼の占い即ち「予言」がはずれ多くの邪馬台国の民(たみ)が批判をしたのです。
 そして、卑弥呼は巫女(みこ)の掟(おきて)の通り民達(たみたち)に言葉を告げ、卑弥呼の子孫となる「いよ」(確か名前はこれで良かったと思います。漢字でなく申し訳ありません)という子孫を残し海か湖へと自ら入り夕日と共に沈んでいったそうな。その後も、「いよ」は卑弥呼の血を継ぎ生まれながら喋る事もできずある珍しいコミュニケーションの仕方で伝えました。
事実か?と、聞かれるとそうじゃないかもしれませんし・・・。不明です。(スイマセン)
[2004年12月06日12時07分]
お名前: 夜須町   URL
卑弥呼は実在の人物なのさ、伊都国というのがあって247年まで生きて
たんだよ、卑弥呼は卑がついてるでしょう、それは中国の役人がつけた
民族の呼び名なのさ、倭国とあるでしょう、そのわこくが卑なのさ。
わかったかい、つぎに下の巫女はお宮の巫女と同じ事なのさ。
つまり倭国の卑弥呼というわけ、ほかにも卑弥呼に敵対した狗奴国も卑が
ついているだろう。
[2004年12月03日17時08分]
お名前: カナリア
どうもです!(有難うございます。)
 アコさんは、とても詳しくてビックリしてます。
ちなみに、小6さんへ・・・多分卑弥呼には誕生から歴史の事実について色んな説があることは習ったかと思います。ココの投稿者の文をよく読んで見てください。(スイマセン・・。管理人でも無いのに・・・・)

[2004年11月29日11時49分]
お名前: ATTILA
アコさんの"論考集「“卑弥呼”について」目次"は、ここ↓です
http://members.at.infoseek.co.jp/Accord/BIGLOBE/HIMIKO/index.htm

こちらのほうが、タイトルもありますからわかりやすいでしょう。

[2004年11月16日14時27分]
お名前: カナリア(中2)
質問があります。(アコさんへ)
 アコさんの書き込みをみますと、卑弥呼の即位は内乱か何かで即位したとなってますがその他の情報でも何故その様な色々な確実ともいえる理論的な事を知っているのですか?教えてください!!!!


[2004年11月15日13時40分]
お名前: 中国嫌い
卑弥呼がいたかいないか200年代のことなんかわかるかけねえだろ。だけど卑弥呼とか邪馬台国とか倭人とか字見れば中国のやつらが日本を馬鹿にしてつけた名前だって思うね。潜水艦沈めてしまえ。
[2004年11月12日23時14分]
お名前: 秋山 彩香(あやか)   URL
 「卑弥呼の日食 & 天照大神の日食」

>正始八年(247年)に起こった出来事である!と考え、「卑弥呼は正始八年(247年)
に亡くなった!」とするのが“通説”になっているのです。<

下に、アコさん([2002年6月20日 12時32分42秒])も書かれています。
さて、【私見】を。

『魏志倭人伝(通称)』に記載は、邪馬壹(やまい)国(連合)側の記事です。
西暦247年3月の日の入り時の日食は【卑弥呼=壹与の死】、
西暦248年9月の日の出時の日食は【天照大神=台与→豊の出現】。

即ち、邪馬壹(やまい)国(連合)の共立された女王・卑弥呼から、
邪馬台(やまと)国(連合)の女王・台与(→豊)・天照大神へと、
【覇権の変遷】が有ったのです。
それが、「卑弥呼と天照大神の二つの日食を利用して描かれている」のです。

   『万葉集』から
大君の和魂あへや豊国の鏡の山を宮と定むる (巻3・420)
豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず (巻3・421)
岩戸破らむ手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく (巻3・422)

「(邪馬)壹国=薩摩」の都は、現鹿児島県姶良郡香春町。《加治木義博説を支持》
邪馬台(やまと)国(連合)の女王・台与(→豊)の国は「豊国=大分県」、
都は現福岡県田川郡香春町。「天の岩戸」は香春岳(鏡山)。
香春岳(鏡山)に在った宮から、「卑弥呼と天照大神の二つの日食」は見えたのです。




[2004年11月10日15時28分]
お名前: カナリア   URL
居たと思いますよ!女性としては初の女王「卑弥呼」私は卑弥呼が存在していた思います。
[2004年11月08日12時05分]
お名前: 中学2年生
今私は、授業で卑弥呼の事を調べています。
 そこで、知りたいのですが卑弥呼に関連する「魏志倭人伝」の中身について教えてください!私は、とても卑弥呼について興味があります。お願いします。
資料から見ていくと、卑弥呼についての事実ははっきりしないようですが私の考えとしては、「卑弥呼は存在していた」のではないかとおもいます。もし、「空想の人物」だったならば何故ここまで大げさにされてきたのでしょうか?
 あるマンガですが、(事実かは不明)卑弥呼は弟がいて占いの出来る人で男が王になるのが当たり前の邪馬台国。その、王様が戦争をしようとした時卑弥呼はやめるよう説得したとなっています。しかし、王は話を聞かず「牢屋へとぶち込めと」言い戦士たちに「我々は必ず勝つ!」とのことのような発言をしいざ、出陣したと書かれていました。皆さんからして、これは事実と思いますか?
[2004年11月01日12時15分]
お名前: 考古学   URL
今や邪馬台国は夜須説が一つになりつつあります、それは『豊葦原国から邪馬台国へ』
の一ページだけになったとか?
そんな話題が考古学会で持ちきりです。
[2004年07月21日09時13分]
お名前: 紫已   URL
私は卑弥呼が本当に居たと思ってますよ?
中学1年でもう一回卑弥呼の勉強をするのですが魏志倭人伝によると卑弥呼は存在しているとなってます。
まぁ本当のことは解りませんがね
[2004年05月04日08時00分]
お名前: 肩甲骨
実際、「卑弥呼」というのは形式上あくまで一階級名であることから
「卑弥呼」の使いとしてあれこれ伝令していた弟方が「卑弥呼」の正体だと云う説もある。
女としての卑弥呼を指しはしないのなら、卑弥呼の存在は充分在り得ると思うが。
[2003年12月19日15時58分]
お名前: 6年生
私達は歴史の勉強をしていますけど、卑弥呼は3世紀頃にいたんですよね。21世紀まで卑弥呼のことが言い伝えられているということは、本当にいると思う
[2003年07月27日08時43分]
お名前: しばい   
 皇帝というと三皇五帝を省略して、皇帝というように
定めたのが秦の制度です。司馬遷の「史記」では、
 三皇 タイコウホウギ、女帝(ジョカ)、炎帝神農
 五帝 黄帝、帝コク、帝センギョク高陽、尭、虞瞬、(禹。夏王朝の創始者として
    五帝からはずす事が多い)
 としていますが、中国の神話ですので、史記に寄ったほうが
 皆さんにはお勧めで。
  神童 ロ(呂の字の下に女)正綱と言われた、小学生だった書道家の
 展覧会に行きました。なんでも、現在では、ユニセフの活動もしている
 という事で中国のアグネスチャンというところかな。(?チャンさんは
 カナダだったかな)
  現在は、どうなっているんだろう、史記は、正史を目指して伝承の
 整理には、気を使っているらしいですね。神話となると?秦はとなると
 正解と言うところでしょう。焼き物となると陶唐の尭というのも字だけの
 伝承ではないようです。

[2002年10月15日 7時24分34秒]

お名前: 華陽夫人   
 どーも、しばいです。またまたネタは、「史記」ですが
史記の呂夫韋列伝にある華陽夫人を当てはめるとしっくり
くるんですよね。
 呂夫韋は、河南省の豪商で秦の始皇帝に肩入れして相国を
勤めた人ですが、実際には行ったことがない日本に秦のイメージ
を当てているのではと考えています。華陽という人は、身分としては
老人先王の宮廷に一応いた身分のあるもの、日本風には、お部屋様という
ことになりそうですが、后、妻、夫人ではなく広い意味での妾という
ことになりますが、一応、宮廷にいる女性を、1、3、5で区切り
並べただけで女性に礼儀を強制しないのが古い中国式ですね。
 儒学を特に取り上げていない秦っではそうなります。先王死後は、
立太子に奔走し始皇帝を王にして、太后と呼ばれても、別に無頓着
でその点、卑弥呼に似ています。秦が統一の過程で、呂夫韋や華陽
が失脚する時は、わざと、精力の強そうな男を身辺に置くなどして
いますね。始皇帝の治世は、南に十万、東に三十万というように
諸侯の兵士を殺害しやっと力で作った統一なので、諸侯の弊害を
先ず非難しています。
 この頃、皇統譜が写真週刊誌にも取り上げられるようになって、
いますから、漢代のフ(符?)でも大量に発見されたのでしょう。
宮廷といっても、秦のような儒学に敵対した国では、意味もなく、
妾といっても宮廷の並びだったりしますよね。
 始皇本紀には、河南の湘君の記事がありますが、姉妹で聖皇瞬に
嫁いだ湘君のお堂を囚人を使って、周りの森林を盗賊が増えると
丸裸にしていますね。
   しばい

[2002年9月1日 9時34分23秒]

お名前: しばい   
 人丁についてだけ、考えていたのですが、
最近、日本に紹介されているのは、少数民族
が、奴隷制に似た制度を多く残していた事例
が紹介され、第二次大戦後に廃止された件で
す。日本は、稲作の面でも、揚子江流域と関係
が深く、山東省や半島経由の伝播は実は、
限られていたらしい事が解ってきました。
 女王というか、女性が社会のなかで地位が
高かったのは、揚子江流域には、一般的っだた
時代は、楚、漢、南北朝の時期にはよくあるら
しいのです。史記の呂公に関する不可解な、
部分はその点で了解できます。また、男子を
中心とする文化を、倭に時代的な振る舞いを
勧めて和をお目指した点もこの時期には、
括弧つきの証拠もありそうです。日本史だけ
という視野でよければ、特定はかなりの精度
でできそうですが、意味まであるか?
難しい議論ですか?

[2002年8月26日 20時59分27秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月30日 8時40分30秒]のつづきです。

 最後に、卑弥呼=アマテラス説の要点(3)、すなわち、皆既日食について。

 これも前回紹介した要点(2)と同様に“検証”が可能です。パソコンで日食の
計算をおこなう場合、私が知る限り、手ごろな割りに精度が高いのは、フリーウ
エアの『EMAP』だと思います。なお、『EMAP』および「日蝕データファイル」は
下記からダウンロード可能です。

URL=http://www2c.biglobe.ne.jp/~takesako/cal/soft.htm

 もちろん、『EMAP』で得られた結果が“絶対に”正しいとは言えません。した
がって、もし、以下に書いている内容に疑問がありましたら、別のソフトなどを
使ってご自身で調べ直してみてください。


 さて、『EMAP』を動かしてみればわかると思いますが、問題の日食は、247年03
月24日と248年09月05日(共に日本標準時。以下、同様。)にあったようです。な
お、これらは通称“卑弥呼の日食”と呼ばれています。

 次に、卑弥呼は「邪馬台国」にいたとされるので、その代表的な候補地と思わ
れる、

(a)観測地:YASU(夜須・福岡県朝倉郡) 東経130.50 北緯33.50
(b)観測地:ASUKA(明日香・奈良県高市郡) 東経135.80 北緯34.50

で、これらの日食がどのように見えたのか確認してみました。

 その結果、247年の日食は皆既日食なのですが、夕方から欠け始めるため、日
没時には6割程度しか欠けなかったようです。つまり、「このときの皆既日食は、
見ることができなかった可能性が高い!」ということ。これは、九州であろうと、
近畿であろうと同じようです。特に明日香では、太陽が欠け始めて約13分後に
日没となるため4分の1程度しか欠けませんでした。

 また、248年の日食は、欠けた太陽が昇ってくるというもので、夜須では4分の1
ほどの大きさになった三日月状の太陽が昇ってきたようです。ただし、この日食
も九州であろうと、近畿であろうと皆既日食とはならなかったようです。

 このことから、当時の日食が、皆既日食であったことを根拠にしている説は、
まず成り立たないように思えます。


 ところで、“卑弥呼の日食”に基づく説の多くが、当時の倭人が日食について
何の予備知識もなかったことを前提とされています。ホントにそうなんでしょう
か?

 日食がどういった“仕組み”で起こるのかなんてことは、どなたでもごぞんじ
と思いますので省きますが、重要なことは新月の日にしか起こらないということ
です。

 新月と満月の前後は、潮の干満の差がもっとも大きくなることから、“大潮”
(おおしお)と呼ばれ、魚の活性が上がるので、海での魚釣りに適した日とされて
います。『魏志倭人伝』には、「今{倭}水人好沈没捕魚蛤、」(今の倭の水人
も、好んで水中に潜り、魚や蛤を採っている、)とあり、素潜り漁が行なわれて
いたことしか記されていません。

 しかし、各地の「縄文時代」の遺跡から、釣り針と思われるものが多数出土し
ていることから、倭国でも海辺に住んでいた人びとは海で魚釣りをしたこと、さ
らには、漁撈を生業としていた人びともいたことが十分想像できるのです。

 ということは、そういった海の漁撈民の中では、「新月の日には太陽が欠ける
ことがある!」といったことを経験的に知っていたり、古くから伝承されていた
可能性があるわけです。ただし、いつの新月の日の、どの時間帯に、どのくらい
欠けるか?といったことは、まず予測できなかったでしょうが‥‥。

 そこで、『EMAP』を使って、201年1月以降にYASU(夜須・福岡県朝倉郡)で観測
可能な日食を調べてみました。なお、201年1月以降としたのは、“卑弥呼の日食”
に遭遇した人びとも、これくらいなら自分自身が実際に見ていたり、あるいは、
年長者から直接に話を聞いていた可能性が高いと考えたからです。以下に結果を
示します。

年/月/日 最大時間 欠具合 備考
========= ======== ====== ===========================================
201/03/22 08:12:31 0.229
201/09/16 08:19:17 0.019 ASUKAでは観測されない
205/12/29 08:13:33 0.206
208/10/27 11:53:47 0.499
210/03/13 07:38:09 0.816
212/08/14 17:18:09 0.618
216/06/03 06:22:01 0.613
219/04/02 18:24:20 0.448 日没時点では0.401
220/03/22 08:52:10 0.472
221/08/05 16:19:22 0.488
222/01/30 18:10:32 0.315 日没時点では0.249
222/07/26 05:52:59 0.835 日出時点では0.374
223/01/19 17:17:27 0.643 日没時点では0.529
231/08/15 16:18:58 0.047
232/01/11 09:10:50 0.494
232/12/29 15:22:34 0.129
233/06/26 09:47:32 0.496
240/08/05 15:58:42 0.273
243/06/06 08:38:07 0.377
244/05/24 10:49:01 0.337
245/11/07 13:58:21 0.357
247/03/34 18:53:15 0.999 日没時点では0.614(卑弥呼の日食)
248/09/05 06:07:22 0.903 日出時点では0.732(卑弥呼の日食)
========= ======== ====== ===========================================


 このように、約半世紀の間に、“卑弥呼の日食”を含めて23回観測可能だった
わけです。もちろん、天候や欠け具合によっては、日食があったことに気付かな
かったこともあったでしょうが‥‥。

 そういったことを考慮しても、当時の倭人が日食についてなんの知識も持って
いなかったとは、考えにくいのです。

 また、この表を見ればわかるように、欠けた太陽が昇ってくるとか、太陽が欠
けながら沈んでいくといった現象は、“卑弥呼の日食”以前にも観測可能だった
わけです。特に222年07月26日と223年01月19日の日食は、“卑弥呼の日食”と時
間帯は逆ですが、良く似ています。

 したがって、“卑弥呼の日食”が、2年連続で起きた大規模なものだったこと
や、それが日没や日の出にあったことを理由にしたさまざまな説は、成り立ちに
くいように思えます。

 さらに、もっとも欠けた時間を朝(5:00〜8:59)、昼(9:00〜14:59)、夕(15:00〜
18:59)に分類すると、朝が9回(約4割)、昼が5回(約2割)、夕が9回(約4割)といっ
た具合に、朝と夕に偏っているのです。こういったことから、“卑弥呼の日食”
にしても、「明日は新月だから、朝から太陽が欠けているかもしれない。」とか
「今日は新月だから、夕方に太陽が欠けるかもしれない。」といったことが、事
前に言われていた可能性もあるのです。


 さて、海に限らず、魚がもっとも釣れやすいのは、明け方と夕方で、これを
“朝間詰め”(あさまづめ)、“夕間詰め”(ゆうまづめ)と呼びます。ま、この時
間帯が魚の食事の時間だからですが。

 そして、“卑弥呼の日食”、247年03月24日はまさに新月による“大潮”の
“夕間詰め”であり、248年09月05日はまさに新月による“大潮”の“朝間詰め”
だったわけです。そのとき、海で魚釣りをしていた倭人は、天候さえよければ、
欠けながら水平線に沈んでいく太陽や、欠けながら水平線から昇ってくる太陽を
見ることができたわけです。そして、「おいおい、お日さまが、また欠けちまっ
たよ!」と思ったかもしれません。(^_^)


 これにて私の卑弥呼関連の話はひとまず終りにしたいと思います。長々お付合
いいただき、ありがとうございました。m(__)m
                                  アコ

[2002年7月31日 7時4分2秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月26日 15時53分15秒]のつづきです。

 前回紹介したように、「卑弥呼は誰か?」という問いに、日本古代史ファンを
中心に、「卑弥呼は天照大神である!」という答えがもっとも多いように思えま
す。そこで、この説を3つの要点を中心に紹介しておきます。なお、『古事記』
では“天照大御神”、『日本書紀』では“天照大神”などと表記されていますが、
ここでは「アマテラス」と書くことにします。

(1)卑弥呼、壱与とアマテラスの類似性
(2)年代論
(3)皆既日食

 (1)は、たとえば、アマテラスが天岩戸に隠れたのは、卑弥呼の死を、そこか
ら出てきたことは、壱与の即位を表わしているとか、天岩戸から出てきたのち、
アマテラスは高木神(高皇産霊尊)と一緒に行動することが多くなるが、これは
13歳で即位した壱与には後見人が付いていたことを表わしているのだろうといっ
たものです。また、神功皇后などの“卑弥呼”の他の候補者とは異なり、
アマテラスにも卑弥呼と同様に弟がいたなどなどが、古くから多くの研究者に
よって指摘されてきました。

 (2)は、アマテラスなどの神話上の神々や伝説上の人物が活躍していた実年代
を平均的な在位年数から算出するというものです。もちろん、そういった神々や
人物が実在したということを大前提としています。

 安本美典氏の『新版 卑弥呼の謎』(講談社現代新書 530、1988年7月20日第1刷
発行。)によれば、「神武天皇が存在したばあい、その活躍の時代は、おそらく、
二八〇〜三〇〇年ごろであろうと考えている。」(p.178)そうです。ただし、実
際の計算には「神武天皇の時代、二七〇〜三〇〇年」(p.198)としています。そ
して、その時期の推定平均在位年数を10年とし、『古事記』や『日本書紀』によ
ると、神武天皇の五代前がアマテラスとされているので、アマテラスの時代は、
おそらく、「二二〇〜二五〇年ごろとなる。」(p.198)と結論づけています。こ
の年代は、「卑弥呼の時代とまさに重なりあう。」(p.198)のだそうです。

 (3)は、卑弥呼の晩年ころの西暦247年と248年に、2年続けて皆既日食が起こっ
たことが橘高章氏の調査(URL=http://www2d.biglobe.ne.jp/~kittaka/NISI.HTM)
などにより確認されたことにはじまります。卑弥呼の死や壱与の即位、さらには
アマテラスの“岩戸隠れ”神話は、これら日食に深く関係する!とされ、卑弥呼=
アマテラス説を裏付ける強力な証拠とされています。


 では、卑弥呼=アマテラス説に欠点はないのか?というと、そういうわけでも
ありません。

 まず、(1)についていえば、『魏志倭人伝』には、卑弥呼は即位以来、人前に
ほとんど出ず、実際の政治は男弟が補佐したとありますが、アマテラスの弟には
そんな伝承はありません。また、卑弥呼は“鬼道”によって人びとを治めたとあ
りますが、アマテラスにはこういった伝承もありません。さらに、卑弥呼は中国
の魏に使者をたびたび送っていますが、アマテラスにはそういった伝承はありま
せん。このように、『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼の特徴のほとんどが
アマテラスにはあてはまらないのです。

 次に、(2)についてですが、これは「ある時期の平均在位年数と世代数の“積”
(かけ算の答え)から、その時期の実際の在位時期を知り得る!」ということを
前提としています。こういったことが前提となりうるのか、“検証”してみま
しょう。

 安本美典氏の前掲書 p.89の図5によれば、17〜20世紀の日本の天皇の平均在位
年数は、19.69年だそうです。

 上でも紹介したように、安本氏は、神武天皇の五代前がアマテラスであるとさ
れましたから、ここではまず、現在の天皇(今上天皇)から五代前までの実際の在
位期間を見てみましょう。

仁孝:1817年03月22日〜1846年01月26日=10538日
孝明:1846年02月13日〜1866年12月25日= 7621日
明治:1867年01月09日〜1912年07月30日=16639日
大正:1912年07月30日〜1926年12月25日= 5262日
昭和:1926年12月25日〜1989年01月07日=22660日
今上:1989年01月07日〜
※日数は、両端入。

 なお、昭和天皇の即位年月日までのデータは、三省堂『コンサイス世界年表』
(1976年11月1日第1刷発行)によりました。また、ここでは精度を上げるため日数
で計算するので、1年=365.25日とします。

 すると、安本氏が示したこの時期の平均在位年数が19.69年ですから、日数に
換算すると、19.69年×365.25日=7191.77日。これに五代をかけるのですから、

7191.77日×5.00代=35958.85日→35959日(端数切り上げ)

 それを現在の天皇の即位日から差し引けば、計算上の仁孝天皇の即位年月日が
求められるはずです。

1989年01月07日−35958日(両端入)=1890年07月27日

 このように、仁孝天皇の実際の即位年月日、すなわち、1817年03月22日とはまっ
たく異なってしまうのです。(また、これは、空位期間などを考慮することによっ
て補正できるような微々たる違いではない。)

 これにより、安本氏の前提が“前提”とはなり得ないことが“実証”されたわ
けです。つまり、(2)は成り立たないのです。

 つづきます。                           アコ

[2002年7月30日 8時40分30秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月25日 9時18分17秒]のつづきです。

 卑弥呼について書かれている本を見ると、その多くに「卑弥呼は誰か?」とい
う問いが載っています。どうしてこんな問いが生まれたのかというと、古代の
日本で書かれた書物のどこにも、“卑弥呼”という名の女性が登場しないからで
す。(ちなみに、隋までの時代を扱った中国の正史に限れば、こういったことは
卑弥呼に限ったことではなく、名が完全に一致する例は、いままでにひとつも見
つかっていないようです。)

 そこで、「中国の正史で、こんなにも大きく取り上げられている女王を、私た
ちの祖先が忘れてしまうはずがない! きっと、“卑弥呼”は国内では別の名前
で呼ばれていたに違いない!」という“大前提”のもと、古代の日本で書かれた
ものの中から“卑弥呼探し”が始まったようです。

 その結果、私が知っているだけでも、以下のような説が生れました。

(a)卑弥呼は神功皇后(じんぐうこうごう)である!
(b)卑弥呼は倭姫(やまとひめ)である!
(c)卑弥呼は倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)である!
(d)卑弥呼は天照大神(あまてらすおおみかみ)である!
(e)卑弥呼は熊襲(くまそ)の女首領である!
(f)卑弥呼は甕依姫(みかよりひめ)である!
(g)卑弥呼は田油津媛(たぶらつひめ)である!

 これらのうち、(a)〜(d)は、「我が国で“王”を名乗れるのは天皇家の人びと
およびその妻だけである!」といった“信念”に基づいています。

 そして、(a)は『日本書紀』編者によって唱えられたもので、長い間、定説化
していました。(b)は明治時代に内藤湖南氏が唱えたものです。(c)は大正時代に
笠井新也氏が唱えたもので、現在でも多くの考古学者によって支持されています。
(d)は古くは白鳥庫吉氏によって唱えられ、その後は安本美典氏により補強され、
現在ではもっとも広く支持されている説となっています。なお、(a)〜(d)で卑弥呼
とされた神様および人物は皆、『日本書紀』に登場しています。

 次の(e)も(a)〜(d)と同じ“信念”に加え、「『魏志倭人伝』に書かれているよ
うに、我が国が中国の属国となることはありえないので、熊襲の女首領が、自ら
を天皇家の人物と偽ったものだ!」といった考え方に基づいています。江戸時代
の本居宣長が唱えたものです。

 次の(f)と(g)は、(a)〜(d)とは異なり、“卑弥呼”の候補を天皇家以外の人物
にまで広げています。このうち、(f)は古田武彦氏によって唱えられたもので、
甕依姫は『筑後国風土記』にのみ登場する人物です。(g)は私が1990年の秋ころ
に言い出したものです。また、関裕二氏も私と同様の説を唱えられているようで
すが、「どちらが先に公表したのか?」とか、「それらよりも前に同様な説を唱
えた研究者はいなかったのか?」などについては、調べていません。(^_^;) 
なお、田油津媛は『日本書紀』に登場する人物で、九州で(a)の神功皇后らによっ
て殺されたとされています。

 このように、(e)と(f)(g)では、根本的な考え方は異なるものの、九州にいた
天皇家以外の人物とする点で共通しています。

 ところで、これら7つの説に対して、「古代の日本で書かれたものをいくら調
べても“卑弥呼”がみつかるとは限らないのではないか?」という考え方もあり
ます。言い換えれば、上で書いた“大前提”そのものを否定してしまう考え方で
す。

 というのも、まず、「中国側が卑弥呼を“記録”すべき人物と考えたとしても、
倭国側が卑弥呼を“記憶”すべき人物と考えたとは言い切れない!」からです。
次に、古い時代に書かれた書物の多くはすでに失われてしまっているため、私た
ちが調べることができる書物には限界があるからです。極端な言い方をすれば、
古代の日本にも卑弥呼について書かれたものがあったが、それらは皆、すでに失
われてしまったかもしれないからです。

 ただし、こういった考え方は論理的ではあっても、現在の歴史学には、あまり
馴染まないので、ほとんど受け入れられてはいないようですが‥‥。

 つづきます。                           アコ

[2002年7月26日 15時53分15秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月22日 16時32分12秒]のつづきです。

 卑弥呼が“祭の王”で、その男弟が“政の王”だったと仮定すると、卑弥呼が
共立されるきっかけとなった内乱の前に国を治めていたとされる男王たちは、
どっちの“王”だったのでしょうか? 考えられる可能性は以下の3つだと思い
ます。

(a)それら男王は“政の王”であり、それとは別に“祭の王”がいた?
(b)それら男王は“祭の王”であり、それとは別に“政の王”がいた?
(c)それら男王の時代には“祭の王”や“政の王”といった区別がなかった?

 なお、これらの内、(c)であれば、卑弥呼が初代の“祭の王”ということにな
ります。

 では、卑弥呼の死後に即位し、再び内乱を引き起こすきっかけを作った男王は、
“祭の王”だったのか? それとも、“政の王”だったのか? あるいは、そう
いった区別はなかったのか?

 さらに、その内乱を収束させるために即位した女王壱与は、上の仮定に従い、
卑弥呼と同様に“祭の王”だったとすると、誰が“政の王”になったのか?

 さらにさらに、壱与のあと、たとえば「倭の五王」は、“祭の王”だったの
か? それとも、“政の王”だったのか?

 といった多くの疑問が生じるのですが、これらを合理的に説明できるのかどう
か、私にはわかりません。(^__^;) ただ、中国正史の記事だけでは合理的に説明
することは、たぶん、不可能ではないかと思っています。

 というのも、中国の「王」には、“祭の王”とか“政の王”といった区別がな
く、「王」といえば、それは“政の王”を指していたようなのです。したがって、
倭国からの使者が王の親書を携えてやってきても、中国側は、そこに書かれてい
る倭国王が、“祭の王”であろうが、“政の王”であろうが、“政の王”として
扱ってしまったと考えられるからです。


 以上、[2002年5月31日 9時36分43秒]であげた、

> (1)卑弥呼は何歳で即位したのか? また、それは具体的にはいつのことだった
>  のか?
> (2)卑弥呼の「鬼道」とはどんなものだったのか?
> (3)卑弥呼の弟の名は何というのか? また、その弟も卑弥呼には会うことが許
>  されなかったのか?
> (4)卑弥呼は何歳で亡くなったのか? また、それは具体的にはいつのことだっ
>  たのか?
> (5)なぜ当時は、男王では国が治まらなかったのか?
> (6)壱与のあとも女王が続いたのか?

について、だらだらと書いてきました。書いていくうちに当初の構想からはだい
ぶ外れてしまった部分もあり、話の内容に一貫性があるかどうかはわかりません。
(^__^;)

 ま、ここで紹介したことが、卑弥呼や「邪馬台国」関連の本などを読まれると
きに少しでもお役に立てればと思っています。

 もうちょっと、つづきます。                    アコ

[2002年7月25日 9時18分17秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月19日 7時1分43秒]の補足からはじめます。

 さて、前回の最後で、

> ただし、この場合、卑弥呼は即位前には結婚していたことになりますから、そ
>れなりの年齢になって即位したということになります。したがって、私の「卑弥呼
>は壱与と同様に数え年13歳程度で即位したのではないか?」という推理とは一致
>しませんので、私はこういった考え方を採ってはいません。

と書きましたが、私の推理とも一致するケースがあることがわかりました。(^__^;)

 そこで、前回の話をまとめながら、それを紹介しておきます。

 まず、仮に卑弥呼が先代の倭国王の妻であり、その共立が「皇位継承権争いを
収束させるため!」と説明することができたとしても、13歳で即位した壱与の
場合はどうでしょう。

 卑弥呼と同様に考えると、壱与も先代の倭国王の妻であったとしなければなり
ません。つまり、卑弥呼の死後、即位を宣言した男性の妻であるということ。そ
して、その男性は殺し合いの末に殺された。そう考えれば、とりあえず、つじつま
は合います。

 となると、当時、倭国の女性は13歳程度で結婚することもあったことになりま
す。とすれば、卑弥呼もそのくらいの年齢で結婚したかもしれない。そして、
結婚してまもなく、夫である倭国王が死去。その後に発生した皇位継承権争いを
収束させるために卑弥呼が倭国王に共立されたと考えられないこともないのです。

 こういった考え方であれば、「卑弥呼は壱与と同様に数え年13歳程度で即位し
たのではないか?」という私の推理とムリヤリ合わせることもできたのでした。
(^__^;)

 では、ここからが今回の本題です。

 さて、古い時代には“祭(まつり)の王”と“政(まつりごと)の王”がいて、
二人で国を治めていた!とする考え方があります。たとえば、『魏志倭人伝』に
は卑弥呼の統治をその男弟が助けたとありますから、女・男というペアになりま
す。同様に、推古天皇(すいこてんのう)とその甥の聖徳太子(しょうとくたいし)
や、伝説上の人物とされる神功皇后(じんぐうこうごう)とその臣下であった
武内宿禰(たけうちのすくね)も女・男というペアでした。

 また、琉球王朝では、王が代わるたびに王の親族の女性(姉とか妹など)の中か
ら聞得大君(きこえおおきみ)が選ばれ、「ノロ」と呼ばれる神女(しんじょ)たち
すべてを支配しました。なお、こういった組織が整備されたのは尚真王(しょう
しんおう)の時代(1465-1526年)とされています。

 その他にも、西郷信綱氏(日本古代文学)などが指摘されているように、斎宮
(いわいのみや;さいぐう)と天皇ももともとは“祭の王”と“政の王”という
関係であったとされています。なお、斎宮は伊勢神宮に使える最高位の巫女で、
天皇が代わるごとに未婚の皇女の中から占いによって選ばれたとされています。
その初代は日本武尊(倭建命;やまとたけるのみこと)の物語に登場する倭姫(やま
とひめ)とされていて、この制度は南北朝の後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の時代
まで続きました。

 ちなみに、こういった男性の“政の王”と女性の“祭の王”による統治を一般
に“彦姫制”(ひこひめせい)と呼んでいます。

 では、なぜ“祭の王”は女性がなったのでしょうか? というのも、「巫覡」
(ふげき;かんなぎ)という言葉があるように、神様に仕える人物、ここでは総称
して“ミコ”と呼ぶことにしますが、これには女性の「巫」と男性の「覡」が古
くからいたようなのです。

 この点についてですが、まず、「巫」や「覡」といった漢字は中国で生まれた
ものです。そして、「巫」という漢字をもとに「覡」という漢字が生まれたと考
えられるので、中国では“ミコ”はもともと女性の役割だったことが想像される
のです。

 それに対して、日本の古い言葉では「かんなぎ」、古い書き方では“加牟奈岐
(かむなき)”には、その語源に諸説があるものの、もともとは神様を和(なご)ま
せることやその役目のことだったのではないか?とする「神和(かんなぎ)」説を
採用されているかたが多いようです。

 日本神話によると、神様を和ませる役目としてたびたび登場するのが天鈿女命
(天宇受売命;あまのうずめのみこと)です。彼女は、天石窟(あまのいわや)に隠
れた天照大神(あまてらすおおみかみ)を慰めたり、天孫降臨(てんそんこうりん)
の際には、天八達之衢(あまのやちまた)にいた猿田彦大神(さるたひこのおおか
み)を和ませて道案内させたとされています。

 もちろん、日本神話の中にどれほどの歴史的な事実が含まれているのかはわか
りませんし、また、もし含まれていたとしても、それが物語の順番通りに起こっ
たことなのかどうかなど、まったくわかりません。しかし、「神様を和ませるの
は女性の役目だった!」といった認識が古くからあったことは十分想像できると
思います。つまり、中国と同様に日本でも“ミコ”はもともと女性の役割だった
ことが想像されるのです。

 その背景にあるとされるのが、日本民俗学で“妹の力”と呼ばれている女性の
霊性です。これについては、近年さまざまな方面から実証されているようです。
たとえば、日常的に使う言葉の中に“女のカン”というのがありますが、これも
実際に男性よりも女性のほうが、身に迫る危険の察知能力や、相手の“浮気”を
察知する能力などが高いことが知られています。また、“ヒステリー”が女性に
多かったり、「私は妖精を見た!」といった発言が女性に多いことなども、女性
が男性よりも“ミコ”としての能力が高いことを示しているとされています。


【今回新たに参考にしたもの】

西郷信綱『古事記の世界』、岩波新書青版654、1967年9月20日第1刷発行。

 つづきます。                           アコ

[2002年7月22日 16時32分12秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月18日 9時14分32秒]のつづきです。

 「なぜ当時は、男王では国が治まらなかったのか?」そして、なぜ、卑弥呼が
共立されたのか?という問題については、たとえば、推古天皇・皇極天皇(斉明
天皇)・持統天皇・元明天皇・元正天皇・孝謙天皇(称徳天皇)といった実際に即位
したとされる古代の女性の天皇や、即位を促された女性について、その経緯を調
べ、そこから卑弥呼の場合を類推するといった方法がしばしば採られています。

 多くの研究者による研究成果をおおざっぱにまとめると、古代のそういった
女性たちには、次のような傾向があるとされています。(ただし、全員が全ての
傾向を満たしているわけではない。)

(a)亡くなった天皇の皇后であった。
(b)継ぐべき皇子が幼少であった。

 そして、隠れた理由として考えられているのが、「皇位継承権争いを未然に防
ぐため!」というものです。

 これを卑弥呼にあてはめてみましょう。

 『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は「年已長大、無夫婿、」と書かれています。
これを「卑弥呼は、この時すでにかなり歳を取っていたが、夫はいなかった。」
と読んで、「卑弥呼の情報を伝えた人物は、それ以前の卑弥呼について、あまり
知らなかったために、こう伝えたのではないか? 実際には、卑弥呼は先代の
倭国王の妻であり、王の死後に発生した皇位継承権争いを収束させるために、
共立されたのではないか?」という考え方もできそうなのです。

 そして、「当時は男尊女卑の社会であったから、たとえ王となっても女性であ
る卑弥呼が、表舞台に立つことは許されなかったのだろう。そのため彼女は、引
き籠らざるをえなかったのではないか。卑弥呼の死後、ある男性が即位を宣言す
るものの、再び皇位継承権争いが発生し、殺し合いとなった。そこで、それを
収束させる目的で今度は卑弥呼の一族の女子であった壱与を即位させた。」とも
考えられるわけです。

 ただし、この場合、卑弥呼は即位前には結婚していたことになりますから、そ
れなりの年齢になって即位したということになります。したがって、私の「卑弥呼
は壱与と同様に数え年13歳程度で即位したのではないか?」という推理とは一致
しませんので、私はこういった考え方を採ってはいません。

 つづきます。                           アコ

[2002年7月19日 7時1分43秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月14日 8時33分22秒]のつづきです。

 「なぜ当時は、男王では国が治まらなかったのか?」にも関連しますが、
『魏志倭人伝』を読む限り、女王を立てることでしか国が治まらない理由も、ま
してや卑弥呼を即位させることでしか国が治まらない理由も見当たらないのです。
たとえば、卑弥呼的な人物が、倭国には卑弥呼一人しかいなかったとは考えにく
いですし、卑弥呼の“鬼道”にしても、卑弥呼固有のものとは考えにくいですか
ら。

 じゃあ、卑弥呼が倭国王とされたのはまったくの偶然なのか?というと、それ
もちょっと違うのではないかと思っています。前回でも触れたように、私は倭人
の国々の王たちが卑弥呼を共立するとき、その前提にあったのは「倭国のために
籠(こも)ってくれる王を作る。」ということだったと思うのです。

 当時、倭国は内乱状態にあったわけですから、そんな王のために貴重な戦力で
あった男性を差し出す一族はなかった。そこで『魏志倭人伝』にも書かれている
ように「女子」が王に共立されたのではないでしょうか。

 また、卑弥呼には、即位当時からかどうかはわかりませんが、1000人の侍女が
いたと『魏志倭人伝』には書かれています。これも、戦争未亡人や戦争孤児のう
ち、戦力にならない女性を集めたと考えれば、それなりに説明がつきます。

 というのも、内乱をおさめるために卑弥呼を共立した倭人諸国の王以外にも、
たとえばその後も卑弥呼に敵対したとされる狗奴国に代表されるように、すべて
の倭人の国の王が、卑弥呼を倭国王とすることに賛成したわけではないと思われ
るからです。

 ということは、卑弥呼が倭国王となったのちも、それに反対する勢力との間で
絶えず戦は続いていた可能性があるのです。同様に、倭人以外の人びととの戦も
あったかもしれません。そういった状況下だったからこそ、『魏志倭人伝』に
「乃共立一女子為王」、すなわち、戦力にならない女子一人を共立して王とした
のではないでしょうか。

 と、書くと、まるで卑弥呼は“生贄”か“人柱”のように、聞こえてしまうか
もしれませんが、実際には、もし、卑弥呼が籠ることで彼女を共立したグループ
が、安心して生活することができたのならば、彼女(というよりも彼女の一族)に
多大な褒美(ほうび)が与えられたのではないか?と想像しています。つまり、
卑弥呼の一族は、あくまでも“仕事”として、卑弥呼を籠る王として差し出した
のではないか?ということ。

 『魏志倭人伝』をちゃんと読まれたかたはご存じと思いますが、倭人の習俗の
中に“持衰”(じさい)というものがあると書かれています。

 持衰とは、倭人が中国へ行くとき、その航海の安全のために一人の男性がなる
もの。その男性は、航海の間、髪を梳(くしけず)らず、シラミも取らず、衣服は
垢(あか)まみれのままで、肉を食べず、婦人を近づけず、まるで喪にでも服して
いるかのように生活するとされています。そして、航海が無事に終われば、持衰
をつとめた者には、当時生口(せいこう)と呼ばれた奴隷や、財物を与えましたが、
もし、航海中に病人がでたり、災害にあった場合は、「持衰がちゃんと慎んでい
なかったからだ!」として、彼を殺そうとしたのだそうです。

 ちなみに、「持衰は船に同乗したか?しなかったか?」という論争があるので
すが、最近の私は「同乗した!」説を採っているので、ここでもそれを前提に話
を進めます。

 さて、持衰が男性とされているのは、基本的に航海には女性は参加しなかった
からでしょう。また、航海のときのみ、持衰的なものを置いたということもなかっ
たと思います。

 というのも、ある目的が成就するように自分の意思でどこかに籠ったり、そこ
で一心不乱に祈るということは、古今東西、そして宗教を問わず行なわれている
ことですから。また、それを報酬を目的に他人のために行なうのが持衰であり、
これに類する職業は現在の日本にも存在していますから。

 ようするに、卑弥呼が倭国王に共立されたというのは、実は、「卑弥呼に倭国
安寧のための持衰的役割を担わせた!」と言い換えることができるのではないか?
ということ。

 ちなみに、『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は倭王のまま死んだとされていま
す。この場合、持衰と同様に「ちゃんと慎んでいなかったから殺されたのだ!」
という考え方もあるかもしれません。

 しかし、卑弥呼には大きな墓が造られたとされており、その経費を卑弥呼の
一族がもったとは考えにくいのです。つまり、倭国の国家的事業として卑弥呼の
墓が造営されたとすると、持衰的な役割を果たせなかったから卑弥呼は殺された
とは考えにくいのです。したがって、今回私が示した推理が正しければ、たぶん
卑弥呼はそれ以外の原因で亡くなったのではないでしょうか。

 つづきます。                           アコ

[2002年7月18日 9時14分32秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月10日 8時14分34秒]のつづきです。

 まずは補足から。前回、『三国志』に登場する“鬼道”のうち、3つについて
触れました。残る1つが、『魏志張魯伝』の以下の部分です。

諸祭酒皆作義舎、如今之亭伝。又置義米肉、県於義舎、行路者量腹取足;
若過多、鬼道輒病之。犯法者、三原、然後乃行刑。不置長吏、皆以祭酒為治、
民夷便楽之。雄拠{巴}・{漢}垂三十年。

 要約すると、五斗米道の教団内で祭酒と呼ばれていた人びとは、それぞれ
「義舎」と呼ばれる宿泊施設を作り、そこに食物を置き、旅人などに無償で取ら
せた。ただし、「必要以上に取ると“鬼道”によってたちまち病になる!」とし
た。また、法を犯した者は三回までは許されたが、それ以降は刑を受けた。なお、
長吏(県の高官)の代わりに祭酒が全てを取り仕切ったので、民衆はそれを喜んだ。
そのため、巴・漢の地域の覇権を三十年以上も握ることができたというのです。

 以上から、この“鬼道”と前回紹介した張魯の母親が使ったとされる“鬼道”
と張魯自身が使ったとされる“鬼道”が、もし、同一のものだったとしたら、そ
れは[2002年7月3日 14時50分20秒]でも書いたように、「病気を治したり、患わ
せたりする妖術」だった?と想像されるわけです。

 これを踏まえて、『魏志倭人伝』の卑弥呼の“鬼道”と当時中国で“鬼道”と
呼ばれていた五斗米道の妖術との類似点を見ていくことにします。

 ところで、現在私たちが目にすることができる『三国志』には、元嘉六年
(429年)に南朝宋の裴松之(はいしょうし)が付けた注、いわゆる裴注(はいちゅう)
があります。『魏志張魯伝』にも裴注が4つあるのですが、その最初の注(冒頭で
紹介した原文に続いて書かれている)には『典略』という書物が引用されていて、
五斗米道で使われていた病に関するある種の妖術、すなわち私が「“鬼道”では
ないか?」と考えているものの具体的な内容が書かれています。

 『魏志張魯伝』本文に書かれていることも含めて、その妖術の内容をざっと紹
介すると、五斗米道に限らず、たとえば張角(ちょうかく)が興した太平道(たい
へいどう)にしても、人が病気になるのはその人に罪があるからだ!と説いてい
たそうです。そこで、五斗米道では、病気の治療のために、まず、静かな部屋を
つくり、その中に病人を入れ、自分のおこないを反省させたそうです。

 そして、病人を祈祷(きとう)する役目の鬼吏(きり)が祈祷をあげるのですが、
そのとき「三官手書」と呼ばれるものを用いたとされています。三官手書という
のは、病人の姓名とその者が自分の罪に服するといったことを書いた三通の懺悔
文のことで、天・地・水の三神に捧げるため、それぞれを山の頂、地中、川の中
に納めるのだそうです。

 ま、それで病気が治ればよいのですが、治らない場合は、病人がちゃんと反省
しないからだ!とみなされたようです。

 また、以上は病気の治療法のようですが、冒頭でも紹介したように“鬼道”に
は病気にするための方法も含まれていたようです。

 では、卑弥呼の“鬼道”との類似点ですが、大きなものは「籠(こも)る」と
「祈祷する」の2点ではないかと思うのです。

 つまり、五斗米道であれば、病人が籠り、鬼吏が祈祷するのですが、卑弥呼の
場合は、卑弥呼が籠り、卑弥呼が祈祷していたわけです。それを知った部外者が、
「これは五斗米道の“鬼道”に違いない!」と誤解したのではないか?というこ
と。

 もうちょっと想像をふくらまして説明すると、『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼
が即位したのは倭国が内乱状態にあったからとされています。そして、卑弥呼の
即位によってその内乱はおさまったものの、現時点でも卑弥呼はほとんど人前に
出ることもなく、結婚もせずにいるとされています。つまり、そういった情報を
伝えた人物は、次のように考えたのではないでしょうか。

「当時、倭国は内乱という“病気”にかかっていた。卑弥呼が、その病気を治す
ための祈祷を行うことになった。ただし、祈祷する場合には、病人を籠らせる
必要がある。しかし、倭国自体を籠らせることはできない。そこで、卑弥呼を
倭国王とし、卑弥呼自身が籠ることとなった。それにより、内乱はおさまったが、
その後も狗奴国に代表されるように他国との戦争が絶えず行われた。そのため、
卑弥呼は倭国安寧のために、籠って祈祷をあげ続けるとともに、倭国王として
君臨し続けた。これが卑弥呼の統治の特徴である!」と。

 そして、『魏志倭人伝』にあるように「事鬼道、能惑衆、」(鬼道によって巧
みに人々を操った。)という誤解が生まれたのではないでしょうか。

 しかし、実際には、卑弥呼が籠っていたのは、五斗米道とはたぶん無関係で、
単に倭人の習俗に従っただけではないか?と私は考えていますが‥‥。

 つづきます。                           アコ

[2002年7月14日 8時33分22秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月5日 14時51分11秒]のつづきです。

 「『魏志倭人伝』の卑弥呼の“鬼道”は誤解に基づく表現であると思われる!」
とする以上、誤解した者が誰であれ、誤解するだけの類似点があったはずです。
また、「『魏志倭人伝』の卑弥呼の“鬼道”は、当時中国で“鬼道”と呼ばれて
いた五斗米道のある種の妖術と同一のものとは考えにくい!」とするわけですか
ら、相違点もあるはずです。

 そこで、まずは両者の違いについてみてみると、『蜀志劉焉伝』にこんなこと
が書かれています。

{張魯}母始以鬼道、又有少容、常往来{焉}家、‥‥。

 内容を意訳すると、張魯(五斗米道創始者の孫)の母親は、五斗米道の“鬼道”
が使えるうえに、とても若々しい姿をしていた。そして、いつも自宅と劉焉(益州
の長官)の家とを行き来していたというのです。つまり、五斗米道の“鬼道”は、
結婚していようが、子供がいようが使うことができたのです。また、“鬼道”を
使う者が、人前に出たり、他人の家に頻繁に出向くこともあったことがわかりま
す。

 それに対して、『魏志倭人伝』によると卑弥呼は、結婚もしなかったし、子供
もいなかった。また、人前に出るどころか他人と会うこともほとんどなく、兵士
に守られた宮室に籠っていたようです。

 また、『魏志張魯伝』にはこんなことが書かれています。

{魯}遂拠{漢中}、以鬼道教民、自号「師君」。其来学道者、初皆名「鬼卒」。
受本道已信、号「祭酒」。各領部衆、多者為治頭大祭酒。

 補足しながら、内容を意訳します。劉焉の死後、その子の劉璋(りゅうしょう)
が立った。その当時、張魯は、劉焉の指示で漢中を占領していた。劉璋は、張魯
が自分に服従しないという理由で、張魯の実家にいた上述の母親をはじめとして
張魯の家族を皆殺しにしてしまう。それに対抗して、張魯はそのまま漢中を占領
し、“鬼道”によって人びとを導くとともに、自らを五斗米道の最高指導者であ
る「師君」と名乗り、五斗米道による宗教国家のようなものを作り上げる。なお、
彼のもとに道術を習いに来た者に対しては、まずは皆「鬼卒」と呼んだ。そして、
それらが信心し道術が授けられるとこんどは「祭酒」と呼んだ。また、各祭酒は
それぞれ信者衆を治めており、治めている信者が多い者をとくに「治頭大祭酒」
と呼んだというのです。

 つまり、“鬼道”は、女性のみが使えるものではないのです。また、五斗米道
に信心し、さまざまな道術を授けてもらい祭酒とならないと、使えるようにはな
らないようなのです。

 したがって、私が想定した「卑弥呼も壱与と同様に数え年13歳程度で即位。」
とすれば、卑弥呼はいつ、どこで五斗米道に信心したのか?という問いに答えに
くいのです。

 また、しばしば言われているように「卑弥呼は壱与と異なり、成人で即位。」
としても、同じ問いに対して、「卑弥呼は中国から渡来した五斗米道の祭酒であっ
た。」とか、「卑弥呼の一族の中に五斗米道の祭酒がおり、卑弥呼はその人物の
もと、倭国で信心した。」といった想定が必要となってしまいます。

 もちろん、こういった想定にも可能性がないとは言えませんが、かなりムリが
あるように思えたため、「『魏志倭人伝』の卑弥呼の“鬼道”は、当時中国で
“鬼道”と呼ばれていた五斗米道のある種の妖術と同一のものとは考えにくい。」
としたわけです。

 つづきます。                           アコ

[2002年7月10日 8時14分34秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年7月3日 14時50分20秒]のつづきです。

 ここでは、「『三国志』は、陳寿というひとりの人物によって書かれたものだ
から、その中の表現は一貫していると、少なくとも陳寿自身は考えていた可能性
が高い!」ということを前提としています。もし、主観的にも客観的にも表現に
一貫性がないのならば、“比べる”とか、“類推する”といったことはまったく
無意味になってしまいますから。(^_^)

 さて、前回紹介したように、『三国志』全体の中で“鬼道”と呼ばれているも
の4つのうち、『魏志張魯伝』の2つは「五斗米道の病気を治したり、患わせたり
する妖術」をさしている可能性が高いようです。また、『蜀志劉焉伝』の1つにし
ても、そう解しても矛盾はなさそうです。とすれば、残る『魏志倭人伝』の1つ、
すなわち卑弥呼の“鬼道”も、同様に考えてもよさそうなのですが、卑弥呼に関
する情報を伝えた人物が、実際にはそうではなかったにもかかわらず、そういっ
た妖術と誤認してしまい“鬼道”と報告した可能性があるという話をしました。

 実は、他にも誤って“鬼道”としてしまった可能性のある人物がいるのです。
そのひとりが『三国志』の著者の陳寿です。というのも、陳寿は蜀(しょく)の
出身でしたが、漢中(かんちゅう)を支配していた張魯の五斗米道と蜀とは、浅か
らぬ関係にあったからです。張魯が魏の曹操(そうそう)に帰順したのが215年。
陳寿が生まれた233年には、すでに漢中の五斗米道に一時の勢いはなかったでしょ
うが、直接見ることはなくても、話を聞いたり、書物を読んだりして五斗米道の
さまざまな妖術について、それなりの知識があったと想像されるのです。

 そんな陳寿が、倭国に関する資料の中に書かれていた卑弥呼の統治を読んで、
「これは五斗米道のあの妖術に違いない!」と誤解してしまい、『魏志倭人伝』
にも“鬼道”と書いてしまったのではないか?とも考えられるのです。

 まとめると、「当時“鬼道”と呼ばれていたのは五斗米道の妖術だったと思わ
れるが、『魏志倭人伝』に書かれている卑弥呼の“鬼道”は、そういった妖術で
はなく、別のものを妖術と誤解したのではないか?」というのが、私の考え方な
のです。

 なお、このほかにも「卑弥呼の“鬼道”とはどんなものだったのか?」につい
ては、いろいろな説があって、紹介しきれないのですが、それらをむりやり分類
すると、おおむね以下のようになります。なお、「卑弥呼の“鬼道”は、なんら
かの宗教に関係するものであろう。」とする点では、諸説はほぼ共通しています
ので、関係するとされる宗教で分類してみました。

(a)中国の道教系の宗教。
  (a1)五斗米道。
  (a2)五斗米道に限定せず、道教の一派。

(b)道教の影響を受けた宗教。
  (b1)北アジアから朝鮮半島にかけての宗教。
  (b2)南アジアの宗教。
  (b3)倭国の宗教。

(c)道教の影響を受けていない宗教。
  (c1)北アジアから朝鮮半島にかけての宗教。
  (c2)南アジアの宗教。
  (c3)倭国の宗教。

(d)特定の宗教との関係は不明。
  (d1)広い意味での邪教。
  (d2)広い意味でのシャーマニズム。

 少々補足すると、「北アジアから朝鮮半島にかけての宗教」というのは、いわ
ゆる『魏志韓伝』(ぎしかんでん;『三国志』巻三十、魏書三十、烏丸鮮卑東夷伝
第三十、韓条)に「祭鬼神」(鬼神を祭る)とあることから、卑弥呼の“鬼道”も
同類ではないか?とする考え方です。

 また、「南アジアの宗教」というのは、『魏志倭人伝』に書かれている倭人の
習俗が主に南方系なため、卑弥呼の“鬼道”も南方系なのではないか?とする考
え方です。

 それらに対して、「倭国の宗教」というのは、たとえば、前方後円墳(ぜんぽう
こうえんふん)のような、倭国には独特な墓制があることから、卑弥呼の“鬼道”
も倭国固有のものではないか?とする考え方です。

 なお、近年出版されている本の中には、いまだに「卑弥呼はシャーマン王で
あった!」とか「卑弥呼の“鬼道”はシャーマニズムであって、道教ではない!」
とか書かれているものもありますが、これらについては、

(1)シャーマン王が存在するのは、かなり未開の部族社会に限られる。当時の
  倭国にシャーマン王が存在したとは考えにくい。
(2)シャーマンは神と人との仲立ちをする者である。したがって、人と接するこ
  とがほとんどなかったとされる卑弥呼がシャーマンであったとは考えにくい。
(3)シャーマニズムとそうでないものとの境界線はきわめて曖昧である。また、
  当時の卑弥呼の“鬼道”がどのようなものであったのかも不明である。した
  がって、両者を安易に結び付けることはできない。
(4)道教にもシャーマンがいた。したがって、卑弥呼が仮にシャーマンであった
  としても、道教と無縁であるとは言えない。

などなどの反論があります。

 つづきます。                           アコ

[2002年7月5日 14時51分11秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年6月27日 13時19分25秒]のつづきです。

 次に、「卑弥呼の“鬼道”とはどんなものだったのか?」ですが、以前にも
卑弥呼の即位年齢を壱与の即位年齢から類推したように、ここでも『三国志』全
体の中から“鬼道”と呼ばれているものを拾い出し、類推してみようと思います。

 私が知る限り、『三国志』全体の中で“鬼道”という表現が出てくるのは、
『魏志倭人伝』以外では、いわゆる『魏志張魯伝』(ぎしちょうろでん;『三国志』
巻八、魏書八、二公孫陶四張伝第八、張魯条)に2箇所。それに加えて、いわゆる
『蜀志劉焉伝』(しょくしりゅうえんでん;『三国志』巻三十一、蜀書一、
劉二牧伝第一、劉焉条)に1箇所の計3箇所のみです。

 そして、“鬼道”とされているものは、3箇所とも“五斗米道”(ごとべいどう)
のある種の“妖術”をさしているようなのです。なお、五斗米道というのは、
張魯(ちょうろ)の祖父の張陵(ちょうりょう)がおこした道教(どうきょう)の一派
で、張魯の代になって宗教結社として強大な組織をつくりあげました。また、
道教というのは、中国で生まれた民間信仰で、最近流行の“風水”(ふうすい)な
どもこの中に含まれています。

 話を本題に戻すと、問題の妖術についてですが、『魏志張魯伝』からは、それ
が病気を治したり、患わせたりするものだったことが想像されます。なお、
『蜀志劉焉伝』には、その妖術の内容はなにも記されていませんが、そこの
“鬼道”を「病気を治したり、患わせたりする妖術」と解した場合でも文脈上
矛盾することはありません。

 したがって、

(ア)五斗米道の病気を治したり、患わせたりする妖術を“鬼道”と呼ぶことが
  一般的だったので、『三国志』の著者である陳寿もそれに従った。
(イ)五斗米道の病気を治したり、患わせたりする妖術を“鬼道”と呼ぶことは
  一般的ではなかったが、陳寿は『三国志』の中であえてそう呼んだ。
(ウ)陳寿が『三国志』を書くにあたり利用した資料には、もともと“鬼道”と書
  かれていたので、そのままそれを採用した。

といったことが考えられそうです。

 しかし、『三国志』の中で最初に“鬼道”が登場する『魏志張魯伝』を見ると、
五斗米道の教団内で用いられていた「師君」「鬼卒」「祭酒」といった用語につ
いては、解説されているものの、“鬼道”については何も説明されていないので
す。

 このことから、“鬼道”が、当時の人びとにとって一般的な言葉であり、かつ、
皆がほぼ共通の意味で用いていたことが想像されるのです。したがって、(イ)の
可能性は、かなり低いように思えます。

 以上から、陳寿や『三国志』の当時の読者たちは、「卑弥呼は五斗米道の病気
を治したり、患わせたりする妖術を用いていた!」と認識していたことが想像さ
れるわけです。

 ではこれで、卑弥呼の“鬼道”は、五斗米道のそういった妖術であった可能性
が高い!と言えるのかというと、そうでもないのです。それが(ア)かつ(ウ)の
ケースです。

 どういうことかというと、まず、卑弥呼自身が帯方郡や魏の都へ行ったことは
なかったようですから、卑弥呼がどのようなことをやっていたのか実際にみるた
めには倭国へ行く必要がありました。しかし、『三国志』の著者である陳寿にし
ても、実際に倭国へ行ったわけではないのです。当時、伝わっていた様々な情報
をもとに『三国志』を書いたのです。

 したがって、倭国で卑弥呼の統治を実際に見、それを伝えた者が別にいたわけ
です。それが帯方郡の使者の張政らであったのか、あるいは彼ら以外の人物であっ
たのかはわかりません。しかし、その者が、卑弥呼が五斗米道の上述したような
妖術を使っていると誤解してしまい、報告書に“鬼道”という表現を用いてしまっ
たかもしれないのです。

 つまり、卑弥呼が用いていたのが、実は五斗米道のそういった妖術ではなかっ
た、あるいは、五斗米道とはまったく無関係なものであったにもかかわらず、
報告者がそれを五斗米道の妖術と誤認してしまった可能性があるのです。

 つづきます。                           アコ

[2002年7月3日 14時50分20秒]

お名前: アコ   
 まずは、補足から。

 [2002年6月18日 8時1分22秒]の最後で、『魏志倭人伝』原文611行の「貢白珠
五千、孔青大句珠二枚、異文雑錦二十匹。」は、《「白珠」の単位が欠落した!》
と書きましたが、「もともとなかった!」とする考え方もあります。

 たとえば、謝銘仁氏は『邪馬台国 中国人はこう読む』(前出)pp.196-198で、
白珠と孔青大句珠はともに、単位が“枚”なので、白珠の側を省略したのだ!と
し、「孔青大句珠二枚、異文雑錦二十匹。」と7字ずつに区切って読んだほうが、
中国語のリズムにふさわしいことを指摘されています。

 ここからは、前回[2002年6月24日 6時41分33秒]のつづきです。

 [2002年5月31日 9時36分43秒]で書いた6つの疑問点のうち、残った

> (2)卑弥呼の「鬼道」とはどんなものだったのか?
> (5)なぜ当時は、男王では国が治まらなかったのか?
> (6)壱与のあとも女王が続いたのか?

の3つは、「当時の倭国はどのような“国家”であったのか?」という問題と密接
な関係にあります。こういった話題は内容が難し過ぎて、私には紹介しきれませ
ん。(^_^;) そこでここからは、いわゆる“古代国家論”を抜きにして、話を進
めることにします。m(__)m

 まず、「壱与のあとも女王が続いたのか?」ですが、この点について『魏志
倭人伝』には何も書かれていません。

 では、女王の時代はいつごろまで続いたと考えられるのかというと、参考にな
る史料(しりょう)がひとつあります。それが、『神功皇后紀』(じんぐうこうご
うき;『日本書紀』巻第九、気長足姫尊)です。

 その神功皇后六十六年条には、注として晋(しん)の『起居注』(ききょちゅう)
が引用されています。それには、「武帝泰初二年十月、倭女王遣重訳貢献。」、
すなわち、晋の武帝の泰初二年(正しくは「泰始二年」、西暦266年に当る)十月に
倭女王が、訳を重ねて貢献してきたと書かれているというのです。

 そこで、もしこれがホントならば、これも壱与が送った使者ではないか?とい
うのが“通説”になっています。つまり、少なくとも266年までは女王の時代が
続いていたらしいのです。

 また、いわゆる『梁書倭伝』(りょうしょわでん;『梁書』巻五十四、列伝
第四十八、諸夷、東夷、倭条)には、

207 {正始}中、{卑弥呼}死、更立男王、国中不服、更相誅殺、
  復立{卑弥呼}宗女{台与}為王。
208 其後復立男王、並受{中国}爵命。

とあります。つまり、台与(壱与)ののちには、ふたたび男王が即位したというの
です。なお、『梁書』(りょうしょ)は、636年に成立した中国の正史です。

 しかし、残念ながら、『梁書倭伝』原文208行の「男王」というのは、編者が、
5世紀のいわゆる「倭の五王」(わのごおう)を混同したもので、壱与の次の王を
さしているのではない!というのが“通説”になっているのです。(たとえば、
井上光貞氏も『天皇と古代王権』p.77で同様のことを書かれている。)

 このように、壱与の時代から「倭の五王」の時代まで、すなわち、3世紀の半ば
から5世紀のはじめまでについては、中国の正史から倭国の確実な情報を知ること
ができないのです。そのため、日本古代史ではこの期間を「謎の四世紀」と呼ん
でいます。

 ということで、壱与のあとも女王だったかどうかははっきりしないのですが、
「倭の五王」はすべて男王と思われるので、壱与の次からは男王が続いた可能性
が高いのではないでしょうか。

 つづきます。                           アコ

[2002年6月27日 13時19分25秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年6月20日 12時32分42秒]のつづきです。

 次に、これは卑弥呼の話題ではありませんが、「卑弥呼の弟の名は何というの
か?」ですが、現時点で私は、この問題について納得できる答えが得られていま
せん。(^_^;) そこで、私が知っている説を紹介するにとどめます。m(__)m

 まず、これには、考え方として大きくわけて3つあるようです。

(a)卑弥呼にかわって実際に国を治めていたのだから、『三国志』のどこかにそ
  の実名なり、呼び名が記されているはずだ!
(b)名は中国に伝わらなかったか、あるいは、伝わったとしても、『三国志』を
  含め、どこにも記されていない!
(c)『三国志』などの中国で書かれたものには記されていないかもしれないが、
  日本国内で書かれたものには記されているはずだ!

 (b)の考え方を採れば、「卑弥呼の弟の名は不明!」となります。

 それに対して、(c)では、『古事記』(こじき)・『日本書紀』(にほんしょき)・
『風土記』(ふどき)・『万葉集』(まんようしゅう)などから、まず、卑弥呼に
該当すると思われる人物を探し出し、つづいて弟を特定するという方法が採られ
ているようです。

 しかし、これらのうち最も古い『古事記』にしても8世紀の成立です。卑弥呼
の時代からは約450年も後のものですから、その間、卑弥呼に関する情報が正確
に伝えられていたと考えるのは、ちょっとムリなのではないでしょうか。なお、
「卑弥呼は誰か?」という問題については、のちほど紹介する予定です。

 話を戻して、(a)の考え方に基づく代表的なものに、「卑弥呼の時代にもっと
も活躍した倭国の大夫のひとり、難升米が、卑弥呼の弟だったのではないか?」
とする説があり、日本古代史の藤間生大氏や上田正昭氏、考古学の田辺昭三氏な
ど、割りと多くの研究者によって支持されているようです。

 次に、「卑弥呼の弟も卑弥呼には会うことが許されなかったのか?」ですが、
[2002年6月6日 13時21分1秒]でも触れたように、弟が未成年のころは許されたが、
成年になってからは許されなかったのではないか?と考えています。


【今回新たに参考にしたもの】

藤間生大著『埋もれた金印 ――日本国家の成立―― 第二版』、岩波新書青版741、
1970年2月20日第1刷発行。
上田正昭著『女帝 古代日本の光と影』、講談社現代新書252、1971年6月12日第1刷
発行。
角川書店編『日本史探訪 2 古代国家の謎』、角川文庫 緑533-2、1983年8月25日
初版発行。

 つづきます。                           アコ

[2002年6月24日 6時41分33秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年6月18日 8時1分22秒]の訂正からはじめます。

 私は前回、《帯方郡の使者である張政らは、自分たちが携えてきた檄文で、そ
の壱与を教え諭した。》と書きましたが、これは《帯方郡の使者である張政らは、
新たに檄文を作成し、それでその壱与を教え諭した。》としないと、話のスジが
通らなくなるので訂正します。m(__)m

 つづいて、前回の補足を少々。

 私は前回、『魏志倭人伝』原文605〜607行については、《読み方にあまり異説
はないようです》と書きましたが、実はありました。(^_^;)

 まず、605行最後の「到官。」ですが、私はこれを「赴任した。」とした上で、
607行に書かれている張政の派遣は、新たに赴任したその太守が行なったことと
しました。

 それに対して、漢和辞典を見ると「官」には「朝廷」という意味も載っている
ことから、「到官。」を「魏の朝廷にやって来た。」とする説もあるのです。

 ただし、その場合、文脈から見て、607行に書かれている張政の派遣は、朝廷
の誰かが行なったことになってしまいます。また、606行が、なぜそこに書かれ
ているのかも理解しにくいように思えるのです。さらに、611行では魏の朝廷の
ことを「台」と呼んでいるのです。したがって、この解釈は成り立たないのでは
ないでしょうか。

 次に、606行に書かれている狗奴国の男王の名を「卑弥弓呼素」とする読み方
もありますが、中華書局の標点本と同様に「卑弥弓呼」とすべきだと思います。

 ここからが、前回のつづきとなります。

 さて、605〜611行を読まれて感じたかと思いますが、この部分にも様々な“謎”
があるのです。そこで、思いつくまま、いくつか挙げてみましょう。

(1)帯方郡の使者の張政らがやってきた時点で、卑弥呼はまだ生きていたのか?
  それとも、死んだあとだったのか?
(2)仮に、張政らが卑弥呼の死後にやってきたとすると、それは内乱が起きる前
  か? 内乱の最中か? それとも、壱与の即位後か?
(3)逆に、張政らがやってきたとき、卑弥呼はまだ生きていたとすると、のちに
  彼らは壱与も教え諭しているから、そのあいだにあったとされる、卑弥呼の
  死、卑弥呼の墓の造営、卑弥呼の葬儀、男王の即位と内乱、壱与の即位を
  実際に経験したことになるが、それにしてはその間の情報が『魏志倭人伝』
  に少な過ぎないか?
(4)卑弥呼の墓は、どのくらいの期間を費やし、いつ造られたのか? 生前か?
  それとも、死後か? 死後には内乱が起こったとあるが、内乱中に造営され
  たのか? それとも、壱与の即位後の造営か? また、造営は張政らがやっ
  てくる前なのか?後なのか?
(5)卑弥呼が死んでから男王が即位するまで、どのくらいの期間があったのか?
(6)男王即後、どのくらいして内乱は起こったのか? また、内乱はどのくらい
  の期間つづいたのか?
(7)そもそも卑弥呼の死因は何なのか? 狗奴国の卑弥弓呼との戦争中の戦死?
  それとも暗殺・謀殺・自殺? あるいは、病死・事故死・自然死?

 と、いった具合です。ようするに、『魏志倭人伝』を読んだだけでは、いつ、
どういった順番にどの出来事が起こったのかが、いまひとつはっきりしないので
す。したがって、卑弥呼が亡くなった年も、簡単に特定することができないので
す。

 そういった事情にもかかわらず、605〜611行に書かれていることは、おおむね
正始八年(247年)に起こった出来事である!と考え、「卑弥呼は正始八年(247年)
に亡くなった!」とするのが“通説”になっているのです。

 ちなみに、“通説”に従うと、私の推測では、「卑弥呼は184〜195年に数え年
13歳程度で即位し、247年に60代半ばから70代半ばで亡くなった!?」ということ
になります。

 つづきます。                           アコ

[2002年6月20日 12時32分42秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年6月14日 6時38分45秒]のつづきです。

 「卑弥呼はいつ亡くなったのか?」についてですが、『魏志倭人伝』に卑弥呼
の名が最後に登場するのは正始八年(247年)の記事に続いて書かれている部分で
す。ここでは[2002年5月31日 9時36分43秒]では省略した部分を含めて、原文を
掲げておきます。

605 其八年、太守{王[斤頁]}到官。
606 {倭女王}{卑弥呼}与{狗奴国}男王{卑弥弓呼}素不和、
  遣{倭}{載斯}・{烏越}等詣郡説相攻撃状。
607 遣塞曹掾史{張政}等因齎詔書・黄幢、拝仮{難升米}為檄告喩之。
608 {卑弥呼}以死、大作冢、径百余歩、[獣旬]葬者奴婢百余人。
609 更立男王、国中不服、更相誅殺、当時殺千余人。
610 復立{卑弥呼}宗女{壱与}、年十三為王、国中遂定。
611 {政}等以檄告喩{壱与}、
  {壱与}遣{倭}大夫率善中郎将{掖邪狗}等二十人送{政}等還、
  因詣台、献上男女生口三十人、貢白珠五千、孔青大句珠二枚、異文雑錦二十匹。

 まず、605行冒頭の「其八年」とは、正始八年(247年)をさしています。この年、
帯方郡(たいほうぐん)に王[斤頁](おうき)が太守(たいしゅ)として赴任したと
いうのが605行の内容です。

 なお、帯方郡というのは、313年まで朝鮮半島にあった中国の郡のことです。
紀元前108年、前漢の武帝が朝鮮半島に楽浪郡(らくろうぐん)を設置したのです
が、後漢の末に遼東太守の公孫度がそこを支配。建安年間(196〜220年)、公孫度
の子の公孫康が楽浪郡の南半部を割いて帯方郡としたのにはじまります。ただし、
所在地については諸説があるようです。

 また、この正始八年(247年)の時点であれば、魏に従属していた朝鮮半島の諸国
や倭人の諸国を実質的に統轄していたのが帯方郡でした。ちなみに、太守という
のは郡の長官のことで、いわば統轄責任者に当たります。

 それはそうと、そのころ、倭国連合の使者の載斯(さいし)・烏越(うえつ)らが
帯方郡にやってきていて、もともと仲が良くなかった女王卑弥呼と狗奴国(くぬ
こく)の男王の卑弥弓呼(ひみくこ)との間で戦争がはじまったことを報告したと
いうのが606行の内容。

 それに応え、帯方郡では、塞曹掾史の張政(ちょうせい)らを派遣。ついでに
正始六年(245年)のときの詔書と黄幢をもたらした。そして、それらを難升米
(なんしょうまい)に仮授した。また、檄文を作って卑弥呼と卑弥弓呼の和解を教
え諭したというのが607行の内容です。

 と書いても、ここでは正始八年(247年)よりも前の外交記事の紹介を省いてし
まいましたので、「難升米って誰?」といった疑問もあるでしょうが、ひとまず
話を進めます。(^_^;)

 さて、ここまでについては、読み方にあまり異説はないようですが、608行の
「以」には大きく分けて2つの読み方、解釈があります。

(a)「すでに」と読んで、「その時点で卑弥呼はすでに死んでいた。」と解釈す
  る。
(b)「もって」と読んで、「卑弥呼が死んだので、」と解釈する。

 それはともかく、卑弥呼のために直径が100歩余りもある墓が造られ、100人余
りの奴婢が殉葬されたというのが608行の内容。そして、卑弥呼の死後、ふたたび
男性が王となったが、国中がそれを承服せず、また殺し合いとなり、このときの
死者は1000人余りにのぼったというのが609行の内容です。

 610行以降は卑弥呼の話というよりも壱与の話となります。

 二度目の内乱をおさめるために、卑弥呼の宗族の女子である壱与13歳を即位さ
せたところ、やっと国中が安定したというのが610行の内容です。

 帯方郡の使者である張政らは、自分たちが携えてきた檄文で、その壱与を教え
諭した。壱与は、倭国連合の大夫で、魏の率善中郎将でもあるの掖邪狗(やくやく)
ら20人に、張政らを帯方郡まで送らせた。壱与の使者たちは、そのまま魏の朝廷
に詣で、男女の生口(せいこう)30人を献上するとともに、白珠5000、孔青大句珠
2枚、異文雑錦20匹を貢物として納めたというのが611行の内容です。

 ちなみに、中華書局の標点本では「白珠五千、孔青大句珠二枚、」と区切られ
ていますが、日本で出版されている『魏志倭人伝』の多くは、「白珠五千孔、
青大句珠二枚、」としているようです。後者は、「孔」を単位と考えたわけです
が、他に例はないようです。それに対して前者は、「白珠」の単位が欠落した!
とするものです。どちらが、より可能性が高いのか?というと、私は中華書局の
標点本のほうだと考えています。

 つづきます。                           アコ

[2002年6月18日 8時1分22秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年6月12日 7時55分55秒]のつづきです。

 ここからやっと、私が卑弥呼の即位年をどう考えているのか?という話になり
ます。(^_^;) なお、私は、前回掲げたものの中から、方法(a)と読み方(ア)を
採用しています。

 さて、私は『三国志』の読者層および著者である陳寿が持っていたと思われる
倭人や倭国に関する情報から、即位年を推測してみようと思います。

 まず、そういった情報のうち、現在にまで伝わっていて、年代がはっきりして
いるものは、おおむね以下の2つで、これらはともに中国南朝の宋(そう;420〜
479年)の范曄(はんよう;398〜445年)が著した中国正史『後漢書』の中の、いわ
ゆる『後漢書倭伝』に記されているものです。(中国正史については、特に断ら
ない限り、今まで通り中華書局の標点本を参考にします。また、行頭には行番号
を付けました。)

301 {建武}{中元}二年、{倭奴国}奉貢朝賀、使人自称大夫、
  {倭国}之極南界也。
302 {光武}賜以印綬。
303 {安帝}{永初}元年、{倭国王}{帥升}等献生口百六十人、願請見。

 『後漢書倭伝』原文301行は、後漢(ごかん;25〜220年)の光武帝(在位25〜57年)
の建武中元二年(57年)に倭奴国からの使者がやってきたという記事。そして、同
原文303行は、安帝(在位107〜124年)の永初元年(107年)に倭国王の帥升たちがやっ
てきたという記事です。

 なお、范曄の『後漢書』が成立したのは432年ころ。陳寿の『三国志』よりも
130年以上も後に書かれたものです。したがって、陳寿をはじめとして、彼が想定
したと思われる『三国志』の読者層にしても、范曄の『後漢書』を直接読むこと
はできません。

 とはいっても、范曄は『後漢書』を書くにあたり、後漢や魏や呉で書かれたも
のを参考にしているため、『後漢書倭伝』原文301行や同原文303行のような具体
的な年代とともに書かれている出来事については、陳寿らも知っていた可能性が
高いと思われるのです。

 余談になりますが、范曄はそういった書物を参考にしながらも、そのまま引き
写すのではなく、自分の意見や独自の解釈を多く加えてしまったとされています。
そのため、『後漢書』に書かれていることが、すべて歴史的な事実であるとは限
らない!というのが、一般的な評価だそうです。

 それはともかく、『後漢書倭伝』原文303行の西暦107年には、『魏志倭人伝』
原文301行冒頭の「其国本亦以男子為王、住七八十年、」の基点になる可能性が
あります。つまり、陳寿らは、「倭国連合は、後漢の安帝の永初元年(107年)に
やってきた倭国王帥升以降、70〜80年間は男子が王となることが続いていた。」
と考えていた可能性がある!ということ。

 また、『魏志倭人伝』原文301行の「倭国乱、相攻伐歴年、」の「歴年」につ
いては、これも古田武彦氏の調査があり、『三国志』では、およそ7〜8年をさし
ている例があるそうです。したがって、次のような計算式が考えられます。

  卑弥呼の即位年=西暦107年+(70〜80年)+(7〜8年)=西暦184〜195年

 冒頭でも書きましたが、これは前回掲げたものの中から、方法(a)と読み方(ア)
に基づいた推測です。たとえば、奥野正男氏は『邪馬台国はここだ』(前出)の
pp.41-51で方法(b)と読み方(ア)を採用し、『魏志韓伝』(これも『魏志倭人伝』
と同様に『三国志』の一部分)の記事をもとに、「卑弥呼が即位したのは建安年間
(196〜220年)か、その後!」とされています。


【今回新たに参考にしたもの】

山根幸夫編『中国史研究入門 上』、山川出版社、1983年9月30日第1版第1刷発行。
古田武彦著『邪馬一国への道標』、角川文庫 白 252-5、1982年6月30日初版発行。

 つづきます。                           アコ

[2002年6月14日 6時38分45秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年6月8日 9時3分41秒]のつづきです。

 次に、「卑弥呼はいつ即位したのか?」についてですが、[2002年5月1日 9時
45分55秒]で、私は、

> ではなぜ、卑弥呼の即位時期、さらにはその直前にあったとされる内乱の時期
>が、『三国志』には明記されていないかというと、倭国連合は、当時遼東から朝
>鮮半島を支配していた公孫氏に従属していたからです。つまり、この頃の倭国連
>合に関する詳しい情報は、中国本土の王朝には伝わらなかったらしいのです。

と書きました。

 もちろん、これ以外の可能性もあるでしょう。たとえば、倭国に関する情報は
ちゃんと伝わっていたが、著者である陳寿が、それらを重要だとは思わなかった
ので書かなかっただけだ!とか。あるいは、『三国志』の読者であったと思われ
る当時の中国の知識人たちであれば、およその即位年が推測できたため、あえて
書かなかっただけだ!とか。

 ま、どんな理由であったにしろ、『三国志』だけを読んでいても卑弥呼が即位
した年を正確に知ることができないことには変わりがありません。そこで、様々
な説が生まれたわけですが、それらが採用した方法は大きく分けて2つに分類で
きるようです。

(a)『三国志』以外の史料も合わせて利用して即位年を推測する。
(b)あくまでも『三国志』をもとに即位年を推測する。

 これに加えて、前回でもちょっと触れましたが、『魏志倭人伝』原文301行の
冒頭部分の解釈にも代表的なものだけでも以下があるようなのです。

(ア)男子を王としていた時代が70〜80年続いたのち、内乱が何年か続いてから、
  卑弥呼が共立された。
(イ)男子を王としていた時代で、卑弥呼が共立される70〜80年前に内乱が何年か
  続いた。
(ウ)男子を王としていた時代で、今から70〜80年前に内乱が何年か続いたのち、
  卑弥呼が共立された。
(エ)男子を王としていた時代で、卑弥呼が亡くなる70〜80年前に内乱が何年か
  続いたのち、卑弥呼が共立された。
(オ)男子を王としていた時代があり、その後に内乱が何年か続いたのち、今から
  70〜80年前に卑弥呼が共立された。
(カ)男子を王としていた時代が始まる70〜80年前に内乱が起こり、その何年か後
  に卑弥呼が共立された。

 これらのうち、(ア)の解釈では、301行の「住」を「とどまること」と読んで
いるのに対して、(イ)〜(カ)の解釈では、「それよりさき」と読んでいます。も
ちろん、読み方が違えば、意味も違ってしまいます。

 たびたび書いているように、私は(ア)の解釈が、もっとも可能性が高いと考え
ているのですが、実は、(イ)や(ウ)と解釈されている研究者もかなり多いのです。
というのも、いわゆる「邪馬台国」(やまたいこく)が「九州にあった!」とする
説(九州説)を代表する戦後の研究者の一人、井上光貞氏が(イ)や(ウ)の解釈を
採用されていたからです。

 そして、「畿内にあった!」とする説(畿内説)を主張されている研究者の多
くも、この井上氏の解釈については、認めているのです。つまり、九州説、畿内説
にかかわらず、(イ)や(ウ)の解釈がほぼ“通説”になっているようなのです。

 ちなみに、高木彬光著『改稿新版 邪馬台国の秘密』(角川文庫、1979年4月15日
初版発行)では、p.35で「とどまること」と読んでおきながら、p.56では「それ
よりさき」として解釈されています。(^_^)

 高木氏に限らず、諸説を混同してしまうことは、よくあることです。卑弥呼に
しても、多くの本に様々な説が載っています。その中には、九州説でしか成り立
たないものもあれば、その逆もあるし、「邪馬台国」がどこにあろうとも成り立
つものもあるのです。

 もし、九州説でしか成り立たないものをひとつでも採用してしまったら、どん
なに説得力があろうとも九州説では成り立たないものを採用することはできない
のです。これが“論理的”な考え方です。

 したがって、採用する前に、その説がどういった条件のときに成り立つのか?
ということをちゃんと調べる必要があるのです。(でも、これって、実際にやっ
てみると、すっごく大変なんですよね。)


【今回新たに参考にしたもの】

井上光貞著『日本古代国家の研究』、岩波書店、1965年11月8日第1刷発行。

井上光貞著・吉村武彦編『天皇と古代王権』、岩波現代文庫 学術29、2000年10月
16日第1刷発行。

 つづきます。                           アコ

[2002年6月12日 7時55分55秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年6月7日 13時34分34秒]のつづきです。

 『魏志倭人伝』原文301行の読み方について、私が調べた範囲でも、前回紹介し
た“通説”と異なるものがありました。たとえば、今鷹真・小南一郎・井波律子
訳『三国志 II』(筑摩書房 世界古典文学全集第24巻B、1982年2月20日第1刷発行)
です。(以下、これを「世界古典文学全集版」と呼ぶことにします。) まずは、
該当部分を引用しておきます。

   その国では、もともと男子が王位についていたが、そうした状態が七、
  八十年もつづいたあと、〔漢の霊帝の光和年間に〕倭の国々に戦乱がおこっ
  て、多年にわたり互いの戦闘が続いた。そこで国々は共同して一人の女子を
  王に立てた。その者は卑弥呼(ひみこ)と呼ばれ、鬼神崇拝の祭祀者として、
  人々の心をつかんだ。彼女はかなりの年齢になっても、夫はなく、その弟が
  国の統治を輔佐した。(p.307)


 なお、訳文中の〔漢の霊帝の光和年間に〕は訳者が『三国志』以外の情報をも
とに付け加えたもので、原文にはありません。

 また、森浩一編『日本の古代1 倭人の登場』に収められている杉本憲司・
森博達両氏の「『魏志』倭人伝を通読する」(前出)も世界古典文学全集版とよく
似た読み方をしていましたので、こちらも該当部分を引用しておきます。

   その国も元来は男子を王としていたが、それが七、八十年続いたころに、
  倭国に争乱が起き、なん年もの間攻撃し合って、ようやく一人の女子を共立
  して王とした。その名は卑弥呼(ひみこ)という。鬼道に従事し、人々の心を
  とらえることができた。成年に達してからも夫がなく、弟が輔佐して国を
  治めていた。(p.157)


 これらでは、「即位した時点では若かったので当然だが、彼女はかなりの年齢
になっても、夫はなく、‥‥」とか、「卑弥呼は、即位した時点ではまだ未成年
だったので当然だが、成年に達してからも夫がなく、‥‥」と読まれているよう
です。つまり、301行は一続きだけれども、その中には2種類の情報が混在してい
る!とする読み方なのです。

 そこで、改めて、原文を示します。

301.1 其国本亦以男子為王、住七八十年、
301.2{倭国}乱、相攻伐歴年、
301.3 乃共立一女子為王、名曰{卑弥呼}、
301.4 事鬼道、能惑衆、
301.5 年已長大、無夫婿、有男弟佐治国。
302 自為王以来、少有見者。
303 以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食、伝辞出入。
304 居処宮室楼観、城柵厳設、常有人持兵守衛。

 まず、301.4行から301.5行までは、この情報を提供した人物が、卑弥呼が生活
している場所の近くで実際に見聞きした情報、言い換えれば“現在の情報”と思
われます。そういった点では、302行から304行もこれに属します。

 それに対して、301.1行から301.3行までは、情報提供者が実際に見聞きしたも
のではなく、誰かから提供された“過去の情報”と思われるのです。つまり、
同じ301行内であっても、301.3行までと301.4行からでは、情報に質的な違いが
あるということ。

 以上の理由から、私には、“通説”よりも世界古典文学全集版や杉本・森両氏
の読み方のほうが、より適切なのではないか?と思えるのです。

 なお、こういったように情報を区別しているものに、たとえば、邦光史郎氏の
『邪馬台国の旅』(徳間文庫 114-27、1987年1月15日初刷)があります。該当部分
の現代語訳文を引用しておきます。

   この国は、もとは男子の王を戴いていたそうだが、七、八十年ほど前に
  倭人の国全体がおおいに乱れ、国々はたがいに攻め合って、おおいに疲弊し
  たことがある。そこで、国々が相談し合って共同の王を戴くことになり、
  一人の女子を立てて王としたのである。
   これが現在の女王卑弥呼(ひみこ)であって、彼女は鬼道を事とし、その
  魔力でうまく人を眩惑(げんわく)して、統制をとっている。かなり老齢のは
  ずだが、一度も夫をもったことがなく、補佐役の人物がいて、日常の政務を
  さばいている。(pp.58-59)


 ちょっと余談になりますが、邦光氏は301.1行の「住七八十年」の読み方が、
今までに紹介してきた方々のものとは異なっています。(ちなみに、前回触れた
安本美典著『邪馬台国への道』も邦光氏と同様な読み方をされています。)

 奥野正男氏によると、この「住」をどう読むかについて、多くの説があるそう
です。なお、私は、今までに引用してきた邦光氏以外の研究者や奥野氏と同様に、
原文に従って「住(とど)まること」と読んで、「そういった状態が続いた」とい
う意味だと考えています。

 それはともかく、“通説”と思われる「即位した時点で、卑弥呼はすでに成人
であった!」とか、「即位した時点で、卑弥呼はすでに年長者であった!」とす
るよりも、「即位した時点では、卑弥呼はまだ未成年だった!?」とするほうが、
私には、より可能性が高いように思えるのです。


【今回新たに参考にしたもの】

奥野正男著『邪馬台国はここだ』、徳間文庫 お-21-1、1990年3月15日初刷。

 つづきます。                           アコ

[2002年6月8日 9時3分41秒]

お名前: アコ   
 前回[2002年6月6日 13時21分1秒]のつづきです。

 前回の終わりのほうで《たとえば、『魏志倭人伝』原文301行の最後の部分
「年已長大、無夫婿、有男弟佐治国。」も卑弥呼が即位した時点での状況を表し
ている!とする読み方があるからです。》と書きましたが、この読み方について、
もうちょっと詳しく紹介しておきます。

 まず、石原道博氏は、岩波文庫版(前出)で301行を次のように現代語訳されて
います。

   その国は、もと男子をもって王となし、住(とど)まること七、八十年。
  倭国が乱れ、たがいに攻伐すること歴年、そこで共に一女子を立てて王とし
  た。卑弥呼(ヒミコ)という名である。鬼道につかえ、よく衆をまどわせる。
  年はすでに長大だが、夫婿(ふせい)はなく、男弟がおり、佐(たす)けて国を
  治めている。(p.83)


 石原氏は問題の部分を「卑弥呼は、即位した時点で、年はすでに長大であった
が、‥‥」と読まれたようです。

 実は、こういった読み方が一般的なようで、たとえば、謝銘仁氏も『邪馬台国
中国人はこう読む』(徳間文庫 し-11-1、1990年3月15日初刷)の中で、次のよう
に現代語訳されています。

   倭国はもともと一般の国々と同じように男性が王となっていて、太平の世
  が七、八十年続いたが、ついに国内に大乱がおこり、互いに武器を持って
  攻めあうこと、何年にもわたった。そこで妥協のあげく、一人の女性を王に
  擁立した。これがすなわち卑弥呼である。卑弥呼は鬼道、すなわち神に仕え
  る道をいとなみ、神託に基づく権威によって、人びとを惑わし畏敬(いけい)
  させた。卑弥呼はすでに年長者だが、夫を持たない。政治の面では弟がいて、
  補佐している。(p.48)


 なお、私が調べた範囲では、

  いき一郎編訳『中国正史の古代日本記録』
        (葦書房、1984年11月10日第1刷発行、p.60)
  古田武彦著『邪馬一国の証明』(前出、p.18)
  安本美典著『邪馬台国への道』
       (徳間文庫 や-12-5、1990年3月15日初刷、p.210)

など、多くが石原氏や謝氏と同様な読み方をされていましたので、たぶんこれが
“通説”なのでしょう。

 つづきます。                           アコ

[2002年6月7日 13時34分34秒]

お名前: アコ   
 [2002年5月31日 9時36分43秒]の最後に書いた、

> (1)卑弥呼は何歳で即位したのか? また、それは具体的にはいつのことだった
>  のか?
> (2)卑弥呼の「鬼道」とはどんなものだったのか?
> (3)卑弥呼の弟の名は何というのか? また、その弟も卑弥呼には会うことが許
>  されなかったのか?
> (4)卑弥呼は何歳で亡くなったのか? また、それは具体的にはいつのことだっ
>  たのか?
> (5)なぜ当時は、男王では国が治まらなかったのか?
> (6)壱与のあとも女王が続いたのか?

について、話のついでなので、私なりの答えも書いておきます。

 まず、歴史学に限らず、様々な研究分野において、問題を解決するときにもっ
とも多く用いられる方法は“比較する”ということです。

 そこで、「卑弥呼は何歳で即位したのか?」についてですが、『魏志倭人伝』
によれば、壱与が13歳(数え年)で即位しているので、卑弥呼もそのくらいの年齢
で即位した可能性が高いと思います。とすると、当然そのとき卑弥呼の弟は13歳
以下となります。

 もちろん、卑弥呼にしろ、その弟にしろ、こんな年齢では実際に国を治めるこ
となどできるはずがありません。少なくとも、卑弥呼の弟が成人するまでの間は、
誰かしらが後見人とか摂政(せっしょう)のような者となって国を治めていたので
しょう。

 では、それまでの間、弟は何をしていたのでしょうか? 私は、『魏志倭人伝』
原文303行に書かれている「唯有男子一人給飲食、伝辞出入。」をしていたので
はなかったか?と考えています。つまり、この弟が卑弥呼の居る場所に出入りが
許された最初の男子であり、弟が成人した時点でその役を他の男子に代わった。
これが慣習となり、その後もこの役は、未成年の男子が代々行なうようになった
のではないか?ということ。

 ところで、私は、上でも書いたように、卑弥呼が即位した年齢を13歳程度と考
えていますが、「そうではない!」とする説もたくさんあります。たとえば、
『魏志倭人伝』原文301行の最後の部分「年已長大、無夫婿、有男弟佐治国。」
も卑弥呼が即位した時点での状況を表している!とする読み方があるからです。

 この場合、「即位したとき、卑弥呼はすでに成人だった!」ことになります。
ちなみに、日本古代史を研究されている古田武彦氏によると、『三国志』では
「年已長大」と書かれていると30代半ばをさすそうです。


【今回新たに参考にしたもの】

古田武彦著『邪馬一国の証明』、角川文庫 白 252-4、1980年10月20日初版発行。

 つづきます。                           アコ

[2002年6月6日 13時21分1秒]

お名前: サル   
私は長野県にある中学校のサル中2です!! 今は、社会で卑弥呼についてやっています。。。

まったく卑弥呼のことが分かりませ〜ん(>。<)

でも頑張って探してる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

[2002年6月4日 8時59分6秒]

お名前: アコ   
 [2002年5月30日 12時37分41秒]のつづきです。

 ここでは、『魏志倭人伝』を少なくとも一度は読んでいることを前提とします。
もし、読まれていない場合は、まずは、『魏志倭人伝』をお読みください。

 さて、卑弥呼とはいったいどんな人物であったと『魏志倭人伝』に書かれてい
るかというと、こんな具合です。ただし、外交記事は省きます。

301 其国本亦以男子為王、住七八十年、
  {倭国}乱、相攻伐歴年、
  乃共立一女子為王、名曰{卑弥呼}、
  事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫婿、有男弟佐治国。
302 自為王以来、少有見者。
303 以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食、伝辞出入。
304 居処宮室楼観、城柵厳設、常有人持兵守衛。

608 {卑弥呼}以死、大作冢、径百余歩、[獣旬]葬者奴婢百余人。
609 更立男王、国中不服、更相誅殺、当時殺千余人。
610 復立{卑弥呼}宗女{壱与}、年十三為王、国中遂定。

 なお、ここでは中華書局の標点本(ひょうてんぼん)をもとにしましたが、漢字
はおおむね新字体に改めました。なお、行頭に書いたのは私が便宜上付けた行番
号で、{ }でくくられた部分は標点本が固有名詞とした部分です。

 また、フォントのない文字は、たとえば、608行の“[獣旬]”のように、部首
の組み合わせを[ ]でくくって表記しました。ちなみに、“[獣旬]”は「獣ヘン
に旬」という漢字を表しています。

 ついでなので標点本について紹介しておきます。

 [2002年5月18日 10時49分11秒]で紹介した岩波文庫版のpp.105-116に掲載され
ている『魏志倭人伝』の原文を見るとわかると思いますが、当時の文章は、まる
で漢字をただ並べているだけのようで、どこで区切って読むのか、とてもわかり
にくいのです。さらに、区切る位置が異なれば意味も異なってしまうため、研究
者によって様々な解釈が生まれてしまう原因のひとつでもありました。

 中国では戦後の国家的事業として歴代の24の正史、すなわち『二十四史』の
整理、出版を開始します。その中で、多くの学者が集まり、その時点でもっとも
正しいと考えられる句読点の位置を決めたり、どこからどこまでが固有名詞なの
かなどを定めたのです。

 そうして、中国の中華書局から出版されたのが、中華書局版『二十四史』で、
一般に標点本と呼ばれるものです。ただし、これらは日本国内の一般的な書店で
は扱っていませんので、中国大陸の書物を専門に扱っている書店から購入するこ
とになります。

 それはそうと、上に掲げた原文をまずは、意訳しておきましょう。なお、これ
はあくまでも私の意訳ですから、あまりあてにはしないでください。(^_^;)
これ以外の訳を掲載している本も多数ありますので、それらも合わせて読まれる
ことをおすすめします。

301 倭国連合は、本来は男子を王としていて、そういった状態が70〜80年続いた
  ころ、内乱が起こった。その内乱によって互いに殺し合うことが何年か続い
  たのち、倭国連合の王たちが合議の上で1人の女子を王として即位させた。
  その女子の名は卑弥呼といい、鬼道(きどう)によって巧みに人々を操った。
  卑弥呼は歳を取っても夫を持たなかったが、弟が卑弥呼を助けて倭国連合を
  治めていた。
302 卑弥呼が王になって以来、彼女に謁見した者はほとんどいなかった。
303 卑弥呼には1000人の侍女と1人の男子が使えていたが、彼女に飲み物や食べ物
  を運んだり、彼女の言葉を伝達するために出入りが許されていたのはその
  男子だけであった。
304 卑弥呼が住居としていた宮室(きゅうしつ)や楼観(ろうかん)には、厳重な城柵
  が設けられ、武器を携帯した者によって常に守られていた。

608 卑弥呼が亡くなると、大規模な土木事業によってその墓を造った。墓の直径
  は100歩(145メートル)余りもあり、殉死として一緒に埋められた奴婢(ぬひ)
  の数は、100名余りにのぼった。
609 卑弥呼の死後、ふたたび男性が王となったが、倭国連合の王たちが承服せず、
  また殺し合いが始まった。このときの死者は1000人余りにのぼった。
610 そこで、卑弥呼の宗族の女子である壱与(いよ)13歳を倭国連合の王として
  即位させた。これにより、倭国連合はやっと安定した。


 さて、これらを読むと卑弥呼について様々な疑問が浮かんでくると思います。
たとえば、

(1)卑弥呼は何歳で即位したのか? また、それは具体的にはいつのことだった
  のか?
(2)卑弥呼の「鬼道」とはどんなものだったのか?
(3)卑弥呼の弟の名は何というのか? また、その弟も卑弥呼には会うことが許
  されなかったのか?
(4)卑弥呼は何歳で亡くなったのか? また、それは具体的にはいつのことだっ
  たのか?
(5)なぜ当時は、男王では国が治まらなかったのか?
(6)壱与のあとも女王が続いたのか?

などなど。こういった疑問点には多くの研究者によって様々な説が唱えられてい
て、「こうだ!」と言えるような答えはまだないようです。

                                  アコ

[2002年5月31日 9時36分43秒]

お名前: アコ   
 下方の[2002年5月18日 10時49分11秒]でも紹介したように、卑弥呼(ひみこ)に
関する情報は『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)に書かれていることが、ほぼ全て
です。したがって、卑弥呼についてお知りになりたいのならば、まず『魏志倭人
伝』を読みましょう!

 なお、『魏志倭人伝』というのは通称で、正しくは『三国志』魏書巻三十、
烏丸鮮卑東夷伝第三十、倭人条とでも呼ぶべき部分をさします。つまり、日本で
は、中国の正史(せいし)である『三国志』(さんごくし)の中で自国に関する情報
が豊富な部分をことさら取り上げて『魏志倭人伝』と呼んでいるのです。決して、
『魏志倭人伝』という独立した書物が存在するわけではありません。

 また、『三国志』は多くの歴史家が寄ってたかって書き上げたものではなく、
陳寿(ちんじゅ;233-297)という歴史家が一人で書いたものです。といっても、
陳寿は倭国(わこく)へ行ったことも、卑弥呼に会ったこともありません。さらに、
『三国志』は百科事典でも、旅のガイドブックでもありません。陳寿が、当時読
むことができた書物や公文書をもとに書きあげた魏(ぎ;220-265)・呉(ご;222-280)・
蜀(しょく;221-263)の史書(ししょ)に過ぎないのです。ちなみに、陳寿は、蜀の
出身。蜀が滅んだ後、魏の都の洛陽(らくよう)に移り、そこで魏と西晋(せいしん;
265-316)で史官(しかん)となった人物です。

 それと、今では、陳寿が著した『魏書』(ぎしょ)・『呉書』(ごしょ)・『蜀書』
(しょくしょ)をひとまとめにして『三国志』と呼んでいますが、もともとこれら
は独立した書物でした。印刷技術が発達した北宋(ほくそう;960-1127)で、初め
て合刻(ごうこく)され、それ以降『三国志』と呼ばれるようになったのです。
書物の拾い読みが誤解を生み出すことはしばしばあります。したがって、『魏志
倭人伝』だけを読むのではなく、本来ならば、少なくとも『魏書』程度は通読す
る必要があるでしょう。

 さらに、陳寿直筆の『三国志』は、まったく残っていません。また、印刷技術
が発達する前に書き写されたものも、まとまった形では残っていません。私たち
が、いま目にすることができるのは、何度となく書き写された後、北宋あるいは
以降に、その当時伝わっていた諸本をもとに印刷された『三国志』でしかないの
です。

 ところで、私は「卑弥呼について知りたければ、まず『魏志倭人伝』を読みま
しょう!」とたびたび書いていますが、『魏志倭人伝』を読む場合、上で紹介し
たような、その成立過程やその後の伝わり方を十分考慮する必要があります。

 読むときに考慮する点をまとめると、ざっと以下の三つになります。

(1)書き写されていく過程で、誤字脱字などが生じた可能性。
(2)魏についてあまり詳しくない陳寿が、得た情報を誤って解釈した可能性。
(3)陳寿が、誤った情報や時代遅れの情報をそのまま利用した可能性。

 これらと合わせて考慮しなければならないことがあります。それは、「自分は
読者としてふさわしいのか?」ということ。どんな書物も読者を想定して書かれ
ています。もちろん、『魏志倭人伝』も同様です。陳寿は、三世紀の中国の知識
人を対象に『魏志倭人伝』を著したと思われますので、内容を正しく理解しよう
とするならば、彼らと同等の知識や教養が必要となります。

 さらに、これはどんな史書にもいえることですが、史書には記録に値すると
判断されたことしか記されていません。極端な言い方をすれば、日常的なことは
一切書かれず、非日常的なことのみが書かれているのです。しかし、“日常”を
知らなければ、どこがどう“非日常”なのかを理解することができません。した
がって、『魏志倭人伝』の内容を正しく理解しようとするならば、読者としてふ
さわしい知識や教養だけでなく、当時の中国人の“常識”も知っていなければな
らないのです。

 ま、もちろん、そういった知識や教養や常識を今すぐ手に入れようというのは
ムリな話ですが、そんなことを頭の隅っこにでも置きながら、ぜひ一度『魏志倭
人伝』だけでも実際に読んでみてください。

                                  アコ

[2002年5月30日 12時37分41秒]

お名前: 野村チャン   
こんにちは。野村チャン(中2)です!!
僕は、卑弥呼について、今調べています(^▽^)
『卑弥呼は本当にいたのか?』や『どんなひとだったのか?』
を教えてください!!
返信お願いします。

[2002年5月28日 9時25分3秒]

お名前: アコ   
 歴史上の人物について何かを知りたいとき、もっとも正しい方法は、史料
(しりょう)を読むことです。そして、卑弥呼(ひみこ)についていえば、もっとも
重要な史料は『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)です。これは、岩波文庫からも出
ています。

石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』
岩波文庫 青401-1、1985年5月16日第43刷新訂版発行

 卑弥呼についてお知りになりたいのならば、まずは、これを読まれることをお
すすめします。特に、解説文や注釈文はとても参考になると思います。

 ただし、だいぶ前に書かれた本なので、解説文や注釈文の中には、今では否定
されている考え方も含まれています。しかし、卑弥呼について何かを知りたいと
きに、まず最初に当るべき本であることには現時点でも違いはありません。

 なお、岩波文庫版を読むとき、

森浩一編『日本の古代1 倭人の登場』
中公文庫 S-11-1、1995年10月18日発行

に収められている杉本憲司・森博達共著「『魏志』倭人伝を通読する」を一緒に
読むと近年の研究成果を合わせて知ることができるので便利です。

 ところで、「卑弥呼は本当にいたか?」という問いは不適切なのではないかと
思います。というのも、少なくとも歴史学にも、考古学にも、卑弥呼が実在した
ことを証明する方法が無いからです。同様に、その他の学問や研究分野にもそう
いった方法は無いのではないでしょうか。これは実在しなかったことを証明する
場合でも同じことです。

 では、どんな問いならば答えることができるのかというと、たとえば、

(a)『魏志倭人伝』に書かれていることは、現在どこまで考古学などで裏付けさ
  れているのか?
(b)『魏志倭人伝』には、三世紀に中国の魏(ぎ)に使者を送った倭国(わこく)の
  王は卑弥呼であったと書かれているが、これはホントの出来事か?
(c)『魏志倭人伝』には、卑弥呼は女性でありながら王とされたと書かれている
  が、こういったことがホントにあったのか? もしホントにあったのならば、
  なぜ、女性が王にされたのか?

などなどです。

 ちなみに、(a)については、上で紹介した『日本の古代1 倭人の登場』がと
ても参考になります。また、(b)については、それを否定する史料がみつかって
いないので、「ひとまずホントの出来事であったと考えておきましょう。」とい
うのが、歴史学の考え方です。

 なお、(c)はとても難しい問題で、さまざまな説があります。参考のためここ
では両極端の二つを紹介しておきましょう。

(1)古来から女性には神秘的な力が備わっていると考えられていた。当時内乱状
  態にあった倭国では、武力によって国を治めることが難しかった。そこで、
  女性のそういった力を利用しようと考えた。

(2)王になるべき地位の男性がまだ子供だった、あるいは、王になるべき地位の
  男性が複数いたため、誰が王になっても国がまとまらないと考えた。そこで、
  とりあえず、あくまでもとりあえず、女性を王にした。

 ご参考まで。                           アコ

[2002年5月18日 10時49分11秒]

お名前: ゆきこ   
こんにちわ!ゆきこです(^ω^)
今、選択の時間で『卑弥呼について』を調べております!!
わたしが知りたいのは、「卑弥呼は本当にいたか?」
という事です。↓のしばいさんが説明してくださっていますが
もう少しわかりやすく教えてください(__;)お願いします★

[2002年5月14日 9時21分29秒]

お名前: ゆきこ   
こんにちわ!ゆきこです(^ω^)
今、選択の時間で『卑弥呼について』を調べております!!
わたしが知りたいのは、「卑弥呼は本当にいたか?」
という事です。↓のしばいさんが説明してくださっていますが
もう少しわかりやすく教えてください(__;)お願いします★

[2002年5月14日 8時58分58秒]

お名前: アコ   
 こんにちは。この話題がまだ継続されているようなので、内容はかなり専門的
になりますが、お答えしておきます。

 さて、一口に《卑弥呼ってほんとにいたの?》といっても、実は、私が知る限
りでも、

(a)卑弥呼は創作された人物であり、実在しなかった。
(b)卑弥呼は実在した個人の名である。
(c)卑弥呼と呼ばれた人物は実在したが、それは個人の名ではない。
(d)まず(c)となり、後に(b)となった。

といった四通りの説があります。

 なお、(c)説は、これも古くからあった考え方で、たとえば、「卑弥呼という
のは、当時の倭人が女性に用いていた尊称であるヒメミコトあるいはヒメミコと
いったものの音訳であり、個人名ではない。中国側が個人名であると勝手に誤解
したのだ!」とするものです。

 ちなみに、音訳(おんやく)というのは、非中国人が言った言葉を耳を頼りにし
て漢字表記することで、表記には、おおむね卑字(ひじ)が用いられたそうです。
また、(b)説も「卑弥呼という漢字表記は音訳である!」とする点では(c)説と同
じです。

 それはそうと、同じ史料を用いているにもかかわらず、なぜこのようにいくつ
もの説があるのかというと、歴史学には史料に記されている人物が実在したのか、
しなかったのかを判断するための共通のルールが存在しないからです。そのため、
研究者が自分勝手に実在、非実在を唱えているというのが現状なのです。

 しかし、論理的にいって、“非実在”を証明することは通常では不可能ですか
ら、私は、「史料に記されている人物は皆、実在したと仮定して良い!」と考え
ています。

 また、実在説に立つ(b)説も(c)説も、個人名であるか、呼称であるかの違いだ
けで、ある時期、ある特定の個人を指していたことには違いがありません。そこ
で、この「卑弥呼」という表記が生まれた経緯や、それが使われていく過程を調
べてみました。

 まず、卑弥呼に関する第一級史料は中国正史『三国志』で、この中には有名な、
いわゆる『魏志倭人伝』。また、後述する、いわゆる『魏志韓伝』や『魏志三少
帝紀』などが含まれています。

 その『魏志倭人伝』によると、倭国連合には内乱が続き、それを収束させるた
めに倭人諸国の王たちによって倭国連合の王として女性が共立されたとあります。
そして、その女性の名が卑弥呼であると明記されています。ただし、その具体的
な即位時期は『三国志』のどこにも記されていません。

 ではなぜ、卑弥呼の即位時期、さらにはその直前にあったとされる内乱の時期
が、『三国志』には明記されていないかというと、倭国連合は、当時遼東から朝
鮮半島を支配していた公孫氏に従属していたからです。つまり、この頃の倭国連
合に関する詳しい情報は、中国本土の王朝には伝わらなかったらしいのです。

 こういったことは他にもあって、たとえば、『魏志韓伝』によれば、公孫氏が
朝鮮半島に帯方郡を設置した時期を建安年間(196〜220年)とするだけで、それ以
上詳しい時期はどこにも書かれていないのです。

 ところで、『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼が、その公孫氏を滅ぼした魏に最
初の使者を送ったのは景初二年(238)とされています。といっても、通説ではこ
れは景初三年の誤りとされていますが‥‥。

 また、同じく『魏志倭人伝』によれば、この時の使者が魏から受け取った返書
には、王の名が「親魏倭王卑弥呼」と記されていたことがわかります。したがっ
て、使者が渡した倭国連合の国書でも王の名が「卑弥呼」と表記されていた可能
性が高いのです。

 さらに、『魏志三少帝紀』正始四年(234)冬十二月条からは、正始四年に新た
に卑弥呼が魏に送った使者が「倭国女王俾弥呼」と書かれた国書を携えていたこ
ともわかるのです。

 これらのことから、まず、「卑弥呼」と音訳したのは、公孫氏側の人物であっ
たことが想像されます。次に、卑弥呼や俾弥呼という表記が、仮にヒメミコトあ
るいはヒメミコの音訳から始ったとしても、後には倭国連合側も対外的に当時の
王の個人名として用いるようになっていたことが想像されるわけです。したがっ
て、上掲の四説の中から選ぶと、(d)説がもっとも可能性が高いように思えます。

 では、なぜ「卑」の字に人偏(にんべん)が付いたり、付かなかったりするのか?
というと、これにも様々な説があるようですが、長くなるのでここでの紹介は割
愛させていただきます。m(__)m

 ご参考まで。                           アコ

[2002年5月1日 9時45分55秒]

お名前: しばい   
 条理制というのは、洛陽、長安に始まり奈良、京都に受け継がれていますが、
日本では、最初の条理制の都奈良が僅か、70年で失敗した、トラウマがありますよね。
明石屋さんまが、TVで言っているように、大安官寺なんか、初の官寺として発足しながら、
数年で行き詰まり、薬師寺や唐招代寺などがつくられています。
 二条二坊を越える大伽藍が、現在の轉覆門(?当て字)あくまでも、中国風の言い方
なので、日本風にはどう、、言っていいものか?が、が日本風でいうと、近くの玄武門の
施設を含めて門ひとつでいいという、きわめて江戸時代的な施設が今は、あるばかりです。
 門さえあれば、中の建物は、焼失しても、無くなってもOKだったんです。
 大名は、殊更、蓄財がないことを宣伝しようと建物を無くしたと言う記事も、
多くあります。
 人丁数十人、宝石類という体面は、あるらしいですね。うふうっつ


  (^。^)

[2002年4月2日 22時40分12秒]

お名前: しばい   
 昔、卑弥呼(ヒミカ、ヒミコ)が居たか、居なかった?
と言う。
 ヒミコを神(加美)と慕った巫女がいたとする日本史では、
ヒミカORヒミコとその巫女の年齢差が、実は、問題とされて
います。定説では、魏史が、国史か私説か、と問題にしているのでは
と切り込めます。陳氏は、偉大な歴史家ではありますが、
日本史か陳氏の家史かと解きます。
 一遣唐使のチョウコウが、三官の長として、律令官制に認められた
のは、次の次(?次)統一王朝唐でありますので、中国と日本の関係
が、右肩上がりであったか、下降一直線か判断が難しい。ほんとに、
なやんでいます。
 あの巫女さんは、若く見えるけど年上だったのではという議論は、
どうでしょう。
    しばい   (..)

[2002年1月23日 22時51分10秒]

お名前: たろう   
わたしの住んでいる愛媛(えひめ)県は、愛らしいお姫さまという意味で、古事記という古い本からとったのですが、ほんとうは「愛らしい姫巫女(ひめみこ)」すなわち「ひみこ」よいう意味かもしれません。卑弥呼という字は「いやしい巫女(みこ)」すなわち「きたならしい占いする女」という意味で、中国人がつけた名前ですが、ほんとうは若いときはとてもかわいい女性だったと思います。
なお、愛媛県は昔は「伊豫(いよ)の国」と言っていました。伊という字は「預言者」という意味です。豫という字も「予言」という意味です。だから預言者の国という意味です。さらに卑弥呼の子どもは「いよ」という女の子ですから。卑弥呼がおさめた邪馬台国(やまたいこく=これも中国人が「きたない馬の国」といういうへんな名前をつけました)は、実は愛媛県にあったのだと想像することもできますね。
なお、卑弥呼が日本にいたという証拠はあります。ただ、学者たちはもっとすごい証拠がないかと探しているところです。

[2001年12月6日 10時54分40秒]

お名前: Hiro   
はじめまして。

昔、中国には魏(ぎ)という国があって、
この国とひみこの国が交流していたとの記録が
のこっています。
これが魏志倭人伝(ぎしわじんでん)という本
です。
この本によると、魏(ぎ)という国はそんざい
いていたので、やまたいこくのひみこもいるの
では?という話になっています。
このないようがただしければ、ひみこはいた
ことになります。

ですが、その本の歴史の途中がなぜか消えているのです。
(266年から413年まで)そのため
このひみこの国がどうなったのか、ひみこが
どこへいったのか分からないので、
すべてがなぞとされているのです。

[2001年6月18日 23時58分18秒]

お名前: Hiro   
はじめまして。

昔、中国には魏(ぎ)という国があって、
この国とひみこの国が交流していたとの記録が
のこっています。
これが魏志倭人伝(ぎしわじんでん)という本
です。
この本によると、魏(ぎ)という国はそんざい
いていたので、やまたいこくのひみこもいるの
では?という話になっています。
このないようがただしければ、ひみこはいた
ことになります。

ですが、その本の歴史の途中がなぜか消えているのです。
(266年から413年まで)そのため
このひみこの国がどうなったのか、ひみこが
どこへいったのか分からないので、
すべてがなぞとされているのです。

[2001年6月18日 23時56分51秒]

お名前: 山ちゃん    URL
はい。お答えします。
正直いいまして、はっきり解りません。ですが
200年代(2000年じゃないよ)確かに日本にいた・・・
という記録は存在します。ですから歴史研究者や我々ファンは確認中なのです。
小6なら新井白石はしっていますか?この人も研究者の1人です。
仮に居なかったとして、どうして日本がまとまることが出来たのか、
その方が不思議でしょう。

[2001年6月18日 22時3分51秒]

お名前: 小学6年生   
ぼくたちは、いないとをもっています。
こたえをおしえてください。

[2001年6月18日 12時10分7秒]

お名前: 小学6年生   
いまぼくたちは、歴史の勉強をしています。
それでひみこは、ほんとうにいるのかしりたいです。
おしえてください!

[2001年6月18日 12時6分27秒]

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